#09 母の鯵フライ

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#09 母の鯵フライ

窓を開けると空がどんより暗く、湿気を帯びた風が部屋に入り込む。梅雨の季節は好きではないが、この時期にひとつだけ、楽しみなことがある。 ある休日、早起きして実家まで車を走らせた。 「ただいま」 玄関のドアを開けた母が、どうしたの急にと驚いた。 「だって6月になったから。(アジ)フライ食べにきた」 (あじ)は6月から8月が旬の魚だ。私は子どもの頃から母の鯵フライが大好きだった。 私は母を車に乗せ、海沿いの魚市場まで出かけた。賑やかな人並みと店員のおじさんの低い声が懐かしい。母は少し小ぶりの鯵を二山買った。 そして夕方になると、私をキッチンに呼び、鯵を(さば)くところを見ているように言った。 「鯵を横に寝かせて、包丁の先で、切先っていうんだけどね、軽くこそげて(うろこ)をとるの」 シャッシャッ。 「この尻尾につながってるギザギザ、ぜいごっていうんだけどね、包丁をお魚の身に沿わせて削ぎ落とすの」 ザザザッ。 「そしたら頭のとこの羽みたいなの、ヒレなんだけどね、この下から斜めに半分まで包丁を入れて、お魚を裏返して、またここから包丁を入れて、頭を落とすの」 「わっ、魚の頭が」 「何、小さいときからさんざん食べてるくせに。だから美味しくいただかないとね」 母はシンクのボウルに水を張り、身をきれいに洗ってキッチンペーパーで水気を拭いた。 「そうしたら、背中から骨に沿って包丁を入れて、」 いつも見ている鯵フライの形に開けた。 「もう一回裏返して、中骨の上に刃を入れて、骨をとります……はいOK 」 さっき魚市場で買ったばかりの鯵は身の色もきれいで、とった骨には余分なものは何もついていない。 「さすが、上手だね」 私は感心して言った。 「こういうのはね、数をこなすとうまくなっていくの。あなた好きだったから、いっぱい作ったもんね」 母はしゃべりながらどんどん(さば)いた。そして衣をつけて揚げていく。 「そろそろパパ帰ってくると思うわ、泊まっていくでしょ、冷蔵庫にビールあるわよ」 父に会ったら仕事の話、あれこれ愚痴ってしまうと思ったけど、まあたまにはいっか。私はビールを取り出し、缶に口をつけた。 「ちょっと、コップに入れたら」 母は相変わらず細かいが、わが家のこういう雰囲気は昔から変わらない。やっぱり、帰ってきてよかった。
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