境界線

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境界線

初めまして、皆さん。この世には人ならざる者が人に紛れて共存している事はご存知だろうか。とは言っても、全ての人間にそれらが見えている訳ではないので、「あの柱に傘を差した親子が居る」と言っても、訝しがられるだけだった。 小さい頃は、実の両親でさえその事を信じてはくれず、「気味の悪い子」と言われ、距離を取られる始末だった。挙句に弟まで産まれてしまったから、僕の存在は完全にない者になってしまった。 どれだけ頑張っても僕は“自慢の息子”にはなれなかった。 なので、ある時からそれを目指す事を止めた。 僕にはある日課があった。学校帰りに通学路にある神社に行く事だ。大きな赤い鳥居が三個ぐらい跨る階段を登り終えると沢山の友達が出迎えてくれる。 僕の一日は友達と暗くなるまで命一杯遊んで帰った後、家でこの事を日記に書いて終わるのだ。 この神社の神主さんは僕の両親や学校の人や近所の人と違って、僕の言ってる事を訝しんだりしないし、何時もにこやかでとてもいい人だ。 僕が行くと竹ぼうきを持って、微笑んでくれる。 「こんにちは。神主さん」 「こんにちは。今日も元気だね」 「うん。神主さんも元気?」 「ああ。元気だよ」 神主さんと交わすお約束の会話だ。 でも、今日は何時もと違った。 「今日は17時までにはお家に帰りなさい」 「どうして?」 「どうしてもだよ」 いつもなら、18時までくらいは居させてくれるし、一緒に遊んでくれる友達が家まで送ってくれるから夜道は安全だった。友達も「送って行くから大丈夫だよ」と神主さんに言ったけど、「どうしても駄目だ」と言った。 「お前は今日が何の日か忘れたのかい?」 そう神主さんに問われて、友達は一瞬空を仰いで考えた。何かを思い出したらしい友達はパーにした左手の掌の上にグーにした右手を打った。 「そうだった! 今日はあのお方がお越しになる日だった!」 「そうだよ。だから、駄目なんだ」 「そうか。そうか」 意味が分からないのは僕だけだった。だから、僕が「あのお方って?」と聞くと、二人は困った顔をした。 「う~ん。神様だよ」 「神様?」 「そうだよ」 「この神社の神様なの?」 「う~ん。この神社だけの神様じゃないけど、まあそうだね」 「ふ~ん?」 この時、どうして、二人が曖昧な答えしか返せないのか分からなかったけど、僕は後に神様本人と話してその意味を何となく理解する事になる。 でも、その話をする前に、僕の昔話をさせて欲しい。 僕は神社で友達と遊んだ後、その友達に必ず家まで送って貰う。 一番最初の頃、僕が学校帰りに家に寄らずにそのまま神社に遊びに行って帰りが遅くなってしまった時、両親は僕を心配していたらしく、後一歩で警察を呼ばれてしまう所だった事があった。 「お前は! こんな時間まで一人で何してたんだ!」 お父さんに玄関でそう怒られた時も僕の隣には友達が居たんだ。だから「一人じゃないよ」って言おうとしたんだけど、友達が僕の服の袖を引っ張って首を横に振った。僕はそれを見て言葉にするのを止めた。 散々、怒られた後、僕は自室で日記を書き始めた。僕の部屋は二階でその窓に友達が腰かけていた。 「ごめんね。今度からは君の家族にも視える様にしてから送るからまた遊んでね?」 「うん。僕こそごめんね。一度、家に帰ってから行くべきだったよ」 「じゃあ、またね」 友達は窓から飛び降りて、ひょいひょいと他の人の屋根を飛び歩き、去って行った。足音も小さくて、速足で帰って行く友達はあっと言う間に夜の闇の中に消えて行った。 「早く窓をお閉め。坊や」 友達の背中を見送り終わったとほぼ同時に人の顔をした白くて大きな魚が闇夜の中を泳ぎながらそう言った。彼女とは友達ではないけれど、近所のおばちゃん的存在で、僕が小さい時、窓から落ちたのを背中で受け止めてくれたりしてくれた。 「逢魔が時なんだから、さっさと家の中に入って鍵を締めな! カーテンもちゃんとするんだよ!」 世話焼きなおばちゃん魚はそう言って、僕に尾ひれをビュンと振ってゆったりと去って行く。僕はおばちゃん魚の言う通りに窓を閉めてカーテンをした。 ♦♦♦ 「あの子ったら……また一人で何か言ってるわ」 息子の部屋の外、聞き耳を立てていた両親はそっとドアを閉めた。 「仕方ないさ。あの子は病気なんだ」 「本当に病気なのかしら」 「病気以外に何があるって言うんだ!」 「だけど、私見たのよ! あの子が小さい頃に窓から落ちた時に、あの子宙に浮いてたのよ!」 「それは! お前も疲れていて、幻覚を見ただけだ」 「そんな事!」 