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世界の隅に隠れるように、その村は存在していた。溢れんばかりの緑が豊かに山を包み込み、雨ざらしになって錆びた看板と整備が不十分で斜めに立った門が、村を訪れた者を山間部の奥深くで暖かく出迎えるだろう。もっとも、この目立つ気配もない村を訪れる旅人など、かれこれ数十年はご無沙汰しているのだが。
ビルやコンビニの類いはなく、あるのは民家と畑、立派な木々、なだらかな丘といったところだ。茅葺き屋根が山沿いに連なり、カボチャ畑が広大な大地に展開されている。
そんな村の更に奥地に、一際大きな屋敷めいた民家があった。ぼろぼろになった木製の表札には「ルーナ」と古めかしい文字が掘られている。
今は昼も程々に過ぎ、太陽が一番元気な頃。錆び付いた音を立てて、ルーナ家の扉が開かれた。
中から出てきたのは浅黒い褐色肌の少年だ。薄い生地のシャツを着てカーキ色のコットンパンツを履き、ホッチキスで角を留めた分厚い紙の束を手に持っている。
少年は扉を閉めて、鷹のような鋭い目を周囲に向けると、紙の束を一枚めくった。手書きの地図と星がちりばめられた飾り付けのイラストが、紙いっぱいに描かれている。
「おーい、アーロン!」
無遠慮な声に、少年は顔を上げた。アシンメトリーに垂らしている黒髪がさらりと揺れる。アーロンと呼ばれた少年が振り向いた目線の先には、木製の荷車を引いた、いかにも力自慢といった筋肉隆々の男性が片手を振っていた。
「はい。どうかしましたか?」
「このカボチャってよお、どこに置けば良いんだ? 他のやつらに聞いてみてもアーロンなら知ってるの一点張りだ。みんな知らねえのよ」
男が困ったように笑いながら肩をすくめる。アーロンは、男が引きずってきた荷台に乗せられた物を眺めた。
男が持ってきたのは、星の形に皮がくり抜かれた特大サイズのカボチャだった。中身はすべて抜き取っており、代わりに燭台に乗ったろうそくが中央にセッティングされている。成人男性でも荷台から浮かすのがやっとである大きさのカボチャを見回すと、アーロンは再び男性へ向き直った。
「これは入り口の目立つ場所に。大きいし重いので、持ち上げる時は気をつけてください。誰か手伝いを呼びましょうか?」
「いんや、いらねえよ。俺の腕っ節をナメるなよアーロン! じゃっ、行ってくる!」
丸太のような腕を見せつけながら、男性は荷車を引いて入り口へと去って行く。その笑顔とは裏腹に、広い背中を見送るアーロンの眉間にはくっきりと皺が寄っていた。
「はぁ……別に、提案しただけでナメた訳じゃないんだが……」
「あにきー!」
「ん?」
今度は元気の良い少女の声だった。はつらつとした響きがアーロンの背中に届き、すぐに振り向く。つややかな黒髪を頭の高い場所で団子結びにした、アーロンよりも更に年若い風貌の少女だった。その褐色の顔を見るやいなや、アーロンは小さくため息をつく。
「カロン。お前、祭りの準備はサボっていないんだろうな」
「ぶっぶー、あたしこういうのは準備から楽しむタイプだもーん! あにき、じいちゃんが話があるって言ってたよ」
「話? ……分かった。村を見回り終わったらすぐに行く」
からからと明るく笑うカロンだが、アーロンは生真面目な表情を崩さない。二人は黒髪と褐色肌、そして深海のようなブルーの瞳は同じでも、とても兄妹には見えない雰囲気の違いをまとっていた。
兄妹。そう、カロン・ルーナはアーロン・ルーナの妹だ。四歳下の妹に、アーロンはよく手を焼かされている。
「あにきの方はどう? ……じゃなかった。星祭り現場総監督どの、順調ですか?」
カロンのいかにも茶化した口ぶりに、「総監督どの」の咳払いが響く。
「やめろ、その呼び方。そう言われても今のところトラブルはないな……。多少飾り付けが変わっても毎年の事だし、みんな慣れてるんだろう」
「なんだ、つまんないの」
「こら。アルテミ村村長の孫娘が星祭りのトラブルを期待するな」
アーロンは手に持っていた紙の束で、ぱしんと軽くカロンの頭をたたく。カロンからは反省の色がなさそうないたずらっ子の笑みが返ってきた。そんな性格が異なる兄妹の仲睦まじいやりとりは、屋台の設営をしている近所の夫人の温かい目に見守られている。
