一章 謎の結晶と魔法学園

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 星祭りの日がやってきた。  朝から色めき立っていた村の温度は、夜になっても下がることなく保たれている。木々に巻かれたカラフルな電飾は明かりの少ない道を彩り、屋台が立ち並ぶ広場の目の前では、即席のテーブルに座った男達が酒を飲み交わす。肉を焼く音、行き交う村人、子ども達の笑い声。  大きなカボチャのライトの向こう側には賑やかな祭りが待っていることなど、アルテミ村の住民以外は誰も知らない。  星空が村人達を見守る中、アーロンは設営本部のテントの下で紙コップに入ったソーダを飲んでいた。祭りだからといって特別服装が変わるわけでもなく、七分袖の黒いシャツにジーンズを履いている。 「アーロンくん!」  祭りの中でも明るいソプラノの声を耳に入れて、アーロンは振り向いた。  山道の向こうから、白いワンピース姿のミューが手を振りながら駆けてくる。少し寝癖は立っているが、先日より幾分かまともになっている。残り少なかったウーロン茶を一気に飲み干し、アーロンは紙コップをゴミ袋に捨てた。 「ごめんね、待ってた?」 「いや。むしろ早かったな」  アーロンは手首に巻いた腕時計を確認する。予定よりも十五分は早い時間だった。ミューは頬を掻きながら照れくさそうにはにかむ。 「えへへ、今年もアーロンくんと回れるって思ったらそわそわしちゃって」 「なんだ、アーロンが言ってた同行者ってミューちゃんだったのかい! お前ら本当に昔から仲良いなあ」  本部のテントからいらぬ野次が飛んでくる。アーロンはばつが悪い表情でため息をついた。テントに居座る野次を飛ばした男へ、睨むような目つきで振り向く。 「そういう約束をしただけです。先程言いましたが、同行者と一緒に祭りを回るのは大丈夫ですよね?」 「おう、問題ねえよ。ゆっくりデートを楽しんできな」 「楽しみません。見回りですから」  きっぱりと告げると、アーロンは後ろで待っていたミューへ視線を戻す。 「待たせた。行くぞ」 「うんっ。最初はどこに行くの?」 「まだ広場で飲んでる人達の酒が回る前だ。先に目立たない場所を回ってしまおう」  軽くアーロンが指を差した方向に向かって、二人は歩き出す。落ち着きなく辺りを見渡して、ミューはアーロンを見上げた。 「きらきらになってるね~。そういえば総監督って何をしたの?」 「そんなに大した事じゃない。飾り付けの設計図を見ながら村のみんなの作業の指示をしたり、作業がなさそうな人に人手が欲しそうなところに行ってもらうよう頼んだりしたくらいだ」 「十分だよ! みんなに指示を出せるのってすごいと思うけどなあ~。アーロンくん、昔からみんなをまとめたり、困ってる子に気付いて助けたりするの、早かったもんね。思い出すなあ、昔の星祭りで迷子になってた子のお母さん見つけてあげたの」 「……そんな事もあったな」  二人の横を、リンゴ飴を持った子ども達が走り抜けていく。その背中にかつての自分とミューを重ね合わせて、アーロンは過去の記憶を探った。  今とほとんど変わらないはずの祭りの道。小さい頃は、そのすべてが大きく広く思えた。ミューが優しく微笑む。 「同じ歳くらいの子だったのに、一生懸命お母さんいませんかって大声を出して、泣きそうだった子の手を握って歩いて行って……その子のお母さんを見つけたときのアーロンくんが嬉しそうで、私も嬉しくなっちゃったんだ。懐かしいねえ」 「ああ。まあ……悪くはない気分だった。学園に行く時は、今よりもう少し落ち着いた態度を取りたいところだけどな」 「え……どうして?」  きょとんとミューが目を丸くする。まさか理由を聞かれるとは思っていなかったアーロンは、言葉を詰まらせた。 「どうしてって……ここを一歩外に出たら、俺はアルテミ村の代表だ。父さんも母さんも、俺が学園に行くことに期待してる。もっと落ち着いて、もっと礼儀正しく振る舞わないといけない。俺は、父さん達をがっかりさせたくはないんだ」 「アーロンくんは、今も落ち着いて、礼儀正しくて、しっかりしてるように見えるよ。それだと駄目なの?」  ミューの純粋な疑問に、アーロンはわずかに目を逸らす。 「……正直、分からない。