14. 田舎

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 ふたつ隣の駅は、たしかに少し栄えていた。  駅ビルには雑貨屋、洋服屋、本屋も入っていて、小ぢんまりとはしているが、買い物には十分事足りるだろう。 「あ、ごめんちょっと、本屋」  小川はスタスタと雑誌コーナーに向かい、いくつか演劇雑誌をめくっていたと思うと、今度は文庫のコーナーに移動して、やや腰をかがめて棚を覗いている。  目的のものが決まっているらしく、指をさーっと走らせてから、ぴたりと止めた。  小川はいつも本を読んでいる。  少しでも時間があると、鞄やポケットから文庫本を取り出してめくっている。一緒にいるときでも、陸が少し席を外して戻ってくると、小川は本にしおりを挟み、しまっているところを目撃する。  仕事で必要なのかと思い尋ねたことがあるが、単なる趣味、という答えだった。 「見つかった?」  いくつかの本を取り出しては裏表紙の解説やあらすじを読み、また棚に戻している。 「うーん。いや、大丈夫、やめとく」 「買えばいいのに」 「目当てのものはなかった。気になる本はあったけど、荷物になるからいいや」 「そう」  そんな会話をしつつ、じゃあ行こうか、と歩き始めたとき。  棚の下の本を整理していた店員が、ぱっと顔を上げた。 「あれ、小川くん?」 「ん? ……おう、」  小川はそちらに顔をやり、驚いて、少し固まっていた。  これは結構動揺しているように見える。こんなにキョドっている小川を、陸は見たことがない。  その女性の店員は立ち上がり、笑顔で近づいて来る。 「ひっさしぶりぃ。そっか今日一緒だよね」 「うん。……ここで働いてんの?」 「そうそう。地元で就職よぉ。なんか小川くん背ぇ伸びた?」 「や、変わってない、と、思う、けど」  喋り方までたどたどしくなっている。  小川は全く陸の方を見ようとしなかった。  さすがに陸も、ピンときた。  これは多分、元カノ。 「なんか聞いたことある声がするなーと思ったら。こちらお友だち?」  店員は陸の方へ笑顔を向けた。陸はできるだけやわらかい笑顔を浮かべ、軽く会釈する。  おそらく、陸がだいぶ年下だということに気づいたのだろう、彼女は少しだけ不思議そうな顔をした。 「うん、まあ。……今日、仕事終わってから来るの? 間に合う?」 「五時までだもん、余裕だよ」 「そっか。じゃあ、後で」 「オッケ。後でね」  彼女に挨拶をして、二人は本屋を離れた。  しばらく無言で歩いてから、椅子のある休憩スペースに来ると、小川は陸を促してそこに座った。 「いや、あのね」 「別にいいよ。元カノでしょ?」  小川に何か言われる前に、陸の方からそう言った。 「あ、やっぱ、わかるか」 「わかるって。……高校のときの? どれくらいつきあったの?」  これは単純に、興味本位だ。不思議と嫉妬心のようなものは湧かなかった。もっと動揺するかと思っていたが、全く平気でいる自分がいた。  過去は過去、だ。今隣にいるのは自分なんだし。 「そういうの、聞きたい?」 「んー。まあでも、今じゃなくていいや。あの人も夜一緒に集まるんだね」  さっきそんな会話をしていた。結婚する友だち、というのは、彼女のことではなさそうだが。 「うん。隠すような話でもないから、知りたくなったら聞いて」 「はあい」  陸はそう答えて、さっきの彼女のことを思い返した。  仕事中だからか、肩までの髪をひとつに束ね、白い襟付きシャツの上に、店のエプロンをつけていた。足元はジーンズにスニーカーだったが、すらりとした薄化粧の美人タイプで、細面の涼し気な人だった。  自分とは性別も違うし比べるべくもないが、全く違うタイプだった。  陸は丸顔だし、すらりともしていない。  気にするようなことでもないが、全く気にならないわけでもない。なんだか複雑な気持ちだ。 「この椅子、先生が高校の頃からあった?」 「場所はあったけど、椅子は変わっちゃったな。昔はもっと簡易的な椅子で、ケツ痛かったもん」 「あは。そうなんだ」 「ここに座って、ソフトクリーム食うんだよ。あの、今は花屋になってるあそこ、昔はジューススタンドみたいなとこでさ」  小川が指差す先を見た。  改札から駅ビルへ直結した入り口脇に、小さな花屋がある。  陸はそこにジューススタンドをイメージして、高校生の小川を立たせてみた。  高校生の頃、いったいどういう感じだったんだろう。  小川の思い出の場所を今日はいくつか歩いたが、まだつかみ切れていない。 「そういえば、先生今日泊まる割になんでそんな、荷物少ないの」 「いや、実家だし。大抵のモン揃ってるよ」 「そっかぁ」  ぽつぽつと、他愛ない会話をする時間が心地いい。いつもと違う電車に乗って、陸にとってはこれでも結構な遠出で、炎天下を歩いて、少し疲れてきたのかもしれない。  夕方が近づいてくる。  陸は、ふわ、とひとつ、あくびをした。 「……」  ふと目を開けると、身体が完全に斜めになって、何かにもたれかかっている。  何か、ではない。隣に座る小川だ。 「! ごめん!」  びく、と驚いて身体を起こすと、小川は穏やかな笑顔で陸を見ていた。 「おはよ」 「え、すごい寝てた?」 「全然。五分くらいかな」 「うわ……」  短い時間だが、完全に眠っていた。身体はまだぼんやりしているが、頭はすっきりと覚醒している。 「びっくりしたぁ、ごめんね」 「いいよ。疲れたんだろ、ごめんな」  小川のやさしい言葉を聞きながら、髪を整えて帽子をかぶり直した。  頬の右側に、小川の熱の余韻があった。  触れない、と決めたのに、思い切り肩を借りてしまった。  それが申し訳ない、と一瞬思ったが、そう思うのもおかしい気がして、何も言わなかった。  ただ、ドキドキしていた。  もっと触れたい、と思った。 「武藤くん、顔赤いよ」  そのセリフには、わずかにからかうような色が含まれている。陸はそれには答えなかった。 「おれ、ここからもう帰ろうかな。特快乗れるもんね」 「そうだね」  ちょうどいい時間だった。名残惜しいが、陸は一人で電車に乗って帰ることにする。  行きの電車は二人だったし、のんびり快速に乗って来たが、帰りはそれより速い特快に乗ることにした。  小川とは改札で別れる。 「じゃあ、気をつけて帰りなね。お母さんにも連絡しとくから」 「いいって、自分でするから。先生は連絡しないで」 「はいはい」  そう言いながら、どうせするんだろうな、と陸は思ったが、これ以上は言わなかった。  じゃあね、と手を振ってホームまでの階段を早足に上った。  こんなふうに駅で別れるなんて、初めての経験だった。いつも一緒に乗って、一緒に降りていたから、なんだか妙に寂しくなった。  いい一日だったな。  電車に揺られながら、陸は小川の育った街の景色をぼんやりと眺めた。  もう少し、元カノのことはつついてみてもよかったかも。  などと思いながら。
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