【第一楽章】 入学式

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 入学式が終わった後、あたしたちは教室に戻った。  去年同じクラスで仲良くなった美香とは、今年は離れてしまった。でも隣りのクラスなので、あたしはB組の前で美香を見送ってC組のドアを開けた。  中に入ったと同時に見つけたものに、あたしは唖然としてしまった。  窓際から四列目の真ん中、あたしの隣りの机に突っ伏してぐーすかと田崎(たざき)くんが寝ていたのだ。  入学式の間に来たみたい。  今朝はサッカー部は朝練はしてなかったようだったから、寝坊したんだな、きっと。 ――いいご身分で。  クラスの皆ががやがや入って来たけど、田崎くんは起き上がる気配がない。  ようし、起こしてやろう。  自分の席の方から回りこみあたしは田崎くんの耳元に唇を寄せた。 「……ぬあっ!!?」  ふっと息を吹きかけてやると、階段を踏み外した夢を見た時みたいにがたがたーっと机ごと身体を跳ね上げて、田崎くんが顔を上げた。 「び……っくりした。咲宮かよ〜」  地味なイタズラに、いいリアクションありがとう。  あたしの顔を見てほっとしたような表情をしたその頬には、下敷きになっていたパンの空袋の跡がしっかり残っている。  短髪の頭を掻いて両手を上に伸ばし、田崎くんは大きなあくびをした。 「終わったんだ〜、入学式。どーだった?」 「何事もなく。なんか懐かしかったよ、去年はあんな風に緊張してたのかな〜って。でも滝井の目が怖かった。田崎くんいないからって、美香がどっかり隣に座るし。いいわねー、優雅に一人でご朝食?」 「昨夜サッカー見てたら寝るの遅くなってさ〜。ま、昨日の始業式は遅れなかったから、仕方ないよな」 ……何が仕方ない?  メロンパンと書かれた袋をくしゃくしゃと丸めて机の中に押し込むと、田崎くんはもう一度大あくびをした。  田崎くんとあたしと美香は去年同じクラスだった。席が近かったから自然と仲良くなって、よく三人でつるむようになったのだ。 「卒業式の時もそんな理由で寝坊したよね。それでよくサッカー部の朝練には出られるね」 「起きられないのわかってるんだけどさ〜、見ちゃうんだよね。でも練習がある時は起きる。キャプテン怖いから」  180という長身に似合わないのんびりとした口調で田崎くんが笑う。  長い両手足は、伸ばすと前後ろの席を超えてしまいそうだ。  田崎くんのポジションはゴールキーパー。  サッカー部では『鉄壁の守護神』なんて呼ばれているそうだ。  普段はのんびりなのに、ゴール前に立たせると豹変するらしい。  でもその守りのおかげか、うちの高校は去年県大会で初優勝を果たしたのだ。  美香は田崎くんのことをコアラみたいだって言う。  寝てるか食べてるかサッカーしてるかが、彼の主な行動パターンだから。  でもそんなマイペースさ加減が、あたしは好きだったりする。 「ああ、よくペナルティだって購買のパン買いに行かされてたよね。けどよかった、田崎くんが一緒で。美香とも離れちゃったし、合唱部の友達もいないし心細かったんだよね。こちらこそ、また一年よろしく」  一年の時同じクラスだった子は何人かいるけど、ほとんど喋ったことがない子ばかりだった。  美香はすぐに回りに馴染めるタイプだけど、あたしは新しい環境っていうのがどうも苦手だ。だから田崎くんが一緒でよかったと思う。 「あいよ〜喜んで。あ〜ダメだ、眠い! もうちっと寝るから、先生来たら起こして」  でっかいテディベアが前のめりに倒れたみたいに、田崎くんはまた机に伏せてしまった。 ――確かに美香の言う通りかもしれない。  でもこれでも田崎くんて、案外女子に人気があるんだよね。 「あ、も一つあったわ。遅刻の理由」  動かなくなったと思ったら、急に田崎くんが顔を上げた。  窓の方を見る。つられてあたしも目を向けた。 「桜が、きれいだったんだよね。あっちこっち」  窓のすぐ外で枝を張る、淡雪のような桜の花を田崎くんが指差す。 「また春が来たなーと思って、しみじみ見上げてた」  そうだよ、と言うように集まって咲く小さな花が微風に揺れた。  今年は桜の開花が遅くて、四月の一週目を過ぎてやっと満開になった。そういえば家の近くの公園もきれいだったな、と思い出す。  桜は始まりと終わりを告げる花。  そう言ったのは誰だっただろう。 「……そうだね、一年て早いね」  薄紅色のさざめきを眺めながら、あたしは頷いた。  華やかに咲いて儚く散っていく花が、また新しい季節を運んでくる。  今年はどんな日々が待っているのだろう。  青空の下眩しいほど輝いて、春のぬくもりに包まれた花びらは、  はらはらと零れ落ち始めていた。
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