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2. こころ
「小川先生、日替わりでいいですか?」
二限目の終わり、職員室に戻った小川に、数学教師の駒野が声を掛けてくる。彼は今月の当番で、宅配弁当の注文をまとめる役割を担っている。頼むメンバーは大体決まっているので、こうして直接聞いてくれるのだ。
「ああごめん、今日何だっけ」
尋ねると、駒野はメニュー表を読み上げてくれた。
「えっと、ハンバーグ、ミニオムレツ、ポテサラ……です。ちょっとカロリー高めですかね」
それを聞いて、小川はわずかに顔をしかめた。
「……おさかな弁当にするわ」
「はいー、じゃあ頼んでおきますね」
「ありがと」
駒野海斗は今年の新人で、若者らしく溌溂としている。同じ学年を教えていることもあり、また年齢も近いからか、小川によく懐いている。
何度か家に来たこともある、可愛い後輩だ。
「カロリー気にしてらっしゃるんですか?」
反対側から声を掛けてきたのは、同じ国語を担当する奥村だった。
「いやいや。実は昨夜、ハンバーグ食べちゃったんですよね」
「あら!」
くすくすと笑う奥村舞は、小川より二つ年上の二十七歳。彼女はいつも、昼は弁当を持参している。
「ハンバーグ、ご自分で作るんですか?」
「まさか。ファミレスですよ」
「お一人で?」
やけに突っ込んでくるな、と小川が返事をためらったところで、
「おっと。ごめんなさい次の授業行かないと」
と、奥村が立ち上がってくれたので助かった。
小川は小さく息を吐いて、自分も三限目の教室へ向かう。
二年一組。武藤陸のいるクラスだ。
小川が教室に入ると同時に、チャイムが鳴った。
陸の席はベランダ側の端の、前から二列目。全体を見回す中でほんの一瞬、意識を向けると、陸はぼんやりした顔でこちらを見ていた。眠そうに、口を半開きにして。
なんて顔してんだ。
心のなかで密かに笑う。
「はい、じゃあ前回の続きから。教科書開いてください」
日直の挨拶のあと、小川はいつもどおり授業を始めた。
「次、その後ろ……武藤くん」
「はい」
陸は座ったまま、教科書の朗読を始める。
「――Kが理想と現実の間に彷徨してふらふらしているのを発見した私は、――」
彼の声は聞き心地がよく、小川は彼の朗読が好きだった。よどみなくすらすらと読み進められ、リズムや抑揚もいい。本当は陸に全部読んでもらいたいくらいだが、そうもいかないので段落ごとに指名していく。
「はい、ありがとう。続きを、池田くん」
自分の番が終わった陸は、ほっとしたのだろう、窓の外に目を向けていた。日差しが当たって、彼の茶色い髪がキラキラと光って見えて、とてもきれいだった。
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