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 それから数日後。流れるまま時は過ぎ、授業が始まった。こうして再び普通に授業を受けられていることが、まるで奇跡のように感じる。それほど私の当たり前だった日常は、非日常へと変貌を遂げていた。  周囲からの私への目は、大きく変わった。ヤーフィス公爵家の跡取りから公妾への変化。事情を知らない人から見れば、私はお金や権力に目が眩んだと思われているのだろう。  かといって、公妾はそんなに良いものではない。公妾には身分はあまり関係がなく、貴族でなくてもなれる。当然、ヤーフィス家の跡取りの方が名誉はある。  しかし、私にとってはむしろ、ある意味では好都合なのかもしれない。もうしばらくはヤーフィス家の跡取りだと騒がれることはない。跡取りの座はお母様との約束だから諦めないが、今は大人しく時に身を委ねるのが良いと思った。  もちろん、新しい苦しみは多々ある。特に、パトリシアとの対立は面倒なことの一つだった。 「リリアーヌさん、何だか暗い顔ね。ああ、ひょっとして亡きご両親のことをお考えかしら? 突然跡継ぎを辞退して公妾になるだなんて、きっとさぞかし、ご両親もお嘆きになっていることでしょうね」  パトリシアは以前よりも攻撃的になっていた。彼女はシーグルドの婚約者だから気持ちは分かるが、彼女の発言はやはり好かない。私はあっさりと言い返した。 「そうね、あなたの言う通りよ。きっと嘆いているわ」  私がそう答えるとパトリシアが拍子抜けしたような顔をする。きっとそうだから否定しようがない。私は彼女を無視して次の授業の準備を進めようとすると、彼女に教科書を取られる。 「やけに素直なのね、張り合いがないわ」 「……返してちょうだい」  私はパトリシアにそう言うが、彼女は返そうとしない。私は立ち上がりパトリシアを睨む。すると彼女は唐突に、私の両親の話を振ってきた。 「ところで。ご両親、馬車の転倒なんかで亡くなったって本当? 神聖魔法まで使えるのに随分呆気ないのね」  パトリシアのその言葉に私は目を見開いて息を呑む。怒りを通り越した何かが私の中に込み上げた。体がわなわなと震える。瞬間、私はその何かに突き動かされるように、効き手を彼女の首元に添えた。  彼女はその拍子に私の教科書を教室の床に落とす。目を大きく見開いて冷や汗をかく彼女に向けて、私の口から勝手にドスの利いた声で言葉が溢れていった。 「パトリシア、口を慎んだ方がいいわ。今まで私は、あなたに魔法を使ったことはなかったわね? ……私が今この手を振るえば、あなたなんて簡単に殺すことが出来る」 「っ……」  そう言って彼女の首に手を押し付ける。私は話を続けた。 「いい? これから先、またお父様とお母様を悪く言えば……迷わずあなたを殺す」  私が強い視線で彼女に肯定を促すと、彼女は声なく必死に頷いた。  私は添えていた手をゆっくり離すと、彼女が落とした私の教科書を拾い上げる。教室はいつの間にか、しんと静まり返っていた。私はアナに声をかける。 「アナ、行きましょう」 「ええ……」  私たちは教室を出る。移動教室までの道をいつもと変わらない歩幅で歩いた。  彼女を結果的に脅してしまったが、後悔はない。亡くなった両親をあんな言い方で侮辱されたのだから、怒り心頭になるのは当然のことだった。  それに、お父様とお母様は名目上事故になっているが、恐らく他殺。どこかに2人を殺した犯人がいる。犯人が平凡に今もどこかに暮らしていると考えると、激しい怒りが込み上げてくる。  しかし、私の頭はどこか冷静で、冴え渡っているのが不思議だった。先程の出来事がありながら、澄まし顔でいる私にアナが心配そうに声をかけた。 「リリア、大丈夫?」 「大丈夫よ。あんな言い方をされて、少し頭に血が上っただけ」  私は淡白に答える。あの反応を見るに、おそらくパトリシアはしばらくの間、私に何もしてこないだろう。そう考えると面倒事が一つ減って楽になるかもしれない。  私が心の中でそう思っていると横を歩くアナが口を開いた。 「さっきの言葉、本気なの?」  私はふとアナの顔を見る。アナは少しだけ俯いていた。私は嘘偽りなく話す。 「……本気じゃないわ。パトリシアにお父様とお母様を侮辱されて、つい口走ったの」 「そう。それなら良かったわ」  アナが安心したようにそう言う。彼女は言葉を続けた。 「リリア。私はもうこれ以上、あなたを不遇な目には合わせたくない。くれぐれも無茶はしないで」 「……ありがとう」  そんな会話をしていると、いつの間にか次の授業の教室に着く。私たちは教室に入った。  しばらくすると鐘が鳴り、授業が始まる。しかし、パトリシアが教室に来ることはなかった。おそらく保健室にでもいるのだろう。少し怖がらせ過ぎてしまったかもしれない。  色々なことを考え過ぎて、授業の内容が全く入ってこない。私は結局上の空のまま、この時間の授業を終えた。  授業を終えて教室に戻ろうとすると、ふと廊下に人影が見える。扉を背に後ろ向きに佇むその人影をよく見ると、それは私の知っている人物だった。私は隣で授業を受けていたアナに声をかける。 「アナ、先に戻っていてくれる?」  アナは扉の前の人影を見ると、私がそう言った理由を察して頷き、教室を出て行った。  私は誰もいなくなった教室の扉の前まで行ってその人に近づく。そして声をかけた。 「久しぶり、エル」  その人が振り返る。そこにいたのは、いつもと何ら変わりないエルの姿だった。 「……リリア、久しぶり。元気にしている?」 「私は大丈夫、ありがとう」  私から会いに行こうとしていたが、まさかエルから来てくれるとは思っていなかった。エルはしばらく私を見つめてから口を開いた。 「今から少し話せる?」 「ええ、話せるわ。私も、あなたに話したいことがある」  次の授業までは時間がある。私はエルの提案に了承すると、2人で校舎の裏庭へと向かった。  裏庭に着くと、人はまばらにいるだけで校舎よりも格段に静かだった。私たちは椅子に腰掛けると、エルが言った。 「君に、何もなくて良かった。僕は君のご両親のことを聞いてから、気が気じゃなかった。君が傷ついているんじゃないかって」  エルが苦しそうにそう言う。彼が私のことを心配してくれていたことに、嬉しさもあったが、苦しくもあった。私はゆっくり口を開く。 「私は問題ないわ。それよりも、私はシャルロットのことが心配なの。縁談の話は、聞いた?」  私がそう言うと、エルは俯いていた顔を上げる。そして真剣な顔をして言った。 「もちろん聞いてる。君のおば上が決めた縁談だろう。でも、僕は受ける気はないよ」 「……あなたが縁談を受けてくれたら、シャルロットは安全だわ。音楽の夢も諦めなくて済む。あなた以上に任せられる人なんて、いない」  自分でそう言いながら切なくなる。胸がとても痛かった。彼は私たち姉妹とは昔から仲が良いし、私からお願いすれば受け入れてくれると思っていた。しかし、彼はつらそうに言った。 「いくら君からのお願いでも無理だ。絶対に」 「どうして?」  私は反射的にそう聞き返す。エルはゆっくり口を開いた。 「だって僕は……リリア、君のことが好きだから」  彼が苦しそうに言ったその言葉は、私の心を抉るように突き刺さった。
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