一章 謎の結晶と魔法学園

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「スタヴィオンがアルテミ村に?」 「そうだよ~。私はもう自分の弓作ったけど、村の中から一回も出てないよ」  星空のローブのサイズ合わせが終わったので、アーロンとミューは星祭りの準備を終えたアルテミ村の中を歩いていた。  カボチャのランプが立ち並ぶ道を上り、祖父と語り合った丘が見えてくる。しかし店らしき建物は一向に見えず、アーロンは顔をしかめた。 (そもそもスタヴィオンなんて店の名前、村にずっと住んでいる俺でも見たことも聞いたこともないんだが……。またさっきのようなからくりがあるのか?)  アーロンは視線を真下に下げる。己の身にまとっている濃紺のローブは、太陽光に当たって贅沢な光沢を放っている。胸元をそっと撫でると、今までの人生で触ったことがない上等な感触が指の腹を刺激した。 「このローブを着て向かえって指定の意味もよく分からないし、この学園でやっていける気がどんどんなくなってきたな……」 「それはアーロンくんが二日でこれだけの事を一気にやってるからじゃないかなあ? 私入学許可証出すだけでも一週間はかけたよ」 「そういう……問題なのか?」  入学許可証に慣れるのに時間がかかるという前提がまずおかしい気がするが、ツッコミが追いつかなくなりそうなので置いておく。アーロンはため息をついた。  そうしているうちに、二人の足は丘の上にまで差し掛かっていた。休憩所のベンチしかない丘とスタヴィオンについて書かれた紙を見比べて、ミューは強く頷いた。 「うん、ここだねっ。はいアーロンくん、ここでこれを言うんだよ~」 「は?」  アーロンは二重の衝撃で目を丸くした。  まず、目の前に広がっているのは、祖父と話した時の場所より数歩ずれただけの光景。店どころか家すらもないだだっ広い大地だ。  そしてもう一つ、ミューから手渡された紙にはこのような事が書かれていた。 『星空のローブをまとい、このようにお唱えください。スタヴィオンがお迎えにあがります』 (お迎えにあがる? 店が?)  最早何が起こってもおかしくないとは言え、何が起こってもおかしくない事への心構えはまだまだできあがっていない。  アーロンはおそるおそる何の変哲もない地面を見下ろして、乾いた笑みをもらした。 (まさか、地面の下から店が出てきたり……なんか、しないよな、普通)  普通。その普通がすっかり覆されている今、世界が揺れても驚かない――否、驚きはするがどこかで納得してしまうだろう。  アーロンは腹をくくって、そこに書いてある文字をしっかりと読み上げた。 「……馬の尻尾、赤い大樹。土の中に眠る星の光よ、どうか我が目に焼き付けたまえ」  言い切った瞬間、アーロンは身構える。空から店が降ってきても良いように体の緊張を高めた。  しかし、地面はまったく揺れないし、空から何か降ってくる気配もない。  アーロンは面食らって目を瞬かせる。  ――あった。目の前に、アンティークショップのような雰囲気の一枚の扉が。 「っ、は!?」  アーロンは慌てて後ずさり、それを見上げる。  瞬きの間に、それは何の音もなく現れた。  丘の上に佇む、凹凸のあるガラスが張られた老舗のカフェにも似た空気感の店。いくつか弓が表に展示されており、等間隔に台に立てかけられていた。戦争に使う矢をつがえるそれではなく、木と同じ位の長さを持つクリーム色の毛が何重にも張られた、楽器の友とも呼べる存在。  大きな展示台に邪魔されて、外から中の様子は見えない。  アーロンは息を飲んだ。ようやく出てきた芸術学校の片鱗は、アーロンの見える世界にはまずなかった代物だ。 (楽器を弾いたことなんてリコーダーぐらいしかない俺が、オーダーメイドで作るのか……。変な感覚だな)  握った経験などないそれを目の前にして、尻込みしそうになる。横目でミューを見ると、口を開けっぱなしにして興味深そうに店を見上げていた。  ふと視線が合い、普段通りの穏やかな笑みを浮かべる。 「ちゃんと出てきたねえ。ここお一人様専用らしいから、私待ってるよ。いってらっしゃいアーロンくん」 「あ、ああ。行ってくる」  ミューの変わらないマイペースさに、アーロンの胸に落ち着きが戻ってくる。小さな手を振って見送られながら、ゆっくりとドアノブを握った。  力を入れて押し開ける。扉の上に備え付けられた鈴が涼やかな音を鳴らした。アーロンは高鳴る心臓を気合いで押さえつけて、中を覗き込む。  掠れたような傷が付いた木の壁に風情を感じる、硬派な内装だった。壁には何本もの弓が飾られており、アーロンを厳かに見下ろしている。足が床を踏みしめる度に低くきしんだ。 