これ以上どうすれば落ち着けるかまでは考えてない」 「私、あの迷子を探してた時からアーロンくんはずっとすごいと思ってるよ。『そのままのアーロンくん』って、そんなにいけないのかな。山に生えてるキノコは、自然の中に生えてるからおいしいと思うの」 「キノコと人間は違うんだ、ミュー。例えば……あんなに大きくて立派なカボチャのランプを置いていても、道が整備されていないから村に人は来ない。今の俺は、まだ整備されていない道なんだ」  アーロンの視線の先をミューも追う。寂れた門の前に置かれたカボチャは、誰に見られることもなく暗闇の中で佇んでいた。 「このまま人前に出ても、俺はちゃんと胸を張れない。もっと……じい様みたいになるのが、俺の目標なんだ」  アーロンはランプから振り返って、本部のテントの方向を見つめる。  その方向にアーロンの祖父がいると知っているミューは、しばらく首を傾げたままだったがやがて小さく頷いた。 「そっか。アーロンくんのおじいちゃんは、優しい?」 「ああ。自慢のじい様だよ」  そう言うアーロンの目は、いつもよりも子どものように輝いていた。少しの沈黙の後に、ミューはそっと言葉をかけようとする。  しかし、それは空に鳴り響いた火薬の音にかき消されてしまった。あ、と二人の声が揃う。 「花火、始まっちゃったね」 「しまった……のんびりしすぎたな。そろそろ広場が騒がしくなる頃合いだ。戻ろう」  アーロンとミューは村の奥にある広場の方へ引き返す。その道中、度々空に咲く大輪の花を眺めるミューに、アーロンは何気なく声をかけた。 「なあ。お前は、魔法使いっていると思うか?」 「え?」  現実主義の側面が濃いアーロンから飛び出した、あまりにも夢見がちな単語。……魔法使い。  ミューはまん丸にした目をアーロンへ向ける。視線をさまよわせて少しうつむいた後、再び褐色の横顔を見上げた。 「私はいて欲しいなって、思うよ」 「いて欲しい……か」 「夢みたいな話だけどね。魔法使いってきっと何でも叶えられる人だから……一つだけお願いするの」  ミューは視線を外して空を見上げた。  儚く花火が散った向こうに、満天の星空が広がっている。それから、ゆっくりと目を細めた。 「今の私を、お父さんとお母さんに見てもらいたいなって。どんな顔するのかな~って、時々考えちゃうから」 「……そうか」  アーロンはミューの穏やかな横顔を目に入れると、おもむろに立ち止まる。  周りに屋台はなく、細い道が暗闇の先に伸びていく。アーロンとミューだけの空間に、花火だけが彩りを与えていた。 「アーロンくん?」 「ミュー」  アーロンはまっすぐにミューを見つめた。  木の香りがした弓の店で言われたことが、アーロンの脳裏に過る。 『あの子は悪い子じゃあなさそうだけど、苦労していそうだったからね。あれはこれからも多くの害が降り注ぐだろうねえ』  村からろくに出たこともないアーロンとミューにとって、外の世界は未知に溢れている。誰がいるのかも知らないし、何があるのかも分からない。弓の店主が言うことを鵜呑みにするのならば、そこには多くの「害」が待ち受けているのだろう。  ラズベリー色の瞳がアーロンの青い瞳とかち合う。刹那に散っていく光の花の下で、アーロンは口を開いた。 「あの結晶は意味が分からないし、学園も正直胡散臭かった。外は何が起こるか分からない。だけど……俺は逃げない。俺は、この村に胸を張れる人間でいたいから」 「……うん」 「だから、ミュー。俺から離れるな。俺は絶対に、お前を置いて逃げる事だけはしない。お前の父さんと母さんに誓って約束する」 「アーロンくん……」  アーロンのまっすぐな響きは、花火が空に咲く破裂音をかいくぐって、どこまでもミューの瞳の奥に入り込む。  今この場に、二人の他に誰も居ないからこそ言えた、真実の誓いだった。ミューは胸をそっと押さえる。 「うん。アーロンくん、ありがとう」  満面の笑みが返ってくると、アーロンは緊張が解けて、気の抜けた笑みを向ける。   (分からない事だらけでも、信じられるものはある。ミューを守る約束だけは、どんなに警告されても曲げられない、俺だけの真実だ)  アーロンは星空を見上げた。今も昔も変わらない柔らかな光の瞬きが、二人を優しく見下ろしていた。
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