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二.生みだされる物
「おっとう。ただいま。今戻っただ。」
秋深い山野は、まるで言うなれば動物たちの合戦場だ。
じきにくる寒い冬に向けて、命の息吹きが辺り一面躍動している。
ある動物は命を奪われ、ある動物は生きながらえようとする。
そんな、山の奥深くから、今日も鉄を叩く音が響き渡る。
その音が響き渡ると、どんな動物も一瞬狩りを止める。
三日三晩、鳴り響くその音は、
草木を振るわし、動物たちの心を揺るがし、
最後は波紋となって地中に帰る。
鉄を叩く音。
聞くものによっては、それは幼子が
おんおんと泣く声に聞こえたかもしれない。
そんな音が鳴る方へ、足を運んでいくと
その男の家屋がある。
生い茂る木々の中に、ひっそりと隠れるようにたたずむ、
古びた家屋。
その家屋の奥には、むせ返るような熱気漂う工房があった。
今、その場所に息せきかけて、一匹の童が駆け込んできた。
「おっとう、ただいま。今戻っただ。」
小さな手が、今にもくずれそうな扉を恐る恐る開いた瞬間だった。
とたんに、体を焼けつくすような熱気が童を飲み込む。
「うわっ!」童は思わず目をおおった。
その先には、今まさに鎚を振りかざさんとする者が
暗闇の中でうごめく姿が見えた。
ごつごつとした岩のような手で振り落とされた鎚は、けたたましい唸りをあげて鉄を叩く。
観念した飴色の溶岩のような鉄が今度は逃げるように冷水に飛び込む。そして、辺り一面を覆いつくす蒸気の中から、一瞬にして鉛色に変わった鉄が顔を出す。
心魂気迫を持ち錬鉄錬冶鉄を叩くその男の姿に、童はいつも冷たい鬼の姿を重ねる。
「おっとう……。」再び、恐る恐る呼びかけると
ゆっくりと男が顔を向けた。
「何度言ったらわかる。」
「えっ……。」
「何度言ったら分かると聞いておるのじゃ、作業中にここにくるではない!」
「堪忍してけろ!」
そう言って童がしぶしぶと出ていこうとした時だった。
「おい、おめえちゃんと薪を拾ってきたのか?」
「へぇ…拾ってきたけど、あんまり落ちていなくて……。」
「そうか、そしたらおめえの着物についている紫色の汁はなんじゃ。」
童の薄汚れた着物に艶やかな紫色の家紋がついている。
「ひゃっ!」
「どこかで山ぶどうさほおばって、なまけてたんじゃなかか。
どこに行ってた?」
男が握りしめた刃物が妖艶に光る。
「又、おめえ嘘ついたな。俺の目はごまかせんぞ!」
「う、うそついてないやい。」
「嘘つけ!今度嘘ついたら、その二枚舌ちょんぎんぞ!この鋏で」
「ひえぇぇー!薪割りさ行ってくら!」
その男の手から生みだされる物。
それは、この時代にはまだ、珍しいとされていた『鋏』だ。
刃から柄まで叩き出しで作る『総火造り』という製法で、
すべての工程を男は一人で行い生み出していく。
その冷たい鬼が作る鋏は、いつしか風のうわさで切れないものはないと、瞬く間にその評判は広がった。
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