「いらっしゃい」  しゃがれた声が奥からかかり、アーロンの肩が跳ねる。  店の一番奥にあるカウンターの中で、幽霊のようにぼんやりと老人が立っていた。腰は折れ曲がり、顔はアーロンの祖父よりしわくちゃで、少ない白髪と静かな顔つきから性別は分からない。  気配は希薄だったが、鼻は魔女のように高く存在感があった。ブルーベリー色のエプロンをしている。  アーロンは息を飲んだ。村にも老人はたくさんいるが、誰とも違う怪しく薄い雰囲気をまとっていた。 「……こんにちは。ここのお店は、スタヴィオンで合っていますか?」 「これはまた礼儀正しい子だね。あんた、アイスクリームを買った時に店員にお礼を言うかい?」 「え。はい、まあ……」  がらがらの声は気さくそうにアーロンに投げかけられている。ぎこちなくアーロンが頷くと、乾燥した口の端をゆがめて老人が笑った。 「うん、うん。気は曲がりがありながらも真っ直ぐ、多少体は硬いが体格も悪くない。何より目が良い。透き通って、一本の太い芯があるね」 「はあ……ありがとうございます」  老人は今にも飛び出しそうな目を開いて、前のめりにアーロンを見つめた。心まで覗き込まれそうな程の勢いに、アーロンは気圧されて後ずさる。  すると、老人はひょこひょこと曲がった腰を感じさせない身軽さで店を横断し、壁に掛かった弓を一本取り出した。 「力はそこそこ、中身は繊細。あとは雌馬の毛か、雄馬の毛かってところかね」 「あー……と。今、弓を選んでくださっているんですか?」 「もちろん。それがこのスタヴィオンでの、わたしの仕事なもんでね」  老人はアーロンに弓をかざすと、再びカウンターの中に戻った。弓を持って何かの物音はするが、カウンターの中で店主が何をしているか、アーロンにはさっぱり分からない。  手持ち無沙汰になったアーロンは、周囲にある弓を見渡した。多少の色の違いは分かれども、質の違いは首を捻るばかりだ。 「外の子は、お友達かい?」  心臓が跳ねる。アーロンはカウンターの中で作業している老人に向かって、小さく頷いた。 「……はい。この前、一度ここに来たと言っていました」 「覚えているよ。三ヶ月前くらいに来たね。いっとう貴重な弓を貰っていった子だ、そうかい、あの子とお友達なのかい……」  老人の言い方には、どこか含みがあった。アーロンは静かに眉をひそめる。 「ミューが何か?」 「あの子は悪い子じゃあなさそうだけど、苦労していそうだったからね。あれはこれからも多くの害が降り注ぐだろうねえ」 「……そこまで分かるものなんですか」  アーロンは驚いて目を見開く。その脳裏には、ミューの家に飾ってあった二枚の男女の写真が浮かんでいた。老人が笑みを浮かべる。 「多くの生徒の弓作りを任されているんだから、多少はね。あの子のお友達なら、あんたは覚悟を決めなくちゃいけない。まあ、その目を持っているなら心配はしてないさね」 「それは、どうも」 「それに付き合うならあんたは将来、何か大きな事を成し遂げるかもしれないよ。……さあ、弓が出来た」  カウンターの上に弓が置かれる。取ってきた前との違いは不明だが、店主がアーロン用に調整してくれた物らしい。  おもむろに手に取り、アーロンはしげしげと眺めた。暗い電灯の明かりに重ねられた毛が鈍く輝いている。確かに持った感触は、重さも長さも異様にしっくりと来た。  しかし、持ち方も弾き方も分からないままだ。とりあえずアーロンは店主に頭を下げる。 「ありがとうございました。大事にします」 「はい、わたしの仕事は終わりだよ。弓もお友達も、要は使いようさ。手直しもまたご贔屓に」  店主はそれだけ言い終わると、再び幽霊のようにぼうっとした面でカウンターの奥に立った。  アーロンは小さく会釈すると、きしむ床を踏みしめて外に出る。太陽の眩しさに一瞬目を細め、草の匂いが鼻腔をくすぐった。  風が下から駆け上がり、村を眺めていたミューの後ろ姿に巻き付いた。寝癖が目立つ髪が揺れる。扉を開けたときに鳴った鈴に反応して、アーロンへと丸いラズベリー色の瞳を向けた。 「おかえりなさい、アーロンくん! 弓作ってもらった?」  無邪気な笑顔に、アーロンは先程の店主の言葉を思い出す。店の中で交わした会話を胸の奥深くにしまって、小さく微笑んだ。 「ああ、見ての通りだ。これで必要な物は揃ったな。ありがとうミュー」 「どういたしましてだよ~。帰ってじっちゃとお茶にしよっかぁ」  ミューは山の方へ踵を返す。アーロンは歩き出そうとして、出てきたばかりの店を振り返る。  先程までスタヴィオンが佇んでいたはずのそこはもぬけの殻で、風の遊び場になっていた。  
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