ムッとする哄笑

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ムッとする哄笑

 僕は何がどうなっているのか確かめようと、がばっと起き上がって金網にへばりついた。  驚いた彼女は二、三歩飛び退く。 「ぼ、僕のこと覚えてない? ほら、こっちから伊奈さんがキックしたり、あと、その、こっから飛び降りたり」 「な、なんの話ですか? それをしようとしているのは貴方じゃないですか」 「あ、いや、だから、うーん。なんていうか……」  説明に困ってしまった。  どうやら彼女に前回の記憶はないらしい。  となると、タイムリープやらなんやらの話をしていいものかどうか。したところで信じてもらえるのかどうか。  僕は二の句を接げず黙ってしまう。 「とにかく、まずはこちらへ戻ってきませんか? 言いたくないことでしたら言わなくてもいいですから。私とお話しましょう?」  あまりのキャラ変に違和感を拭えない。なんだか頭の中にひどい靄がかっているみたいだ。  ともあれ、彼女の飛び降りを止めるのがひとまずの僕の目的だったのだから、なにも意地を張ってコチラ側にいる必要はなにもない。  胸騒ぎを覚えつつもフェンスを乗り越えた。  伊奈さんは、すらりと伸びた足をモデルさんみたいに並べて立っている。  後ろ手を組んで、柔らかい笑顔を浮かべながら。  まるでアイドルの写真集かなにかがそのまま立体になったみたいだ。  好きにならない男なんていないんじゃないかと思うほど、よく出来ている。よく出来すぎている。という方が正確な気もする。 「あの……、ホントに、僕のこと覚えてないんだよね?」 「すみません、存じ上げなくて……。一年生ですか?」 「あ、いや、僕は三年四組の丹野っていいます」 「え!? 卒業式、出なくていいんですか?」 「いや、だって、それは伊奈さんも同じでしょ?」  彼女は目をまんまるにした。  僕は何事かと訝る。 「いや、私、ニ年ですよ?」 「……は?」 「ですから、まだ二年生です。私の卒業は来年」 「え、ちょ、え?」  頭の中がグルグルと音を立てて回っているようだ。  思わず体もふらついてしまう。  僕は今年の卒業式ではなく、去年の卒業式に戻ってきてしまったということなんだろうか?  「い、いい、いま、いま何年? せい、西暦は何年ですか!?」  焦りからか変な聞き方をしてしまった。  まるで出来の悪いSF映画の登場人物みたいで恥ずかしい。  狼狽えから両腕を中途半端な高さでわなわなさせたままの僕を、伊奈さんは目をぱちくりさせながらじっと見ている。  僕の耳が急激に赤くなっていく。  関わってはいけないタイプの人間だと思われているかもしれない。出来るなら今すぐ言い訳を並べて、決して頭の線が切れてるわけじゃないことを証明したい。けれど挽回できるだけのフレーズが浮かんでくる気配もない。  「あの」「いや」だけを金魚みたいにパクパクと繰り返してしまう。 「――ぷっ! ぎゃーっはっはっはっは!」  突如、伊奈さんは『下品』に笑い出した。  腹を抱えて、あんまり抱えすぎて地面に突っ伏して、それでも笑い止まずに寝転んだままゴロゴロと左右にローリングをしながら、まだ笑っている。  なんだかよくわからなかったけれど、なんとなくわかったのは、コレが正しい彼女の姿なのだろうということだ。 「伊奈さん。どういうこと?」 「ちょっとちょっとー、そんな怖い顔すんなって。あたしとしてはさ、このドッキリ仕掛けるのが念願だったわけよ」  伊奈さんはようやく少し落ち着いて上半身を起こすと、右手をパタパタとおばさんが井戸端会議でもしてるみたいに振りながら言った。  僕は理解が追いつかず、眉をひそめる。  そんな僕と目が合うやいなや、伊奈さんは再びほっぺたの中で爆発を起こす。 「ぶっ! はーっはっはっは! 『せ、西暦、何年ですか!?』、ひゃっひゃっひゃっひゃ! リアルやばい、腹筋切れる、ドーテー真面目すぎ!」  涙目になりながら床をバンバン叩いている。  なんかもう、ここまでくるとかえって清々しい。  僕は「ふ」と鼻を笑わせると、やおら胡座をかいた。彼女がようやく「はーあ」と息継ぎをしながら笑いすぎの涙を拭ったところで話しかける。 「よかったよ」 「は? なにが?」 「死んでなかったし、消えてなかった」  すると彼女はいきなり、あの飛び降りる間際に見せた冷たい雰囲気をまとった。  何かを言いたげに僕を見ている。  真正面に向き合っているせいか、不服そうな表情の奥に、どことなく、泣き出す前のような翳りを見つけることができた。 「ま。ドッキリの分でチャラにしてやっか」  ぷいっと僕から顔を背けると、手足を放り出して仰向けに寝転がってしまう。目を閉じ、一つ息を吐く。寝顔のような穏やかな表情になった。  しかしそれもつかの間、口元をむずむずと歪めだしたかと思えば、みぞおち辺りから小刻みな振動を全身に波及させていく。今度は思い出し笑いらしい。 「あの、伊奈さん?」 「はー、おっかし。……で、なに?」 「ドッキリってことは、覚えてるんだよね? 飛び降りる前の約束」  次もし覚えてたら。ちゃんと死にたいという言葉の真意を尋ねた僕に、彼女はそう約束して墜落した。  さっきの清楚ぶった言動が嘘だったなら、まだ彼女の飛び降りの根本的な原因は残ったままだ。僕なんかに止められるのかどうかは別としても、とにかく必要な話を聞かないことには始まらない。 「あー、それな」  言ったっきり黙ってしまった。  時折すこし強めに吹く風は冷たかったが、日差しの方は遮るものがなく、風と出番を交代するとじんわり肌に染み込んでくる。  彼女は目を閉じたまま。まるで日光に良い匂いでも付いてるみたいに、静かに味わいながら息をしているようだった。
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