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朝露が森に光の矢を放つ。
夜通し獲物を求め歩き回った動物達が寝床に帰っていく音がする。
それとは逆にゆっくりと寝床から這いだす者が一匹。
童はやっとのことで、眠たい目をこすり朝をむかえた。
いつものように、隣の寝床に男の姿は見えない。
その代わりに、目の前には鼻をくすぐる芋汁の匂いと、大きな握り飯。そして、今日はその横に、たわわに実った山ぶどうが置いてある。
「おっとう……、わざわざ採ってきてくれたのか。」
そろりと寝床から起き上がる。
すると、薄い煎餅布団の上から、大きな羽織物がハラリと一枚。静かに床に落ちた。童を包むようにかけてあった羽織物。
「おっとう、あたいの寝相が悪いから……。」
その羽織物を丁寧にしまい、
かけこんでほおばった朝飯のうまさに、童はにんまりと笑顔になった。
「うんめぇー。」まだあどけない少女の顔。
そんな空気を遮るように、突如、鉄を叩く音が鳴り響く。
「いけねぇ!」
童は慌てて、薄汚れた着物をはおり、飛び出した外の井戸水で顔をすすぐと、すぐさま、工房へ向かっていく。
そこには、そびえたつような大男が待ち構えていた。
「遅いぞ、早ようおきんかい。」
「おっとう許してけろ。
今日は、町さ卸に行く日だったべさ。忘れてはないぞ。」
「ふん、分かってるなら、早う支度しろ。」
すぐさま踵をかえし、工房に戻ろうとする男の背に向かって
童は叫ぶ。
「おっとう、山ぶどう、ありがとう。採ってきてくれたんだなぁ、おっとうが。」
「___ふん。」
そう鼻で笑って、そっけなく奥に入って行く男に、もう一度童は心の中でつぶやく。
『風邪ひかねぇように羽織物さ、かけてくれてありがとう。』
冷たい鬼。
鉄を一心不乱に叩いている時の男の姿。
何かに対してやり場のない怒りと悲しみを鉄にぶつけている。
童はそんな姿をおっかないと思う時の方が多い。
ただ、今日みたく山ぶどうを採ってきたりする
心優しき男も知っている。
いつか童は男に聞いたことがある。
『鋏』という物をどうして作っているのかと。
一喝されてその場は終わったが、
何か並々ならぬものを幼心ではあるが感じた。
「おい、頼んだぞ。」
汗をぬぐいながら再び現れた男から
手渡された三本の鋏。
妖艶にかがやく鉄の輝きに、一瞬心までもっていかれそうになる。
「相変わらずきれいだな、おっとう……。」
「危ないから早ようしまって、町さ行ってこい。」
「うんだ。」
童は大事に大事にその鋏を風呂敷に包みこんだ。
「これ持ってけ、薬草じゃ。森の木々で体が傷ついたら使え。」
「ありがとう、おっとう。」
そうして一目散に駆け出す童に向かって、男が大きな声で叫ぶ。
「町では誰とも話すんでねぇぞ!鋏さ売ったらすぐさ山にかえってこい!」
小さな手を一生懸命に振るその姿を、男はいつまでも見つめていた。
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