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矢吹は朝霧のことをひょいと担ぐと、そのまま教室を出て行った。その様子はまるで、こうなることが予測できていたかのようだった。
これから何が起こるのか。
そんなことは容易に想像がついた。
あんな聞き分けのなさそうな矢吹が、霧島を放置する理由。その瞬間に立ち会いたくない理由。そんなものは、この状況を見る限り、一つしかない。
これから霧島葵は泣くだろう。
そして懺悔するだろう。朝霧紫にあんなことを言ってしまったことへ対して。
そんな予想通りのことを、霧島はした。
かくんと膝から崩れ落ちると、顔を手で覆った。声が漏れないように、もう片方の手で口を隠す。それでも、必死に抑えようとするそれは、意識とは反対にどんどん漏れていく。
「……めん。ご、めん」
霧島は謝った。
何度も何度も、その場にいない、朝霧紫に。
「ごめん、ごめんなさい。酷いこと、沢山言ってごめんなさい。嘘ばかり言ってごめんなさい。側にいるだけで苦痛だなんて、酷い嘘ついてごめん。助けてくれて、感謝してたのに……良い迷惑だなんて言ってごめん。これ以上……矢吹の言葉で傷付いて欲しくなくて、痛い思いさせてごめんね。本当に……ごめっ……!」
「もうっ、一体どれだけ謝れば気が済むの?」
最後の言葉が掠れたその時、教室の前のドアから声が聞こえた。聞こえるはずがない、その声が。
霧島は、ぎこちない動きをしながら、そのまま振り返った。
「ゆ、紫……?」
先ほどまで懺悔していたその口が、彼女の名前を呼ぶ。
「やあ、葵。先ほど振り(?)だね。何か凄い泣いたみたいだけど、大丈夫かい? 目が腫れちゃってるじゃないか。せっかく可愛い顔をしているんだから、涙なんかで台無しにしちゃダメだよ?」
まるで先ほどまでのことが、嘘だったかのようにピンピンしている。
見ているだけの私が、驚いてしまうほどに。
けれど、先ほどの出来事が本当だったという証拠として、洋服は血で汚れていた。
「ふふふ。葵、良い演技だった。お疲れ様。賭けに勝ったのは私だ。これからもずっと、私のものだよ……だっけ? あの言葉には笑いそうになってやばかったねぇ。どうしてあんなに人を笑わせにいこうと彼女はするんだろうね?」
「紫、どうして……」
「ん? 何がだい?」
にこりと笑いながら首を傾げる。
本当に何に対してなのか、分かっていないのか。それとも、それこそ演技なのか。私には判断ができない。それでも……
ーー霧島の表情に笑顔が戻って良かったと思う。
だけれど、疑問はまだ拭えない。
「まったく。そもそも、私があの程度で気絶するとでも? 侮らないでほしいねえ。私はあんなので気絶してしまうほど、やわじゃないよ」
「それは……知ってるけど」
あ、知っているんだ。
恐らく全員が同時に思ったことだ。
霧島は困ったように言う。
「けれど、紫も人間だから、万が一って考えるでしょう?」
「うーん。それが私には今ひとつよく分からないけど、友達の多い君が言うのだから、間違い無いんだろうねえ。よく分からないけど」
ぼりぼりと頭を掻きながら、困ったように引き攣った笑みを見せた。その笑みがなぜがとても悲しく見えて、ずきんと胸が痛む。
「……?」
なぜ痛いのか。
その答えをすぐに見つけることができなかったが、それでも、その答えを見つけ出した。見つけたその時、胸の中にストンと答えが落ちたような気がした。ここまで気持ちの良い答えはないだろう。こんな感覚、二度と体験できない。
「まあ、とりあえず。家に帰るよ? 矢吹のことは、それこそ気絶させてロープとガムテープでぐるぐる巻きにして、そこら辺に放置してあるから、当分こっちに来ることはないと思うし」
ぺらぺらと話しながら歩き出す朝霧に対し、霧島は歩くことができない。罪悪感、というものが霧島の中にあるのだろう。
一緒に行くことを躊躇しているように見えた。
朝霧は小さく溜息を溢し、進めた歩を戻す。
「……葵、行くよ?」
無理やりその手を掴み、半ば強引に引っ張っていった。そのまま教室を出て姿が見えなくなる2人。私たちはその場から動けなかった。誰も何も言えなかった。目の前で行われた現実と、向き合うことに時間がかかった。皆、すでに気付いているはずだ。先の3人の人間のことについて。
けれど、誰もそのことを口にしない。口にできるほど、簡単な内容ではないからだ。
行動をとることができたのは、それからすぐのことだった。
2人が教室を出ていった後、階段を下りる音が聞こえた。ああ、本当に帰っていくのか。この掃除を私が? そう思っていた時、階段を勢いよく駆け上る音が聞こえた。
「……ん?」
ばたばたと、急いでいることを誇張するかのような音だ。再び教室に入ってきた朝霧紫は言った。
「ごめんなさい! 掃除するの忘れてました!!」
元気な声が教室を包み込んだ。
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