1-1 終焉の世界

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1-1 終焉の世界

 耳元で断末魔の叫びが聞こえる。周りで見ていた利用者の悲鳴だろうか。亡くなる直前まで聴覚は残ると言われているが、まさか本当だとは思わなかった。  肝心の痛みはあまりなかった。一瞬だけこもるような痛みが襲ったが、その直後にはじんわりとした温もりと幸福感が全身を包み込み、痛みは消えた。  この先はどこに向かうのだろうか。肉体を失った精神。噂に聞く天国と地獄というものに辿り着くのだろうか。  まぁしかし、どの世界に辿り着いても自分は後悔はしない。あの腐りに腐った地球に蔓延る社会というゴミシステムから逸脱できたのだ。これ以上の喜びはない。  自分はあの社会というものの中で地獄と等しいくらいの苦痛を味わってきた。現世で追い詰められて自殺をしてしまうほどに。だから、もし地獄というものに堕ちたとしても地球にいた頃の痛みに比べたら大したことはない。  そして、もし許されるのならばその後は他の世界へと転生して第二の人生を平和に過ごしたい。今度は自分の好きなことを思いっきりできるようなそんな世界で·····。  さぁ目を開けよう。新しい世界がきっとそこには広がっているはずだ。輝かしい第二の人生のスタートラインが今·····!! 「――始ま·····る?」  瞳を開けた先。その先の景色に(ミナト)は唖然とした。 「嘘·····だろ?」  目の前に写るのは血にまみれた赤き荒地。草木のひとつもなく、あるのは残酷に命をくらい尽くされた体躯のみだった。  ここが地獄というものなのだろうか。確か悪行を行った魂がこの場所で激しい責め苦を受けるというのは聞いたことがあったが、まさかこんなに残酷なのか·····。 「うッ·····!!」  そう思った直後、突然激しい臭いに襲われ咄嗟に鼻を手で覆い隠す。  あと一歩臭いが激しければ鼻まで腐ってしまうのではないかと思ってしまうほどの腐臭。嗅覚が戻っていなかったために気が付かなかったが、吐き気を催すほどの腐った臭いが当たりを充満している。 「うッ·····やばい。」  と思いながら本気で吐き気がしてきた。  早くここから離れなければ·····。という一心で感覚が戻りつつある手足を反射のように素早く動かし始めるが、 「――いたッ!」  何も無い地面で足をつまずきその場に倒れ込む。幸い、倒れ込む際に手が先に出たおかげで体への負担は減ったものの、ゴツゴツした荒地に激突した痛みはかなりのものだ。咄嗟に出た手のひらや太もも、胴体のあちこちが注射針を撃たれたかのようにズキズキとした痛みが襲う。 「もう、何なんだよ·····。」  この場所がどこかも分からない。自分は一体どのような状態に置かれていて、どこへ向かうべきなのかもわからない。わかるのは本能でこの場所から逃げなければやばいことになるということだけ。  しかし肝心の手足は感覚がまだ麻痺していて思うようには動かない。起きあがろうとして呼吸をすると、同時に激しい臭いが鼻を通して脳へと突き刺さり吐き気を催す。 「はぁ·····はぁ·····。」  地獄だ。とても辛いし苦しい。  この場所から逃げたい。だけど逃げることさえ許されない。倒れては立ち上がってまた手足を動かして、その度また倒れて·····。  一体あと何回呼吸をすればいいんだ、一体あと何分この場所に留まればいいんだ、一体あと何回倒れればいいんだ。あと、あと、あと、あと、あと、あと·····!! 「――ガァァァア!!」 「·····へ?」  倒れて立ち上がってを繰り返したその先。目の前には得体の知れない二足歩行の生物が立ちはだかる。狂気じみた顔つき。怒号とも取れるその声と共に、倒れ込んだ自分に向かって斧を振りかざしている。 「――ガァァァア!!!」  