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求楽の城下
始まりは小惑星探査船の帰還から始まったと誰もが口を揃えた。
しかし、その実体は不透明なままこの世界は始まった。
四年前の夏、世界は産声を上げた。
それは東雲八城という名前が、簡素な八番という記号ではなかった頃。
高校二年の夏に校庭の蜃気楼に向かって走り続けていたあの頃。
『東雲八城』は高校時代のあの日も陸上の大会に向け、陸上の経験の無い顧問の言葉を参考に走り込みをしていた。
二週間もすれば夏休み、その前にある期末テストが憂鬱な頃合いだ。
だが、それを過ぎれば夏のイベントが待っている。
夏休み期間に入れば、花火に夏祭
それから海に山に肝試し。
気になるクラスメイトの女子と一夏の思い出が生まれる季節に心を弾ませるのは思春期の年頃の特権である。
しかし、その夏にそれら全ての物が開催される事は無かった。
「あれ」が現れた。
「あれ」を見た者は一様に言うのだ……
世界が産声を上げたと。
しかしながら、東雲八城はその産声を見も、又は聞いてもいなかった。
だから遅れた。
事態に気付くのが遅れた。
行動を起こす事も遅れた。
あの時は誰しもこの四年間で生き残った人間は一様に遅れたのだ。
家族を失い。
友人を失い。
恋人を失い。
果ては自分に生きる意味を見失った。
そうして失った者からこの世界では居なくなる。
だから失わぬため、奪われぬために東雲八城は四年経った今も戦い続けている。
八城が初めて「奴ら」と相対したのは高校の部活の帰りでの事だった。
おぼつかない足取りでヨタヨタと道向こうから歩いてくる人影を友人と笑いながら見過ごそうとして、その友人が噛まれた。
東雲八城が生き残ったのはただの偶然だ。
視線を移す間もなく、気付けば隣を歩いていた友人に噛み付いていた。
友人は噛まれた腕を必死の形相で抑えて、悶え苦しみながら八城の名を何度も呼んでいた事を覚えている。
だが「奴ら」は友人の傷もお構い無しに、次は倒れている友人の首元に噛み付いた。
ミチリ、という濡れた音を皮切りに、溢れんばかりの血が噴き出し熱せられたアスファルトが、友人の血液を煮えあがらせた。
据えた血生臭さと共に友人の動きが鈍くなるのを見て八城は恐怖から走り出していた。
最後の力を振り絞り何かを叫ぶ友人を置き去りに、無力な自分を守る為に家に駆け込こんだ。
あれから幾日か経ち、この事態が普通でない事を理解した八城は、あの日以来両親も妹も帰って来ない家の中に引きこもっていた。
この世界を変えた生物は「感染者」あるいは「奴ら」と呼ばれている。
そういえば世界がこうなって少しした頃、この異形に名前を付けた人間が居た。
「感染者」「奴ら」の他にもう一つ「ネグレリア」という名前が付いた。
これは何かの寄生虫の名前らしいが、人を食い、食った人を人食いの化け物に変化させ生者を求め徘徊する。
「あれら」を呼称する場合八城はいつも「奴ら」と呼んでしまっている。
あれから数日が経ったある日、八城はいく日と帰って来ない家族を捜そうと外に出た。
外には未だに逃げ惑う人々と「奴ら」が終わりのない追いかけっこを続けており、時折自衛隊の防衛の銃声が木霊する。
八城はそんな戦場の中で、偶然にも鬼の様に強い女に出会った。
八城がその女に会った事で生き残れたのは事実である。
だがその事実は決して幸運とは言えなかった。
と言うのも、この世界において必ずしも生き残る事だけが幸運とは呼べないからだ。
千葉県の片田舎で、その女は子供十数人を守りながら、右手と左手に何処から手に入れたのか二振りの日本刀を携え、迫る「奴ら」から子供達を守り抜いていた。
だが、繊麗されたその技を持ってしても、大人数の子供を守るのには限度がある。
奴らは四方八方から数を増やし子供に食らいつこうとその数を増やしていくなか
追いつかない女な攻防は、綻びついに子供が噛まれそうになった時……
気付けば八城は、動いていた。
家に居ても誰もおらず
生きている人間に……
いや、人を守ろうとしているまともな人間に久しく会っていなかった。
八城がその女を、その時は「まとも」だと思ったのは、ひとえに人の為に戦っていたからだ。
なにしろ子供を守っている。それもたった一人でだ。
だから八城は動いた。
護身用に家から持って来ていたバッドで、人の形をしたそれを思い切り……
振り抜いた
その一撃が東雲八城の長い旅路の幕開け。「奴ら」の一体を葬った始まり。
鈍い音と共にそいつはぐらりと倒れ、アスファルトの上で動きが鈍くなっていく。
「アハッ!やるじゃない!」
二振りの古びた刀を持つ不審な女が八城に喋りかける。
相当疲弊しているのか肩を上下に動かして呼吸を整えながらも、獰猛な肉食獣を思わせる瞳は奴らより危険だとすら思う。
「これからどうしますか?」
八城は自然と、その女に指示を乞うたが、女は初めから決まっている事を聞くなと両手に持つ二刀を構え直す。
「決まってるでしょ!」そう、喋りながらも煌めく両刀で目の前の三体を切り伏せながら、女はニッコリと歪に笑ってみせた。
「全滅させるのよ。あんたも手伝いなさいな」
女は巧みな刀捌きと凄まじい膂力と勢いで「奴ら」を切り伏せていく。
八城は子供だけは守ろうと、目の前に来た奴らを金属バットのフルスイングで退ける。
「あなた名前は?」
「東雲……東雲八城です」
「ふ〜ん……東の雲!良い名前ね!私の名前は野火止一華よ!ろ!し!く!ね!」
剛の剣とはこの事だろう。
最早切れる、切れないは彼女の前では関係ない。
空中に線を描くたびに、刃は目の前の「奴ら」を押しとどめていく彼女の力量には畏敬の念すら覚える。
そして、八城も負けじとその金属バットをフルスイングで振り抜きながら、視界の端に広がる最低最悪の世界の状況を初めて理解したのだった。
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