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ふたつ隣の駅は、たしかに少し栄えていた。
駅ビルには雑貨屋、洋服屋、本屋も入っていて、小ぢんまりとはしているが、買い物には十分事足りるだろう。
「あ、ごめんちょっと、本屋」
小川はスタスタと雑誌コーナーに向かい、いくつか演劇雑誌をめくっていたと思うと、今度は文庫のコーナーに移動して、やや腰をかがめて棚を覗いている。
目的のものが決まっているらしく、指をさーっと走らせてから、ぴたりと止めた。
小川はいつも本を読んでいる。
少しでも時間があると、鞄やポケットから文庫本を取り出してめくっている。一緒にいるときでも、陸が少し席を外して戻ってくると、小川は本にしおりを挟み、しまっているところを目撃する。
仕事で必要なのかと思い尋ねたことがあるが、単なる趣味、という答えだった。
「見つかった?」
いくつかの本を取り出しては裏表紙の解説やあらすじを読み、また棚に戻している。
「うーん。いや、大丈夫、やめとく」
「買えばいいのに」
「目当てのものはなかった。気になる本はあったけど、荷物になるからいいや」
「そう」
そんな会話をしつつ、じゃあ行こうか、と歩き始めたとき。
棚の下の本を整理していた店員が、ぱっと顔を上げた。
「あれ、小川くん?」
「ん? ……おう、」
小川はそちらに顔をやり、驚いて、少し固まっていた。
これは結構動揺しているように見える。こんなにキョドっている小川を、陸は見たことがない。
その女性の店員は立ち上がり、笑顔で近づいて来る。
「ひっさしぶりぃ。そっか今日一緒だよね」
「うん。……ここで働いてんの?」
「そうそう。地元で就職よぉ。なんか小川くん背ぇ伸びた?」
「や、変わってない、と、思う、けど」
喋り方までたどたどしくなっている。
小川は全く陸の方を見ようとしなかった。
さすがに陸も、ピンときた。
これは多分、元カノ。
「なんか聞いたことある声がするなーと思ったら。こちらお友だち?」
店員は陸の方へ笑顔を向けた。陸はできるだけやわらかい笑顔を浮かべ、軽く会釈する。
おそらく、陸がだいぶ年下だということに気づいたのだろう、彼女は少しだけ不思議そうな顔をした。
「うん、まあ。……今日、仕事終わってから来るの? 間に合う?」
「五時までだもん、余裕だよ」
「そっか。じゃあ、後で」
「オッケ。後でね」
彼女に挨拶をして、二人は本屋を離れた。
しばらく無言で歩いてから、椅子のある休憩スペースに来ると、小川は陸を促してそこに座った。
「いや、あのね」
「別にいいよ。元カノでしょ?」
小川に何か言われる前に、陸の方からそう言った。
「あ、やっぱ、わかるか」
「わかるって。……高校のときの? どれくらいつきあったの?」
これは単純に、興味本位だ。不思議と嫉妬心のようなものは湧かなかった。もっと動揺するかと思っていたが、全く平気でいる自分がいた。
過去は過去、だ。今隣にいるのは自分なんだし。
「そういうの、聞きたい?」
「んー。まあでも、今じゃなくていいや。あの人も夜一緒に集まるんだね」
さっきそんな会話をしていた。結婚する友だち、というのは、彼女のことではなさそうだが。
「うん。隠すような話でもないから、知りたくなったら聞いて」
「はあい」
陸はそう答えて、さっきの彼女のことを思い返した。
仕事中だからか、肩までの髪をひとつに束ね、白い襟付きシャツの上に、店のエプロンをつけていた。足元はジーンズにスニーカーだったが、すらりとした薄化粧の美人タイプで、細面の涼し気な人だった。
自分とは性別も違うし比べるべくもないが、全く違うタイプだった。
陸は丸顔だし、すらりともしていない。
気にするようなことでもないが、全く気にならないわけでもない。なんだか複雑な気持ちだ。
「この椅子、先生が高校の頃からあった?」
「場所はあったけど、椅子は変わっちゃったな。昔はもっと簡易的な椅子で、ケツ痛かったもん」
「あは。そうなんだ」
「ここに座って、ソフトクリーム食うんだよ。あの、今は花屋になってるあそこ、昔はジューススタンドみたいなとこでさ」
小川が指差す先を見た。
改札から駅ビルへ直結した入り口脇に、小さな花屋がある。
陸はそこにジューススタンドをイメージして、高校生の小川を立たせてみた。
高校生の頃、いったいどういう感じだったんだろう。
小川の思い出の場所を今日はいくつか歩いたが、まだつかみ切れていない。
「そういえば、先生今日泊まる割になんでそんな、荷物少ないの」
「いや、実家だし。大抵のモン揃ってるよ」
「そっかぁ」
ぽつぽつと、他愛ない会話をする時間が心地いい。いつもと違う電車に乗って、陸にとってはこれでも結構な遠出で、炎天下を歩いて、少し疲れてきたのかもしれない。
夕方が近づいてくる。
陸は、ふわ、とひとつ、あくびをした。
「……」
ふと目を開けると、身体が完全に斜めになって、何かにもたれかかっている。
何か、ではない。隣に座る小川だ。
「! ごめん!」
びく、と驚いて身体を起こすと、小川は穏やかな笑顔で陸を見ていた。
「おはよ」
「え、すごい寝てた?」
「全然。五分くらいかな」
「うわ……」
短い時間だが、完全に眠っていた。身体はまだぼんやりしているが、頭はすっきりと覚醒している。
「びっくりしたぁ、ごめんね」
「いいよ。疲れたんだろ、ごめんな」
小川のやさしい言葉を聞きながら、髪を整えて帽子をかぶり直した。
頬の右側に、小川の熱の余韻があった。
触れない、と決めたのに、思い切り肩を借りてしまった。
それが申し訳ない、と一瞬思ったが、そう思うのもおかしい気がして、何も言わなかった。
ただ、ドキドキしていた。
もっと触れたい、と思った。
「武藤くん、顔赤いよ」
そのセリフには、わずかにからかうような色が含まれている。陸はそれには答えなかった。
「おれ、ここからもう帰ろうかな。特快乗れるもんね」
「そうだね」
ちょうどいい時間だった。名残惜しいが、陸は一人で電車に乗って帰ることにする。
行きの電車は二人だったし、のんびり快速に乗って来たが、帰りはそれより速い特快に乗ることにした。
小川とは改札で別れる。
「じゃあ、気をつけて帰りなね。お母さんにも連絡しとくから」
「いいって、自分でするから。先生は連絡しないで」
「はいはい」
そう言いながら、どうせするんだろうな、と陸は思ったが、これ以上は言わなかった。
じゃあね、と手を振ってホームまでの階段を早足に上った。
こんなふうに駅で別れるなんて、初めての経験だった。いつも一緒に乗って、一緒に降りていたから、なんだか妙に寂しくなった。
いい一日だったな。
電車に揺られながら、陸は小川の育った街の景色をぼんやりと眺めた。
もう少し、元カノのことはつついてみてもよかったかも。
などと思いながら。
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