二章 魔法という名の芸術

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 赤い花が貼り付けられた、華やかな柄の一人用ソファ。  足が一本しかない洒落た丸テーブル。  オレンジが混じったような柔らかい光の照明に、大きな花弁が盛られるように飾られた花々、それを生ける村一番の力自慢の腕よりも太い花瓶。  どれもアルテミ村には影も形もなかった景色で、アーロンの肩は足を踏み入れた瞬間から強張っていた。 「アーロン・ルーナ様とミュー・テッラ様ですね。どうぞ時間までお寛ぎください」  受付嬢の微笑みでさえも宇宙人の挙動に見える。反射的に浮かべたアーロンの笑みは、不自然に引きつっていた。  アーロンはミューと一緒に大きなキャリーケースを引いて、ラウンジの隅まで疲れ切った足を向かわせる。ミューが早足でアーロンの隣に追いつき、全身の筋肉がこり固まった様子のアーロンを見上げた。 「良かったね! ここのホテルで合ってたみたい」 「……そうだな。同じローブの奴がたくさん居る」  アーロンは周囲のテーブルに座る人影を見渡して、じっと観察する。  星空のローブを着た少年少女が、紅茶のカップやジュースが入ったグラスを片手に、安らぎのひとときを思い思いに過ごしている。これから新しいクラスメートになる人間同士、半分ほどは明るい談笑を繰り広げていた。  二人は窓際の席に腰掛ける。ふかふかと包まれる感触を腰に受けた途端、ふはあ、とミューが深く息を吐いた。 「疲れたねぇ~。もう足の裏がひりひりするよ」 「お疲れ。バス、船、飛行機に電車……この世に存在する公共交通機関には一通り乗ったし、何時間も歩いたからな」  アーロンはローブのポケットから、折り目が目立つ一枚の紙を取り出す。  前日の夜明けも怪しい時間から村を出発して、現在地のラウンジに辿り着くまでのスケジュールをメモしたものだった。上から下までみっちりと書き込まれた道のりを、二人はまる二日かけて辿りきったばかりだ。  アーロンは一番下に書かれた文字を指でなぞる。 「ホテルセントラルステラ……。間違ってないな。まさかこんなに豪華なホテルが、学園から指定された集合場所だとは思ってなかったが……」 「すごいよね! ホテルってことは、確かこういう場所にお泊まり出来るんだよね?」 「ああ。父さんから聞いた話だと、泊まる部屋はもっと上の方にあるんだとか……。それよりミュー、喉が渇いてないか? 何か持ってきてやる。……と……」  アーロンは机の上からラウンジの端を見渡した。  自動販売機もドリンクサーバーも、メニュー表も見当たらない。代わりにラウンジのあちこちには格式高いスーツの男性が立っていて、アーロンは立たせようとした腰をクッションの上に引っ込める。  ぎこちない凝視を繰り返して、磨き抜かれた大理石の床が放つ輝きが、瞼の奥にまで侵入した。正面に座るミューが不思議そうに目を瞬かせる。 「アーロンくん?」 「ちょ、ちょっと待っていろ。……」  冷や汗が垂れる。喉を潤したいのに、困惑で喉の乾きが加速する。まったりとしたバックミュージックが素知らぬ顔で耳を通り抜けた。 「バッカだなー。何でも良いから頼めばいーんだよこんなもん」  はっきりとした声が背後から飛び込んでくる。  咄嗟にアーロンが振り向くと、同じローブを着た少女が真っ直ぐに見下ろしていた。  気だるげな漆黒の瞳は、上品なホテルの明かりに当たっていても暗さを保っている。つややかな黒髪は肩に付かない長さにぱっつり切り揃えられていた。  アーロンの鋭い目が警戒につり上がる。素早く椅子から立ち上がると、今度はアーロンが少女の顔を見下ろす側になった。 「いきなり何だ。それは初対面の人間に言う事なのか?」 「初対面でも目に余ったって事だよ。さっきから見てたらミョーにキョロキョロして、お前ら初めて都会に来た感丸出しか? ドリンクはカウンターの店員に頼むってくらいアタシでも知ってんよ」  少女はラウンジの中央にあるカウンターを顎でしゃくって指し示す。アーロンは眉をひそめて、静かに腕を組んだ。 「教えてくれた事には感謝する。もう少し親切に言ってくれたら嬉しかった」 「言うだけ親切じゃね? 都会ってのはそりゃもう、すれ違う奴ら全員つめてーからさあ。アタシはお前らのような田舎丸出し人間は嫌いじゃねーよ。そら、連れに一杯持ってきてやんな」  少女は隣の席からずるずると椅子を引きずってくると、ミューの隣に勢いよく腰を置いた。思わずアーロンは面食らう。 「待て。ここに居座る気か?」 「何だよ、良いだろ? どうせ時間まで暇なんだ。どいつもこいつも鼻についてピンと来なかったんだがお前らならちょうど良さそうだし、世間話としゃれ込もうや」 (どんな誘い文句だ!)  