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工業団地育ちの家内は、ご近所同士で赤ちゃんを預かったり預かられたりという環境が普通だと思っていたらしい。
若奥さんが赤ちゃんの黄昏泣きに難儀していると、洗濯物を取り込んでいたお隣さんがベランダ越しに声を掛け、もう大分大きくなった我が子を子守に派遣していた話とか、夏場開け放していた玄関に、同じく玄関を開け放していた向かいの世帯の赤ちゃんがハイハイでやってきて、いつの間にやら面倒を見ることになっていた話とか……。
家内の子ども時代の話は、同世代の俺でも考えられないようなオープンな子育てエピソード満載だった。よその赤ちゃんを膝に抱えてテスト勉強してたなんて話も、家内以外の人から聞いたことがない。
地方から集まってきた者同士。モーレツ社員が普通だった世代。慣れない土地で子育てをする専業主婦の若い母親たちとすれば、遠くの血縁より近くの他人の感覚で、協力し合いながらやっていくのが自然だったのだろう。
「お互い様が普通だったころと今では子育て事情がちがうのよね。みんな、気持ちに余裕がないし、赤ちゃんが身近でない人も多いから、どう扱ったらいいのか分からないの。自然に手助けの手が伸びることがない」
家内が仕事に復帰する前は、子育て支援センターや、子どもが通っていた園のママ友と協力し合っていたらしい。現役子育て中同士が助け合うのは、気安さもある一方、預かる側の大変さも解るから、そこはそれで気を遣うらしかった。
子どもとかかわる層が完全にクローズドになってしまい、当事者だけが問題意識を共有している現状は、世代間の知恵の継承という意味でも、当事者にならないと問題点が解らないという意味でも、あまりいいことではないと、家内は常々言っていた。
「『泣いてもいいよ』バッジとか、子育て中の人が肩身の狭い思いをしないような意思表示的なものは最近出てきたけど、それだけじゃないんだよなぁ」
「第三者が気軽に手を貸せれば、もっと親の気持ちが楽になれる……ってことか? 手伝う方も大変さと可愛さが解るしな」
「気兼ねなく無償で手助け出来る環境が欲しいよね。まぁ、姑的なお節介はノーサンキューだろうけど。とある地方自治体では『赤ちゃん抱っこ師』って認定制度があって、研修を受けた人が商業施設とか公共交通機関とかで活躍してるらしいよ」
「『赤ちゃん抱っこ師』? 何をするんだ?」
「ロゴが付いてる派手なジャケット着てね、商業施設だったら、例えばレジのとことか売り場とかトイレとか、公共交通機関だと乗降口とかにいて、赤ちゃん連れから『ちょっと手伝ってくださーい』って呼ばれたら駆けつけて手を貸すんだって。『ママにゆったりランチを』って企画もあってね、登録した飲食店には『赤ちゃん抱っこ師』が派遣されて、お母さんたちが食事している間、赤ちゃんの面倒を見たりもするの。プロのシッターさんや保育士さんだと頼む方もお金がかかっちゃうけど、基本、ボランティアだからそこはクリアみたい」
「それいいなぁ……。国全体でやらないかな」
「えっ?」
家内はビックリした顔でオレを見た。
「赤ちゃん抱っこ師やりたい。泣いてる赤ちゃんを抱っこするとか、ちょっとだけ代わりに見ててやるとか……。そしたら、俺の仕事のストレスも吹っ飛ぶのになぁ」
「わー。赤ちゃん好きに洗脳したのは認めるけど、そこまで来てたとは知らなんだわ」
「ずっと、オカさんを羨ましー羨ましー言ってただろ?……赤ちゃん、抱っこしたいんだよなぁ……。フワフワムチムチが懐かしい」
「……なるほど」
オレが遠い目をすると、家内はニヤリと笑った。
「とある地方自治体の情報を知ったのは、お手伝いしてる子育てNPO団体が、これを国家資格にしようっていう運動に参加してるからなんだよねー。先鋒を担ぐ議員さんとか有名人とか巻き込んで、次の国会で提案するらしいよ。近々、広報イベントも立ちあげるらしいから、後でSNSアカウントも教えるね」
「ええっ? ホントに国家資格にするつもりなのか?」
「目指せ一億総子育て支援員! なんだってさ」
「……大きく出たなぁ」
「子育てを魅力的にするために、お国は必死なのよ」
魅力的でないと子育てをする気にならない、というのは困った話なのだが……。でも、これが法整備されて公の資格になるのだとしたら、それは有難い。俺は、『赤ちゃん抱っこ師』の国家認定を夢見るようになった。
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