一章 謎の結晶と魔法学園

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 ゆったりとしたカーキ色のローブ。それがアルテミ村村長の証だった。枯れ草に良質な土を混ぜたような色は、緑と畑が豊かな村の長に相応しい一品だ。  それを身にまとった人影が、村で一番高い丘の上に立っていた。短い芝生に囲まれた丘には、身を休めるためのベンチが並んで置いてある。民家と山道ばかりの土地で、貴重な休憩場所だった。  アーロンは丘の上に用があった。カーキ色のローブは、アーロンの祖父の証でもあったからだ。 「じい様。カロンから話があるって聞いたんだけど……」 「おお、アーロン。よく来たな。どれ、お前もここから景色を見ると良い。村の者の働きが手に取るように分かる」  長く白いひげを蓄えた老紳士。それがアーロンの祖父であり、村の村長だった。  アーロンは祖父の横に立って、丘の下で飾り付けをする人々を見下ろした。一人一人はアーロンの薬指にも満たない大きさに見えているのに、集まっていると明るい熱気が胸の芯にまで伝わってくるようだ。一番大きなもみの木の下には、カロンとコロンが長い電飾を持ち上げているのが見える。 「アルテミ村の星祭りは今年で四百五十周年だ。アーロン、この記念の年にお前を総監督に任命出来た事、じいは嬉しく思うぞ」 「なっ、何だよ改まって。総監督は村長の仕事の肩慣らしなんだろう? 俺はいつか村長になるんだから、これくらいやれて当然だよ」  そうは言いつつも、落ち着きなく頬を掻いている様子がちっとも「当然」を伝えられていない。アーロンの初々しい反応に、祖父は穏やかに微笑んだ。 「確かにこの前はそう言ったが、この星祭りは先祖代々受け継がれてきた大切な催し。わしらのご先祖様がどうしてもと熱望し、【星空の向こう側】への強い思いを聞かせて始まった祭りだ。これから一年降り注ぐ流れ星に、正しい導きがあるように祈るのだ」  祖父の言葉は穏やかだが真剣そのものだった。アーロンは先ほどのカロンとのやりとりを頭に過らせながら、そっと口を開く。 「なあ……じい様。じい様は、魔法使いが本当にいるって思ってるのか?」  祖父は白いひげを撫でながらうなった。 「魔法使いがいるかどうか……か。フフフ、お前もそういう事を考える歳になったのだな」 「……結構昔から考えてはいたんだけどな。というかじい様、それだと答えになっていないんだが」  アーロンの表情が険しく変化する。二人の頭の遙か上を、カラスの群れが鳴きながら通り過ぎていった。 「答えならば容易い。わしが信じるかどうかよりも、お前が魔法使いに呼ばれているかどうかだよ。そういう話だろう?」 「はっ……はあ? 何だよそれ」  祖父の理解しがたい答えに、アーロンは分かりやすく狼狽えた。穏やかな声で祖父は続ける。 「先ほどわしが散歩している時に、カロンとコロンが面白い話を聞かせてくれたよ。魔法使いになったら二人で合体魔法を開発するらしい」 「あいつらそんな事話してたのか……」 「あの子達の心は魔法使いに呼ばれておったのだろう。アーロン、お前の心はどうだ?」  祖父の優しいブルーの瞳は、何故かアーロンには気まずく映った。同じ色の瞳をさっと逸らしてしまう。 「どうだって言われても……。魔法使いなんかいないって、【星空の向こう側】なんかないって思っているよ、俺は。もし本当にいたとしたら、もっとこの世界は魔法で溢れてるはずだ。便利で、憧れるから。でも実際はそうじゃない。だから、いないに決まってる……と思う」 「そうか。ならばそれで良い。お前の心が呼ばれる方へ、お前の声が導く方へ、まっすぐに向かいなさい。アーロン」  祖父のしわのある手のひらが、アーロンの肩へと置かれる。力強くて貫禄のある、けれども包まれるように暖かい手だった。 「お前は賢い。村長を任せるのに不安なんてないくらいはな。期待だってしている。しかし、それ以上にお前の心は、今この瞬間にも自由になっておる。飛ぶのも、歌うのも。勇気を出すのも、逃げるのも。信じるのも信じないのも、すべて自由だ。忘れるんじゃないぞ」 「……じい様……。全っ然、言ってる意味が分からないんだが……」 「はっはっは! それはそうだ。分かるようだったら魔法使いを信じるかなんてわしに聞かんだろう。それで良いんだよ、アーロン。分からない事もまた自由だ、気負う必要はないぞ」  ひとしきり笑った後、祖父はアーロンの肩から手を離し、夕焼けに染まり始めた空を見上げる。その表情はほんの少し、憂いのような色を含んでいた。 「……少し、大人になりすぎておるのかもな。心が呼ばれる方へ。