一章 謎の結晶と魔法学園

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 アルテミ村はとある山間部に位置しているが、その更に山奥には古びた一軒家が建っている。そこに辿り着くまでの道は容易ではなく、獣道にも似た木々の間を、道しるべもなく十五分は歩いていかなければならない。道を知らない者が行き着くには地図とコンパスが必須だ。  しかし、アーロンにとっては散歩道も同然だった。太陽が昇りきった空の下で、もう十数年は歩いてきている道を涼しい顔で上り、新しい木材のつぎはぎが目立つ家の前に平然と立っていた。慣れた手つきで扉を三回ノックする。 「はーい、どちら様ですかー?」  鈴を転がしたような、透き通ったかわいらしい響きだった。アーロンは中に聞こえるように少し声を張る。 「アーロンだ。ミュー、話がある」 「アーロンくん! ちょっと待ってね」  アーロンの家よりも古く傷の多い扉を開けて、ひょっこりと小柄な少女が顔を出す。  くるくると丸く大きなラズベリー色の瞳と、斜めにざっくりと切られた大胆な前髪が印象的だ。寝癖が跳ねた白銀の髪が、顔を出した拍子に揺れる。 「話って何ー?」  小さく首を傾げる。その顔を見て、アーロンはぎょっと目を見開いた。 「ミュー、お前前髪が……!」 「あ、これ? 邪魔だなぁって思って切っちゃった~。ちょっと斜めになっちゃったけど」 「ちょっとどころの話じゃないだろどう見ても! あー、しかも揃ってもいない……」  不満げな表情で、アーロンはミューと呼ばれた少女の白銀の前髪に触れる。  見た目の跳ね具合に沿わずさらりとした触り心地。しかし、はさみで切りっぱなしになった前髪は横一列に揃っておらず、右から左にかけてがたがたの段を付けて下がっている。右端は太めの眉も白い額も見えているのに、左端はその両方が隠れてしまっていた。  アーロンの落とした肩の角度に反し、ミューはにこにこと笑う。 「とりあえず前が見えれば良いかな~って思って!」 「全然良くない。お前、週に一度村に買い出しに来るんだろう。まさかこの前髪で来るつもりなのか?」 「うん! そのつもりだったよ」  ミューの返事に曇りはないが、アーロンの顔は曇る一方だった。 「はぁ……せめて段を整えてやる。話は一回後にするから、中に入れてくれ」 「いいよー。はいっ、どうぞ」  扉を大きく開けて、ミューはアーロンを中に招き入れる。ため息を吐きながら、アーロンは特に緊張もなく家の中へと入った。  玄関は大小の違いしかない熊の置物が、いくつかアーロンを睨んでいる。  足を進めた先にあったのは、シックな赤い絨毯と、黒いソファ。今は使われていない暖炉。ぬくもりに溢れた、何とも生活感溢れるリビングにアーロンは通された。  小さな窓から棚の上に飾られた写真立てに向かって、日が差し込んでいる。 「いらない紙はあるか? 新聞……は取ってないか」 「えっと……あっ、キッチンペーパーで良い?」 「ああ、それで良い」  リビングの中央に足を踏み入れると、アーロンは日が当たる写真と目が合う。そこに写ったミューの面影が見える二人の男女に向かって、静かに頭を下げた。  花の飾りが付いた写真立てに入れられた満面の笑みは、床の上にキッチンペーパーを広げるミューを優しく見守っている。それを見ながら、アーロンは口を開いた。 「今日はおじい様は?」 「じっちゃはさっきご飯食べて、今はちょっと隣の部屋で休んでるよー。後でじっちゃ呼んで、三人でお茶飲もっか」 「そうだな。……ミュー、はさみだけじゃなくて櫛も用意してくれないか。まずはその跳ねた髪を()こう」  キッチンペーパーの隣に並べられた、櫛とはさみ。美容師が使うそれでもない使い古した道具を手に取って、アーロンは床に座るとゆっくりと正面に正座したミューの前髪を梳いていく。 「そういえば、アルテミ村はもうすぐ今年の星祭りだねえ。アーロンくんは準備のお手伝いってもう終わったの?」 「今日の昼、さっき終わった。今年は手伝いじゃなく、全体の総監督をじい様から任されたよ」 「総監督!? わあっ、すごいけど大変そう~……! 大丈夫だった?」 「ほら、頭を動かすな。もう少し下げて……。準備はもうみんな慣れてたし、特に問題もなかった。