「なああにき、見回り行くなら一緒に行っても良い? あたし、担当の仕事が終わって手が空いたところなんだ」
「それなら別に良いぞ。急にどこかに行ったりするなよ」
「おっけーおっけー」
カロンが親指と人差し指でマルを作る。適当な返答に頭を痛めながら、アーロンはカロンと歩き出した。
村はこの一年で一番の賑わいに溢れている。星の形にくり抜いたカボチャのライト、星のオーナメントを付けた木々、水に浮いた星形のカプセルを掬って景品がもらえる「星すくい」の屋台。どれもが必ず星をかたどりながら明るく彩っている。その準備は、力自慢からお年寄り、子どもまで総動員だ。互いに助け合って掛け合う声が、近くの木の一本一本に染みこんでいる。
特に喧嘩もなさそうな様子にアーロンが胸をなで下ろす一方、カロンは冴え渡った青空を眺めながら口を開く。
「あにきはさー、魔法使いになれたらどうする?」
「はあ?」
アーロンからすっとんきょうな声が飛び出す。それでもカロンの表情は真顔から変わらなかった。
「だってこの星祭りって、魔法使いに平穏を祈るお祭りなんでしょ? 魔法使いになれたらーって考えたって良いじゃん」
「良くない。鳥になれたらどうするって考えるようなものだぞ」
「あたしそーいうの好き!」
カロン、太陽の如くきらめく満面の笑み。アーロンは頭を抱えた。
「……ああ、お前はそうだったな……。それから、魔法使いに平穏を祈るんじゃない。星祭りの目的は、【星空の向こう側】から魔法使いを選び出す流れ星に正しい導きがあるように、村全体で祈ることだ。……そんな場所も魔法使いも、存在するなんて思ったこともないがな」
ぽつりと、最後は行き場のない独り言のようにつぶやくアーロン。それを耳に入れなかったカロンは、ノリ良く指を鳴らした。
「さっすが総監督サマ、よく覚えてるう!」
「だからやめろそれ」
「まああたしは屋台の串焼きがおいしければ何でも良いんだけど!」
「おい! お前だろ言い出したのは! ……まったく、一体誰が考えたんだ。こんなおとぎ話にも笑われそうなコンセプトの祭り」
アーロンは手元の紙の束をめくりながら、何気なく疑問を口に出す。紙いっぱいに星が埋まっている祭りの資料は、子どものお遊戯会の準備だと言われても何も言い返せない。カロンも横からひょいと資料をのぞき込んだ。
「うちの先祖とかじゃないの? ほら、じいちゃんとか魔法使いの大ファンだし」
「可能性がない、とは言えないな……」
「おにいー!」
前方からおっとりとした声が飛んできて、アーロンもカロンも顔を上げた。ゆるやかにウェーブした黒髪を揺らしながら、褐色肌の少女が駆けてくる。アーロンは再び小さくため息をついた。
「コロン。お前達、兄を冷やかしに来ることしかやることがないのか?」
アーロンの冷ややかなリアクションに、コロンは頬を膨らませる。
「違うよお~。わたしとカロンを一緒にしないでよね、おにい! ねえねえ、あっちの大もみの木の電飾ってどっち巻きだったっけ?」
「右巻きだ。あの木の作業をするには人手がいるな……カロン、コロンを手伝ってやれ」
「あいあいさー! なんかさらっと不名誉なこと言われたし! コロン、村のみんなに双子のチームワーク見せてやろー!」
「あいあいさー! じゃあおにい、また後で見に来てね!」
「ああ、分かったよ」
ビシッ! とキレ良く謎の敬礼を決めてから、同じ背丈の姉妹は手を繋いで駆け出していく。
「なあコロン! 魔法使いになれるならまず何する?」
「魔法使いー? そうだなあ、まずほうきで空をびゅーんって飛ぶでしょー、杖でもみの木浮かしてみるでしょー、それからそれから……」
魔法使い談義に花を咲かせる妹達を見送りながら、アーロンはひとり肩をすくめた。
「……少なくとも俺の目には、二人とも同レベルに見えるんだけどな」
小声でもらした言葉は、カロンにもコロンにも、誰の耳にも届いていないのだった。
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