自分の置かれた状況を理解した時、初めてこれから死ぬのだということを自覚する。  残酷にも切り刻まれた多くの体躯に、辺りに飛び散った赤い血。鼻が曲がるような腐った臭いに振りかざされた血塗られた斧。斧が勢いよく目の前まで迫り、刹那に死を覚悟する。  きっとこの生物によってここにいた人間たちは命をくらい尽くされたのだろう。残酷に斧で切り刻まれ、断末魔の叫び声が辺りに響きわたり、息途絶える。そうやってみんなこの地獄で罰を受けてきたのだろう。  自分だって覚悟はしていた。現世では良い行いをしていたとは思えないし、最悪地獄に行っても仕方がないと思っていた。生きてるだけで辛いあんな世の中にいるくらいなら罰を受けていた方がまだ楽だとも思っていた。けれども、 「――死にたく、ない。」  あれほど現世では死を欲していたにもかかわらず、本能では生きたいと強くそう叫ぶ。生きたいがために呼吸をし、生きたいがために鼓動を鳴らし、生きたいがために手足を動かす。  現世で死ぬのもこの場所で死ぬのも変わりないのは確かだ。だけど死ぬ間際になるとどうしても本能では生きたいと願ってしまうのだ。 「なんで……なんでなんだよぉおおっ!!」  なぜ自分は生きたいと願うのか。なぜ自分は死ななければならないのか。何も悪いことはしていないし、ただ自分のしたいことだけを追求してきただけなんだ。なのにどうして····· 「どうしてぇええっ!」 「――グガァァァア!!」  轟く咆哮、切り裂かれた肉塊の響き。地面とぶつかるときに発生する特有の鈍い金属音と共に水風船が破裂したかのような激しい血飛沫の音が空間に伝わる。  本日二度目の死に際まで聴覚が残る現象。そしてまた不思議と痛みは何一つない。もしかしたらもう脳が自殺の時の痛みでイカれてしまったのではないかと思う。  これがきっと地獄の第一ステージ。ここで死んでもまた次の地獄のステージへと移るだけだ。決して報われることはない。そしてまた地獄を堪能してから命を絶たれて·····その繰り返しだ。これが本当に地獄だったなんて、少し舐めていた自分を殴り殺してやりたい。 「·····おい·····おい!」  誰かの呼ぶ声が聞こえる。きっと地獄の第二ステージへと突入したのだろう。次はどんな地獄なのだろうか。物理的な痛みなのか精神的苦痛なのか、もしくは·····。 「何ぶつぶつ呟いてんだ!いいから起きろ!」 「――いたッ!!」  その声と共に何か硬い鋼鉄のようなもので頭を殴られる。 「痛い!まだ父さんにもぶたれたことないのに·····!!」 「はぁ?何言ってんだお前。また殴られたいか?」 「いやすみませんでした!つい調子に乗ってしまいました!ごめんなさい·····って、」  思わず謝ろうとしたその時、自分の置かれた状態にやっと気がつく。  目の前には鋼鉄の鎧に身を包んだ人間の騎士が一人。先程のモンスターと代わってその場に立っていた。 「ってあれ、俺は確かあのモンスターに切り殺されて·····。」  そう思って手足を確認する。だが、先ほどとは何も変わらない手足。胴体にも目を向けるも何一つ大きな傷など残っていない。 「あぁそうだ。お前はゴブリンの仲間に殺されかけていたんだ。そこをたまたま通りかかった俺が撃退した。俺と団長に感謝をするんだな。」 「そう、だったのか·····。」  よく見たら騎士が立つその足元には無惨にも斬り殺されたゴブリンが血塗れになって倒れている。ということは直前に聞こえたあの血飛沫はゴブリンからのものであり、殺されかけたところをこの騎士が救ってくれたのが今の状況となるわけだ。 「――はぁ……。本当に良かった·····。」 「んで、お前はどうして·····っておい?気を失ったのか?おーい!!」  救われたという安堵感に包まれながら、湊はゆっくりと眠りについた。
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