アーロンは震える拳を握りしめる。しかし、疫病神にも見える彼女の横にいるミューは、至って穏やかな表情でアーロンを見上げてきた。 「私は大丈夫だよ! この人も同じ学生みたいだし……おしゃべりして時間を潰せるなら良いんじゃないかな」 「…………お前はオレンジジュースで良いな?」 「うんっ」  ミューは笑顔で頷く。アーロンは踵を返して、カウンターへ向かった。  ミューは少女を同じ学生だと言っていたが、彼女は星祭りでアーロンに絡んできた酔っ払いと変わらない空気を感じる。椅子の背もたれに肘を置いた馴れ馴れしい格好も、それを見て胃が重くなる感覚もそっくりだ。吐き出したため息は体重より重かった。  カウンターの前に辿り着くと、グラスを拭いているマスターが頭を下げた。静かに頭を下げ返す。アーロンのアシンメトリーに垂らした黒髪が揺れた。 「マスター。シャンパンを下さらない? ノンアルコールで」  その視界の隅で、鮮やかな青緑色のウェーブが黒髪と重なった。  横から割り込まれた声は、アーロンの皮膚にまで凜とした響きを留まらせる。  病的に白い指先がテーブルをなぞり、桜色の唇がはきはきと動く。 「わたくし、ここまでの長旅で肩が重くなってしまいましたの。この重みを取り除くにはシャンパンが最適ですわ」 「お客様、大変申し訳ございません。ノンアルコールのシャンパンは、現在取り扱っておりません。別のドリンクをご注文いただきますようにお願いいたします」  マスターがグラスを置いて、カウンターの下から小綺麗なメニュー表を取り出す。確かにシャンパンの欄には小さく「SOLD OUT」と書かれたシールが貼ってある。  アーロンはそっと、横にいる凜とした少女の顔を覗き見た。髪と同じような濃い青緑色の瞳が、忌々しげに細められる。頬に流れる美しい色に似合わない、強烈な嫌悪の表情で。 「……信じられませんわ。あなた、わたくしを誰だとお思いで? このホテルはマリンスノウ家に出すシャンパンも備わっていませんの?」 「ま、マリンスノウ家……!」  マスターの血の気が一斉に引いて、耳たぶまで青ざめた。目を見開かせたマスターは途端に慌てて、上品なラウンジに似つかわしくない汗を滝のように流す。 「た、大変申し訳ございません! まさかあのマリンスノウ家のお方だとは知らずにとんんだ無礼を!」 「本当ですわ。わたくしの希望に添えないホテルがこの世に存在しただなんて、これだから平民が使うラウンジは……。はぁ……お父様に頼んで経営を考え直してもらいませんと」 「もも、申し訳ございません! どうかそれだけは……!」  ぺこぺこと必死に頭を下げるマスターに対して、少女の眉間の皺は緩まる気配がない。マスターの大声に、段々と周囲からの注目も集まってきている。  アーロンは口を引き結んで、カウンターのテーブルに手のひらを乗せた。 「なあ。これだけ謝っているんだし、売り切れはこの人の責任じゃないだろ。許してやったらどうだ?」  アーロンの呼びかけに、一番驚いていたのは頭を下げていたマスターだった。目が飛び出さんばかりにアーロンを凝視していて、思わず一歩後ずさる。 「な、何ですか。……間違った事は言ってないつもりです」 「あなた、平民?」 「は?」  鋭い声が飛んできて、アーロンはマスターから少女に視線を移す。  つり上がった瞳から放たれる刺すような眼差しに、思わず息を飲んだ。アーロンには不釣り合いな高級な星空のローブも、目の前の少女には相応なばかりか、むしろ溢れる気品が上から押しつけて(まさ)っている。  少女は頭のてっぺんからつま先まで、舐めるようにアーロンを眺めた。それから、ふん、と鼻で笑う。 「よーく分かりましたわ。公衆の面前で滑稽に踊るネズミに免じて、ここはお譲りしてもよろしくてよ。マスター、適当にカクテルをお願い」 「はっ、か、かしこまりました……!」  少女は青ざめたマスターからノンアルコールのカクテルを受け取ると、アーロンを嘲り見ながら横を通り過ぎる。素直に聞き入れた様子には見えないが事態は収まったようで、アーロンは渋々見送る。  そうして重かった肩の荷を降ろし、再びマスターに向き合った。 「ふう……。すみません、オレンジジュースとコーヒーをお願いします」 「お客様……すごいですね」 「え? そう、ですかね」  マスターは先程見開いた目の余韻がまだ残っていて、今にも目玉がこぼれてしまいそうだ。  辺りを見渡してみると、集まっていた視線は去って行った少女よりもアーロンに集中している。いたたまれずに頬を掻いて、アーロンはコーヒーが抽出されるのを落ち着きなく待った。 (まったく、どうしてこうなるんだ……)
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