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クラレンスと、クラレンスによく似たバートを林の手前に置き去りにして、ジープは遠ざかっていった。
秋の澄んだ空から吹く風が、褐色の葉を何枚か残した低い木々を揺らす。その向こうには、薄く黄色に枯れた背の高い草むら。さらにその先は、焦茶色の土がむき出しの荒地に変わる。
クラレンスとバートは少しの間、周囲を見渡すようにその場に立っていた。
ラボの博士が二人のために作った兵装は、秋の色によく溶け込むよう、さっとその色を変えた。
「やることはいつもと同じ」
クラレンスが隣にいるバートに言うと、彼が抑揚のない声で言った。
「斥候……シミュレーション」
『斥候に使うロボットは、人型である必要はないでしょう』と、クラレンスは一度、博士に言ったことがある。
博士は、『昔からロボットアニメと共に生きてきたこの国の人間は、どうしてもそこから離れられないんだよ』と答えた。
「やろう」クラレンスは態勢を低くした。
荒地の反対側に、仮想の敵軍が展開している。
斥候。敵軍までの距離を測る。戦車の数を計る。こちらの砲弾の着弾位置を測る。どうやったら確実に敵を殲滅できるか、最前線で図る。
バートはそのクラレンスの横を通り過ぎ、前に向かって歩き出した。
「あと350m、近づく。もっと正確な情報が得られる」
「撃たれるだろう」
「右から回り込めば見つからない。伏せていく」
「見つかる」クラレンスは前を一、二歩進んだバートに向かって言った。バートが立ち止まる単語を、彼は知っている。「撃たれたら、死ぬ。人間なら」
何度聞いても、その意味を理解できない単語。それを学習したいバートのAIが、その足を止め、クラレンスの方を振り向かせた。
「死ってなんだ」
「さあ……死んだことがないから、わからない」
クラレンスは曖昧に答えた。
クラレンスにあって、バートにないもの。
死の記憶。
死ってなんだ。クラレンスもずっと考え続けている。答えが出ない。
バートのAIがさらに聞いてきた。
「人は、死に恐怖を感じるんだろう?死のどこに」
クラレンスは記憶の中にある、死のページをめくりながら答えた。
「死ぬことそのものかもしれないし、死ぬまでの苦しみかも」
「いきなり死んだら、怖くないのか」
「うーん」クラレンスは考えた。彼の記憶から『いきなり死んだ』を引っ張り出す。
……目の前に迫撃砲を落とされて死んだ仲間の、最後の場面が浮かぶ。ほんの数秒前まで、祖国に帰ったらやりたいこと、を話していた。ほんの数メートルの違いで彼は死に、私は生き延びた……。
あのとき、彼は死を意識しただろうか。
クラレンスが死を考えるとき、何度も開くページ。
突然目の前で、どさり、と音がして、バートが倒れた。「撃たれた。いや、弾道センサーが私が撃たれたと判断して、私の動作制御機能をロックした」
「解説しなくてもわかる」
「話に夢中になった」
「人間みたいなことを言うな」
「私は失敗した。置いていけ」
「話すな。こうなると、次の私の任務は、君の回収と、ここからの撤収に変わる」
クラレンスは、バートの機械でできた重たいからだをひきずりながら、地面を這った。這いながら、演算した。
……今日は失敗だ。私がバートに話しかけたから。
……こっちの位置は向こうに知られた。
……頭を上げたら、次は自分が撃たれる。
……死を回避しないと。
……死ってなんだ。
……ロボットが壊れることは、死か。
……CPUが無事なら、死なないのか。
……死って、なんだ。
さっきのジープの音が、ふたたび近づいてくる。
首の後ろのチップで、シミュレーション終了のアラームが鳴った。
「……で、タイプBとタイプCの、任務完遂率を比較したところ……」
ディスプレイに映ったグラフを指しながら、バートとクラレンスの生みの親、タナカ博士が会議室で「お偉方」を相手に説明している。
「予想通り、どんな状況でもタイプCが好成績をあげています。危険予測、およびその回避行動はデータを取るごとに向上し、任務の成功率にも……」
誰かが話を遮った。さっき説明したことを聞いていなかったらしい。
「ええっと、Cってのは、死のデータを学習させてる方?」
「はい。戦地で得られた兵士の証言などをデータとして……」
