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2-6
彼の言葉に一瞬全てが真っ白になる。言葉の意味がすぐには理解出来なかった。しかし、その言葉は徐々に私の心に鮮明に入ってくる。一番聞きたかったはずの、待ち望んだはずの言葉。それなのに、私の胸は悲しみで張り裂けそうになった。
私は戸惑いを隠さずエルに言った。
「そんな……本当に?」
「本当さ、嘘偽りなんてない。小さい頃から、無邪気な君が大好きだった。でも、僕たちはお互い家の当主となる身で、結ばれることのない運命。だからこの気持ちも、一生留めておくつもりだった」
エルがそう語り出す。私は彼の言葉の続きを待った。
「でも運命の悪戯で、君はシーグルドの公妾になった。自分の気持ちを抑えられなくなったんだ。君がヤーフィス家の当主でなくなるなら、僕は君を選ぶ。奴になど渡さない」
エルはそう言って怒りで体を震わせる。彼が怒りの感情に苛まれるところは初めて見た。
私は彼を何とか落ち着かせたい一心で言った。
「私は、ずっと公妾のままではいない。いつか必ず、おば様から当主の座を奪い返す。お母様との約束だもの……」
私がそう言うと、エルは私を見上げる。そして、荒い呼吸を整えるように息をした。
彼は呼吸を整えると、私に疑問を投げかけた。
「でも君は、ヤーフィス家を嫌っていたはずだ。今回の要因を作ったのもヤーフィス家のおば上なのに、どうして今更そんなに固執するの?」
「……嫌いだったわ、ヤーフィス家なんて。でもいつかの日、お母様からあの神槍を受け取って、気づいた。ヤーフィス家を継ぐのが、私の使命だって」
私がそう言い切ると、エルは力なく笑って言った。
「そっか……君はやっぱりすごいや。僕にはないものを持って、こんな逆境に立たされても動じない。僕とは正反対で、君は前に進んでいく。それでも、僕は……」
「……ごめんなさい」
本当なら、私だって言いたかった。私もあなたのことが大好きだったと。でももう、言うべきじゃない。歩み出した彼の足を止めるわけにはいかないのだから。
決して叶うことのない恋。私たちはどんな形になっても結ばれることはない。私の初恋は、ここに完全に終わったのだ。
彼は一筋の涙を流す。顔を伏せていたため、彼の目はよく見えなかった。
しばらくして、彼は涙を拭うと伏せていた体をゆっくり元に戻す。そして私に力なく言った。
「こんな話をしてごめん。君の邪魔をする気はないから、安心して。でも、縁談は断らせてもらうよ。シャルロットにはきっと僕よりも良い人が見つかるはずだ」
「分かったわ」
私はそう返事をする。これ以上彼にこの話を勧めるのは無駄のようだった。
話が一区切りついて、私はずっと疑問に思っていたことを彼に聞いた。
「そういえば、シーグルドが王子だってこと、どうして教えてくれなかったの?」
私がそう聞くと、彼はシーグルドという言葉に反応する。彼は露骨にシーグルドへ怒りの感情を露わにした。
「あいつに脅された。君には言うなって。あいつは王子であるのをいいことに、いつも好き勝手してる。……すまないリリア。家族が王族に目をつけられてはいけないと思った」
「賢明な判断だわ。私でもそうしてる」
私がそう言うと彼は安心したような表情をした。しかし、すぐに険しい表情に戻ると私に告げた。
「分かったと思うけど、あいつは自分勝手に他人を扱う危険な奴だ。ヤーフィス家の跡継ぎに戻る手立てを考えついたら、一刻も早く離れた方がいい」
「……心しておくわ」
私がそう言うと、校舎の方からチャイムが鳴る。私は椅子から静かに立ち上がった。
「私、そろそろ行くわ。今日はありがとう」
私がそう言うと、彼は微笑んで言った。
「こちらこそありがとう。……お互い別の道だけど、これからも僕は君のことを応援してる。何かあったらすぐ飛んで行くから」
「私も、エルに何かあったらすぐ駆けつけるわ」
私たちはお互い手を伸ばし、握手をした。私たちの関係はこれからも変わらない。例え、どんなに辛い現実が待っていようとも。
私たちは重ねていた手を離すと、背を向けて別の方向へ向かって歩き出す。道は違くても、いつかまた道が交わることを信じて。
それからまた数日後。あの日から、パトリシアは直接私に関わらなくなった。面倒事が減って、私は再び一見平穏に見える日常を取り戻していた。彼女は直接は何もして来なくなったが、聞こえるような憎まれ口を言うのは相変わらずだった。
あれからあっという間に時は過ぎ、私は4学年へと進級した。4学年に進級してからは、私は勉強よりもあることに関心を向けていた。それは、王国内外を実際に目で見て回ることだ。
私は学校の長期休暇を利用して、まず王国内を旅して回った。私は出身地の北区、セーヴェルしか知らない。違う地域の民がこの国でどのような生活をしているのかを知りたくなった。それと同時に、ヤーフィス家にいることに嫌気が差していたという理由もあった。とにかく、何かをしていないと自分が自分ではなくなってしまうような気がして嫌だった。
王国内のさまざまな地域を回って、愕然とした。魔法によって分けられた暮らし。社会的弱者を見捨てた王国の社会。その隔てが、地方では明確に現れていた。確かにイサーク王国において、魔法を使えない人はほんの僅かで、私自身もほとんど見たことはない。しかし、確実に彼らはいるのだ。
マイノリティである彼らは、この国で厳しい生活を強要されている。これは由々しき事態であるというのに、王国は何もしようとしない。明らかに異常だ。
私は旅をしながら、王国への怒りを募らせていく。この王国は狂っている。貴族や王族、力のあるものたちが弱者を虐げるなど、あってはならないことだ。
夏の終わり、私は旅をしながら、ついにある場所に辿り着いた。イサーク王国に生まれてから、ずっと行きたいと思っていた場所である。
「ここが、狼神の森……」
イサーク王国の東南に位置する、大きな森。国境沿いにまで広がるこの森は、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
しかし、ここはこの国の諸悪の根源である。我が王国の建国神話、狼神伝説はここから生まれたのだから。
私が森の前で立っていると、地元の人らしき男に声をかけられた。
「お嬢さん、もしかしてこの森に入ろうとしているのか?」
私は「はい」と言って頷くと、彼は困ったような表情をする。
「悪い事は言わないから、やめておきなさい。ここは神話に登場する狼神の神域とも呼ばれる。この森に入って無事出てきた者はほとんどいない。森の中には狼たちが多く潜んでいる。食い殺されてしまうよ」
「ご心配ありがとうございます。でも、大丈夫です。必ず戻ってきます」
そう言って足を進める。後ろから私を止めようとする男の声が聞こえたが、私はそのまま森へ入っていった。
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