朗報

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 もう何年か前の話になるが、家族で行ったショッピングモールのフードコートで、ある光景に遭遇した。  ギャンギャン泣き叫ぶ赤ちゃんをベビーカーに乗せて、母親らしき女性がラーメンをかき込むように食べている。どうしたのだろうと家内に目顔で聞くと、うちも覚えがあるから解るでしょ、と言われた。  乳児はどうしたわけか、親が食事をとる気配を察する。こちらが台所に立って料理しているときには知らん顔しているくせに、座って、さあ食べようという段になってから「おら! 何やってんだ!」とばかりに自己主張を始める。すぐ隣で赤ん坊に涙を絞って泣きわめかれたら、焦ってしまう。食べた気がしない。俺はそうだ。  長女が生後二か月位の時だったろうか。休日、昼食を作っていた家内が台所で立ったまま先にご飯を食べ、こちらに食事を出した後で泣き始めた娘を抱っこしてダイニングを出ていったことがあった。 「最近さぁ、食べようと席に着くと泣かれるんだー。そんな時期になったんだねー」 とは聞いていた。「そういう仕様なんだよ」と、口では「気にしてない」「慣れっこだ」と言う家内も、泣かれるのはやはりいい気はしないのだ。そこで、極力泣かさないように編みだしたのが、「台所で立って食べる」という戦法。そして、俺にはゆっくり食べてもらおうと、何も言わずにぐずる娘を連れて部屋を出たのだ。家内だって、本心では急かされずにゆっくり食べたいだろうに、と申し訳なくなった。  そんなわけで、「こういう仕様なのだ」と解った時から、俺がいる日の食事どきは、交替で食べるようにした。 「なんで、食うタイミングってバレるんだろう」 と家内と一緒にゲラゲラ笑いながら、交替で抱っこするのは楽しかった。次女の時は、「例の時期が来たよー」という家内のニンマリ顔で、ああ成長してるんだな、と思ったものだ。  件のフードコートの母親は、きっと、買い物途中、ベビーカーに乗った我が子が眠ったのを良いことに、久しぶりにあたたかいラーメンでも食べようかと思ったのだろう。湯気の立ったどんぶりを席に置いて、さあ、食べ始めようとしたその瞬間に我が子が目覚めてぐずりだす。手に取るように状況が解る。  吹き出す母親の絶望感と焦り。なんと気の毒な……。せめて食事くらいゆっくりとってほしいと思う。 「こういう時に、『赤ちゃんの面倒を見てあげるから、ゆっくり食べてね』って気兼ねなく声をかけられたらいいのにねぇ」  家内は溜息をついた。  今時のご時世、医療職の家内でさえ、見ず知らずの人に声をかけるのは(はばか)られるのだそうだ。中年オッサンの俺など、母親にドン引きされるのがオチだろう。 「変な人もいるからねぇ……」  子連れは咄嗟に身動きが取れないので、悪意をもって嫌がらせをする(やから)もいるらしい。  心配顔で見つめていたら、家内が袖を引いて眉をひそめた。 「あんまり見ると、非難されてると思っちゃうから知らんふりしてあげて」  ええー……、見守ることすら出来ないのか……。 「こういう時とかスーパーのレジとかさ、ちょっと赤ちゃん見て欲しいって時に、気兼ねなく頼める人がいればいいのにねー。昔は、周りの人が気遣ってくれたりしたらしいけど……」 「そうだなぁ……」  抱っこして見てあげられるのだったら、どんなに助かるか知れないのに。
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