この言葉だけしっかり心に留めておきなさい」 「分かったよ。ちなみに、それって村長になるのに必要な心構えなのか?」  祖父はゆっくりと首を横に振った。 「答えはノーだ。これはお前がお前になるために必要なものだよ。よし、日も落ちてきたことだし、そろそろ家に帰るか。今日の夕飯はお前が好きなカボチャとサーモンのパイがあるらしいぞ」 「え、本当か? ……ん、んんっ。じい様、俺ももう十六だ。子ども扱いは流石にやめてくれ」  一瞬でも目を輝かせてしまった己を隠すように、アーロンは咳払いをする。はっきりと態度に表れた動揺を目の当たりにした祖父は、大口を開けて笑った。 「ははははっ! わしにとってお前はいつまでもかわいい孫だよ。さあ、その顔の熱を落ち着かせて戻ろう」  アーロンの背中を、祖父の手がぽんぽんと優しく叩く。リードされっぱなしだった事に釈然としないまま、アーロンは祖父と並んで丘を下る。村に夜が迫ってきたので、飾り付け班も撤収作業に入っていた。  歩いたのはほんの数分だというのに、二人が家の前に辿り着いた頃には、すっかり辺りは暗くなっていた。街灯もろくにない山道では、まさに一寸先は闇だ。半分開いた窓からは暖かな明かりとパイが焼ける香ばしいにおいが漏れている。 「この分だと、明日の昼前には飾り付けが終わりそうだな」 「そうなると思う。ああ、じい様、俺はポストの中を見てから中に戻るよ。先に入ってくれ」 「良いのか? ではそうさせてもらうとしよう」  祖父がゆったりとした足取りで家へと入っていくのを横目に、アーロンは錆び付いたポストの中身を覗いた。空っぽの小さな空間がアーロンを見つめ返す。郵便物がなかった事を確認すると、アーロンは後を追って家の中に入ろうとした。 「……ん?」  ふと。ポストの下に、何かが転がっている。野球ボールほどの大きさの、三角形を貼り合わせた正二十面体の形をしている、金平糖のような結晶だ。雪よりも白く、真っ暗な視界の中に落ちていると淡く光を放っているようにすら見えて、何故今まで存在に気付かなかったのか不思議だった。 (何だ、これ。宝石じゃないよな)  アーロンは手に取って、しげしげと眺める。何気なく、家の窓から溢れる光に透かしてみる。すると、確かに持っている感触はあるのに、その姿がすうっと消えた。 「え……」  背筋にぞっと嫌な電流が走る。光から外してみると、再び輪郭と白さを取り戻した。何度か光と闇の背景を往復してようやく理解できたのは、この謎の結晶は何故か光の下だと透明になる謎の結晶だ、という事だけだった。 「なんだ、これ……?」  アーロンから呆けた声が出る。手のひらに包んでみても、硬さはあるのに温度を感じない。おそるおそる顔を近付けてみると、どうやって掘ったのか、小さな文字が細かく刻み付けられていた。 『親愛なるアーロン・ルーナ様。星降る夜、惑星の街で会いましょう。エトワール魔法学園学園長より』 「惑星の街……魔法学園……?」  いよいよ意味が分からない。アーロンは強く眉を寄せた。誰かの悪戯だとしても手が込みすぎているし、仮によそ者がこの謎の結晶を運んできたとしたら村のどこかで話が出ているはずなのに、そんな報告も聞いていない。  アーロンは思わず空を見上げていた。柔らかな星の瞬きが、静かに悩める若者を見下ろしている。 (まさか、【星空の向こう側】から落ちてきた流れ星……? なんて、考えすぎか)  振り払うように首を横に振って、アーロンは結晶を片手に家へと歩き出す。その瞬間――アーロンの指の隙間を縫って、まばゆい光が結晶から発された。 「なっ……⁉」  思わずアーロンは結晶を離してしまったが、結晶は重力に逆らってその場に漂っていた。天に向かって真っ直ぐに伸びた光は、徐々に扇形に広がっていく。  間髪入れずに、その光の中から一人の女性が現れた。薄桃色のくせのある髪を腰まで伸ばした、状況に対して不自然なほどに笑顔な女性だ。  アーロンは何度も目を擦ったが、目の前で起きている事は何一つ変わらなかった。女性の大きさは手のひらサイズにまで縮小されている。そして、平らだ。結晶の光をスクリーンにして、女性の映像が映し出されていた。 「はぁーい、パンパカパーン! おめでとうございまぁーす! あなたはぁ、エトワール魔法学園の新入生に選ばれましたぁ~!」  砂糖を山盛り入れたような甘ったるい声。女性の手から発されている祝福の拍手の音。魔法学園という単語。 「は、は、は……はぁっ……?」  アーロンの表情筋がすべて引きつる。何から何まで意味不明の連続に、頭から煙が出そうだった。  
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