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明日
明日
穏やかな三月の光と風が、まだ寒い東北の海岸線に降り注ぐ。
車の後部座席では
小田原から送ってもらった蜜柑の苗が揺れている。
振動に合わせて揺れる幹や葉の音が、
自分たちの行く先を植えられるはずのその先を噂しあってるように聞こえる。
ハンドルを今一度しっかりと握ると、
明は目の前の道を見つめた。
寺に寄って行こうかと、
前日の夜まで悩んだが、
きっと今回あそこに行くと話をした人たちから伝わると思い、
真っ直ぐその場所を目指すことにした。
慰霊の日に間に合えば良かったのだけど、
空の上では暦なんてきっと関係ない。
でもやはり、三月。
祥月、この月にということは外せなかった。
二年前に浅田先生と走った道を、
次の春には健太を連れて走った道を今日は一人で走る。
海は静かで、
じっと春を待っているように、
穏やかに波を寄せている。
もう少しだけ、泣いたら、
あの土地に陽子の考えていた家を作ろう。
あの録音された日記に語られていた、
陽子の夢を、未来を、
作ろう。
果樹園に囲まれて、
おじいちゃんおばあちゃんと子どもたちも一緒に。
子どもたち………
そこにはきっと俺のことも入れてくれていたんだ。
陽子のお喋りは、
なんで?という苦しみから、
どんどん解放されて、
あの神社の前の、
海のそばの丘に
桃や柿や林檎や木や花を植えて、
野菜を作って。
みんなで収穫の時を笑って過ごして、
子どもたちの友だちをたくさん集めて、
お菓子やパンを作って。
そんな夢を沢山詰めて。
今住んでいるここからは蜜柑を持って行こう、植えてみよう。
蜜柑の栽培の北限は福島の広野だから、
もしかしたらおじいちゃんおばあちゃんの家にも健太の大好きな蜜柑が育つかもしれないよって、
楽しそうにさもそれができるように健太におしゃべりする陽子の声。
それに応える幼い子どもの甘い声。
何度も何度も聞いて、
胸にしっかりと収めた。
彼女の最期の声は、
明日がちゃんと来ると信じていた声だった。
明日を楽しみに生きていた声だった。
明はそれを聞いて、
聞いて聞いて、
繋ごう、陽子の、言葉を繋ごう。
と何度も何度もその気持ちを確かめて、
皆に声をかけた。
これまで、知り合ってきて、助けて、助けられて、支えて、支えられてきた人々。
それに気づいたから、
何人もの人たちに連絡をした。
木を植えるのを、地を耕すのを手伝ってくれませんかと。
今日はその日、約束したその日。
神社の山が見えて、ハンドルを左に切ると、
そこにはもう何台かの車が待っていた。
車を止めて、蜜柑の苗木を下ろす。
サワサワと挨拶をしながら集まって来た人たちに一つ頭を下げた。
蜜柑の苗木を渡すと、
返される言葉。
「 おかえり 」
経で鍛えられたその太い声に頷くと、
哀しくないのに、
辛くないのに
心が満杯になって、
頬を涙が辿る。
手の甲でざっと目をぬぐったその先に見えるのは、
明を囲んだ人たちの笑顔で。
その向こうの遠くの空から、
頑張って
と小さな声が聞こえた気がした。
了
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