「じゃあ、お前は信じられるのか。あの子の日記に書いてある“神社”や“友達の鬼”の事を!」 「それは……」 両親は彼が学校に行っている間にこっそりと机にしまってある日記を読んでいた。自分の子供の日記を読むのは良心が傷んだが、あの子は小さい頃から作文やその他諸々でもしょっちゅう「友達」の事を書いていて、それは大概、異形な存在だった。ネットや本で調べるとヒットする情報は大概「妖怪」や「物の怪」の類だった。 それが原因で虐められる事もあり、近所からも白い目で見られる始末で、夫の転勤に合わせて引っ越しする度に新しい友達が増えては白い目で見られる事を繰り返していた。 何度も「外でその話をするのはやめなさい」と言っても、小さかったあの子は理解出来ずに人に喋っては気味悪がられていた。可哀相に思う反面、自分もそう思う時があり、母親は悩んだ挙句、夫に相談してカウンセリングを受けさせる事にした。腕利きのカウンセラーが居ると聞いて、その病院まで足を運んでカウンセリングを受けると息子はピタリと妄言を言わなくなった。 この時、カウンセラーは私達にこう言った。 「妄想性障害が強く出ていますが今の所、やる気や食欲を失くしている訳でも無さそうなので、暫くの間は様子を見ましょう」 息子と二人きりで1時間程度話した後、私達を呼んだカウンセラーからそう言われて、私達夫婦は少しだけ胸を撫でおろした。「やはり、この子は病気だった」のだと思えたからだ。隣に座る息子の表情も心なしか晴れやかになっている様に見えて、本当に腕利きのカウンセラーなのだとその時は思った。 カウンセリングを受けたその日の帰り道、息子は私達と手を繋いで帰りながらも異形の話は一切しなくなった。只、何を話しても視線が合わないのだ。何処か違う所を見ていて、時々その方向へ微笑みかける事もあった。まるで誰かが居るみたいに。当然の事ながら、その方向には知り合いは居なかったし誰も微笑み返していない。幻覚が見えている事は明らかだった。 それでも、私達はそれに気付かない振りをして家に帰った。 その晩、息子は日記を書いていた。寝静まった時にこっそり読んでみるとやはり友達が存在していた。そして、その新しい友達にあのカウンセラーも入っていた。 「きょうは、あたらしいおともだちができました。おかのうえにあるびょういんにつとめている、きつねさんです」 息子の日記を読む限りでは、あのカウンセラーは化け狐であると記されている。 「きつねさんはぼくにいいました。ぱぱもままもそれいがいのひともきつねさんたちがみえないから、きつねさんたちのおはなしはそとでしちゃいけないといわれました。ぼくがしゃべるときょうかいせんがぶれてあぶないそうです」 カウンセラー基きつねさんは、息子に「友達の事を話すのは危険だからやめるように」と言ったらしい。どうして危険なのか、それは息子が陰陽師の力を継ぐ人間、即ち“継ぐ子”であり、その力を欲する悪しき者に襲われる可能性があるとの事だった。小さい頃に窓から落ちたのもそうした者達の仕業であり、それを救ったのが人面魚白顔(じんめんぎょはくがん)と呼ばれる妖怪らしい事、息子に存在を認められた異形には力が宿り、顕現する機会が与えられ、更にそれを息子が喋る事で無意識化で人々の間にその存在が根付いてしまう。 それらは最初は良い存在だったとしても人の思いによって穢されしまう傾向にあり、年月を重ねた古参達と違い、善悪も幼い故に極めて脅威になる。 この日記の最後には「玉藻の前より父君、母君へ」と記されていた。 つまり、この日記はきつねさんが息子を代筆として読ませたものだった。夫は信じなかったが、この日記が嘘には思えなかったし何より幼い子供がこんなに長々と文章を書けるとは思えなかった。 息子は言葉で言わなくなった代わりに、これまでの事を日記にしたためる様になった。それから、毎日、両親は息子の日記に眼を通している。その理由は玉藻の前と名乗るきつねさんから「これから、彼は日記を必ず記すでしょう。その日記を読み、彼の友達と行動範囲を把握して下さい。そして、異常があれば直ぐにカウンセリングをしに来て下さい」と書かれてあったからだ。 実に信じがたい事だが、従う他無かった。 そして、学年が上がるにつれて、その行動範囲に神社が追加され、角の生えた友達が登場した事で両親は焦り、直ぐにカウンセリングを受けに行った。 きつねさんは両親の前では絶対に正体を明かさなかった。 カウンセラーの体を崩す事無く、「様子をみましょう」と帰し、息子の日記上でのみ指示やアドバイスをくれるのだった。
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