あとは明日の夜を待つだけだな」 「本番だね! 私も明日は村に行こうかなあ……アーロンくんは明日の夜はどうするの?」 「特に何か指示することもないだろうから、最初に挨拶だけして全体を回ってくる」  櫛で梳き終わると、アーロンの右手は櫛からはさみに持ち変えられる。まっすぐに伸びた前髪は所々長い髪の束が残っており、アーロンは鋭い目を尖らせて、髪の間にはさみを通した。その真剣な目つきをじっと見守るミュー。 「すごいねえ、アーロンくん。職人さんみたいな目してるよ」  のんきな発言に、鋭かった瞳の気迫が抜ける。 「職人って……妹達の前髪を切ってやる時も大体こんな感じだぞ。今からはさみを動かすから、動くなよ」 「うん」  わずかにミューの頭が上下してから、静かな時間が流れた。  ぱらぱらと落ちた短い白銀の髪が、キッチンペーパーの上に散らばっていく。しばらく堅い緊張が走っていたが、二人の間にある空気は決して不快ではなかった。窓から差す光にも似て、暖かく穏やかなものだ。 「総監督なら、今年は星祭り一緒に回れないかなあ……」  穏やかな空気にぽつりと落とされる言葉。一瞬手元が狂いそうになった。  アーロンは呼吸を整えてミューの伏せられた瞳を見返す。近くまで迫った寂しげな顔に、息を詰まらせた。 「いつもは一緒に回ってたけど、今年は忙しそうだしちょっと難しいよね」 「……別に。難しくはない」  ぶっきらぼうに返された声に、ミューのラズベリー色の瞳が瞬く。髪を切る手を止めずにアーロンが続けた。 「全体の見回りをする時、お前も来れば良い。そうすれば一緒に祭りを見て回れるだろ。みんなには同行者を付けるって話しておくから」 「え……良いの?」 「今年だけ総監督で無理でしたってなるのは何だか癪だからな。それに、お前にそんな顔をされると、お前の父さんと母さんにも顔向け出来ない」  アーロンは一瞬棚の上の写真に視線を移して、すぐに白い額へと戻す。ミューは大きな目を丸くしてから、ゆっくりと柔らかく細めた。 「ありがとう、アーロンくん。アーロンくんは優しいね。こんな山奥に何年も頻繁に足を運んでくれる人、他にいないよ?」 「こんな山奥って、道を覚えれば歩いて十五分だし……そういうのじゃない。俺は昔頼まれた約束を守っているだけだ。……ほら、出来たぞ」  キッチンペーパーの上にはさみを置く。軽く髪を払ってから、ミューは隣の部屋にある姿見へ駆けて行き、何度か前髪を触ると目を輝かせてすぐに戻ってきた。切った後の前髪は階段状になっている事には変わりないが、余計な長い束もなく、左右の流れもガタガタしていない。 「わぁ~、綺麗になってる! すごいよ! ありがとう~! ……あっ、そういえば話って何だったの?」 「ああ……そうだ、お前にはちゃんと話しておかないとな。大切な話だから、一回座ってくれ」 「? うん、分かった」  髪が散らばったキッチンペーパーを片付けて、二人は黒いソファに横並びで腰掛けた。髪を切っていた時以上に緊張した空気がアーロンをまとう。何度か深く呼吸を繰り返してから、そっと口を開いた。 「実は……九月から三年間、村を離れることになった。三年はほとんど会うことが出来なくなる」 「え……?」 「昨日急に決まったんだ。……悪い。三年間は、お前の面倒も見れなくなる。今日はそれを言いに来たんだ。お前の父さんと母さんにも謝らないといけない」  少し震えた声で、アーロンは何とか伝えきった。驚いていたミューの顔が俯いて、悲しげな色に染まる。アーロンの胸に小さな針が刺さった。 「そう、なんだ……。でも、私もね、九月から三年間ここを離れることになったの。じっちゃを一人だけ置いて行けないからずーっと迷ってたんだけど、学校には行った方が良いって言うから」 「そうか。奇遇だな、俺も学園に入学…………ん?」  耳を疑った。  数秒前に耳に入れたミューの言葉をもう一度脳内で再生する。今、確かに、聞き捨てならない単語が聞こえたような気がする。  渋い顔をするアーロンに、ミューはきょとんとして首を傾げた。 「私、エトワール魔法学園ってところに入学するんだけど……アーロンくんは?」  ――時が止まったような気がした。ついでに息も。
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