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2-2
第一王子、シーグルド。その名前に驚いて再び目を大きく見開く。王子の婚約者はパトリシアのはずだ。今から婚約など結べるはずがない。
「王子はウィトレー家のご息女とご婚約中のはずです! 私が今から婚約など出来るわけがありません」
「出来るじゃない、よく考えてリリア。相手は王子なのよ」
おば様は笑顔で私を見つめる。私の頭はすでに答えに辿り着いていた。
「……私を、公妾にされるおつもりですか?」
「ええ、そうよ」
公妾。つまりは、私を王子の側室にするようなものだ。実の姪にそのような仕打ちをするおば様が理解出来ない。なぜよりにもよって王子の公妾なのか。
「いいじゃない。公妾でも、身分は三大貴族家より上。上手くすれば王妃になれるかもしれないわ。そうしたらヤーフィス家もより権威を高める。良いことしかないでしょう」
おば様はそう言ってせせら笑う。彼女は本気だ。本気で私を王子の公妾にしようとしている。それでも、私は大人しく従うしかないのだろうか。言い表せない気持ちが心の中に渦巻く。
「でも、王子が了承するはずがありません。第一、彼に今側室は1人もいないのですから」
「今一番勢いのあるヤーフィス家の申し出を断る方がどこにいるの? たとえ王子が拒否しても国王は承諾される。それに、あなたが嫌ならば代わりにシャルロットを公妾にするだけよ」
その言葉に、堪忍の緒が切れる。私は立ち上がっていつも護身用に身につけている短剣をおば様の首に突きつけた。
しかし、おば様は動じず、ただ私を見つめる。私は静かに口を開いた。
「おば様がその気なら、私は今すぐあなたを殺してヤーフィス家の当主になる。そうすれば、全て解決するわ」
「……やりたければやればいいわ。あなたにその度胸があるならね。でもきっと、あなたのお母様は悲しむでしょうね。"実の姉"を"実の娘"に殺されるだなんて」
おば様はそう言うと不敵な笑みを浮かべる。心臓がドクドクと鳴り響く。私はおば様なんて嫌いだ。私が今この手を動かせば、確実に彼女を殺せる。でも、私のお母様はきっとこんなことを望まない。それに、おば様はお母様と本当にそっくりで、まるでお母様を殺すような、そんな酷い錯覚を起こした。
考えた末、私はゆっくり短剣を下ろす。そして鞘に短剣を収めた。
「そう、それでいいのよ。大人しく私に従っていれば何不自由なく生活させてあげる。仲良くしましょうリリア」
そう言っておば様に握手を求めて手を出される。しかし、私はその手には触れず、部屋を出ようと立ち上がった。
「失礼します」
そう言って扉まで歩き、部屋を出ようとすると、おば様に止められる。
「そういえばね、シャルロットの縁談ももう決めているの」
その言葉に振り向く。再び緊張が走る。
「……どなたです?」
「アルセン公爵家、エル・アルセンよ」
その名前に息を呑む。まさかここで、エルの名前が出て来るなんて想像も出来なかった。私は平静を装って話す。
「なぜ、エルを?」
「アルセン家と親交を持ちたいからよ。でもアルセン家に関しては、お返事を頂けないとまだ分からないけれどね」
そう言っておば様は再びティーカップに口を付ける。そしてカップを皿の上に置いた。
「そう、ですか」
私はそう返事をしておば様の部屋を出た。
言い表せない気持ちに苛まれる。一度にたくさんのことを突きつけられ、頭の中は混乱していた。
まず、私はもうヤーフィス公爵家の跡取りではなくなるということ。おば様が組む予定の私と王子との縁談で、私は公妾になることが現時点でほぼ決まっている。つまり、お母様から頂いた神槍もおば様に返さなければならないし、きっと学校卒業と同時に宮殿で暮らさなければならなくなる。
第二に、シャルロットがエルと婚約するかもしれない。これは現時点では未確定だ。私にはエルがどう決断するかは分からない。しかし、私の視点から言えば、シャルロットがエルに嫁いだらヤーフィス家にいるよりは確実に安全だ。姉としては、この縁談を成功に導く方が良いだろう。
しかし、私の心で何かがつっかえる。これが妹にとって良いものであるというのに、どうしてこんなにも胸が痛いのだろう……。
私は幼い頃から、ずっとエルが好きだった。エルは私のことを妹のようにしか思っていないはずだ。しかし、私にとってエルは優しい兄でありながら、同時にずっと恋焦がれる人だった。
部屋に戻ると、自然と涙が出て来る。色々なことを考えすぎて、私は疲労し切っていた。私は項垂れるようにベッドに腰掛けると静かに横になった。
後日。私の縁談は本当に国王に承認された。アナにあれだけ王族に近寄らない方がいいと言われていたのに、まさかこうなるなんて思ってもいなかったことだ。今日、私は第一王子と面会に行かなければならない。
第一王子、シーグルド。きっと高貴な人なのだろう。でも私にとっては、いつも倉庫先で会っていた、王子と同名のシーグルドの方がよっぽど良かった。彼は貴族ではないようだが、着飾らない彼が私は好きだった。
しかし、何を言っても後の祭り。私はもう、アーノルド家の人間ではない。リリアーヌ・ヤーフィスなのだ。後ろを向くわけにはいかない。
私は生地の良いドレスを着ると、いつもより少しだけ着飾り上着を羽織る。そして王都行きの馬車に乗った。
ヤーフィス家は北区にあるが、アーノルド家より圧倒的に王都に近い。馬車で数時間すると、もう王都の街並みが見えた。先月振りの王都のはずなのに、何故だか数年も来ていないような感覚になる。まさか次ここに戻る時に、何もかも変わっているとは思わなかった。
しばらくして、馬車が止まる。馬車から外を覗くと、そこは豪華な造りの宮殿が待ち構えていた。
私は降りるように言われると、宮殿に入っていく。宮殿の内部はヤーフィス家よりも目を見張るほど豪華で、美しい装飾品に目を奪われた。
私は使用人とともに面会室へと入る。そこで第一王子を待った。数分、十数分部屋で待たされる。この苦痛な時間は実際の時間をより長く感じさせた。
そうしている内に扉が開く。宮殿の使用人が扉を開けた。
「シーグルド王子がお越しです」
私はその言葉を聞くと、ドレスのスカートを両手で軽く持ち上げて深くお辞儀をする。使用人の後ろから小気味好い靴音を響かせて1人の人物が近づいてきた。
その人物が自分の前に立ったことが分かると、静かに顔を上げる。視界に入ったその人物に、私は驚きのあまり呼吸を止めた。
「初めまして、リリアーヌ・ヤーフィス殿。俺はシーグルド・イサーク。王国の第一王子だ。よろしく」
そこに立っていたのは、いつも倉庫の正面先で会っていた、私のよく知るシーグルドだった。
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