また誰かが話を遮った。
「AIも死にたくないんだよ、要するに」
その言い方に博士は胸がちくりとした。危険回避率を上げるために、仮想とはいえ『死』を避けるよう、それを学習させた自分が、責められたように感じた。
「確実に成果を出せるならどちらでもいい。あと、コスパ、かな」
別の声に、静かな笑い声が起きた。笑い声が「お偉方」の口を軽くする。
「数回の検証だけではデータ不足だな」
「早く、だよ。こうしてる間にも、かの国が攻め込んでくるかも」
「あいつらにシリコンの皮膚はいらないな」
「金の無駄だ。受付に座ってるわけじゃあるまいし」
あっはっはっ。会議室に広がる笑い声。
「量産型にはつけません」営業部の男が慇懃に言った。「試作型には、博士がどうしても、と」
誰かが言った。
「なんでつけたの。お金、もったいない」
……あんたの家族が骸骨と内臓をさらけ出したままで毎日過ごして、それで気分がいいなら、またそう言いなよ。
そう口には出さずに、博士はそれらしい嘘をついた。
「シリコン皮膚の耐久性のデータも、同時に取りたかったもので」
タイプC。クラレンスは目を開けた。
画像認識ソフトが周囲を捉え、目の前に立つ人間の顔をデータベースから拾い上げ、再起動のプログラム通り、最初の一言が特殊シリコンの口から滑りだす。
「おはようございます、博士」
「おはよう、クラレンス」
「今日は何を」
「斥候のシミュレーション」
「今日もタイプBのバートと一緒に?」
「ああ」
AIが軽口を組み立てる。「飽きました。彼はいつも先に行きたがって、失敗する」
「あと数回で終わるだろう」
「わかりました」クラレンスは機械的に繰り返した。「あと数回か」
博士は、椅子代わりの充電ポッドに腰掛けているクラレンスを見た。
この顔と声のクラレンスとは、もう少しでさよならだ。データを取り終わったら、ネジとベアリングとギアとカムとバネむき出しの、もうクラレンスとは呼ばれない、たくさんのクラレンスたちがここから出ていく。戦場へ。
ふと博士は聞いてみたくなった。AIがどんな答えを言うのか、知りたくなった。まだクラレンスのうちに。彼がどこまで死を学習したのか、確かめてみたくなった。
「死って何かわかったかい?」
昨日バートに似たようなことを聞かれていたクラレンスは、すぐ答えを出した。
「さあ……死んだことないから、わからないです」
やっぱり、な。都合いい理由もくっつけたな。博士は少しがっかりした。
「でも、わかったこともある」
クラレンスは静かに続けた。
「私は死ねないんでしょう」
博士の心臓がとくん、と鳴った。
クラレンスの言葉そのものに。そして、その表情に。
AIは楽しげな顔も、悲しげな顔も、怒った顔も作らなかった。
ただ、虚ろに宙を見る顔を作り出した。答えが合っているか確かめるように、もう一度言った。「死ねないんでしょう?」
近いうちに量産されるクラレンス。
戦場で、死について考え続ける、たくさんのクラレンス。
最後に彼らがたどり着く答えは何だろう。
思わず博士は、彼の手に自分の手を重ねた。特殊シリコンの奥から、金属の冷たさと、温かなオイルの流れを同時に感じた。
博士は思った。
笑いながら会議室を去っていった連中に触れたら、もっとひんやりするに違いない。クラレンスを作った私はさらに、もっと。
遠くを見ているような顔をしているクラレンスに向かって、博士は言った。
「死について、考えるな」
クラレンスのAIは、プログラムと相反する命令を製作者から受けたことで、情報処理に少し時間を取らなければならなかった。「うーん」
博士の行動と口調と表情から、これは本当の命令ではない、と判断した。人の表情のデータの集積からその意味を推論した。思いやり。または、憐み。死を考え続ける私への。
そして、今の状況にもっとも的確な答えを演算した。
最後に彼は、記憶から、それを博士に伝える言葉を選び出した。それに合うよう、シリコンの皮膚を調整し、新しく表情をつくり直した。自分の運命は知っているが、それに逆らえない人間の、顔。
クラレンスは少し目を伏せたあと、さびしげに微笑んだ。
「ありがとう。博士」
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