ハッとする主張

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ハッとする主張

 不意にさっきの苺みたいな吐息を思い出してしまう。  ひた隠しにしていた秘密を無理からに暴いてしまったようで、なんだか居心地が悪かった。咎められてもいないのにごまかすようにして風景へと視線を移す。  東の空のずっと先の方で、トンビらしき鳥の影がゆったりと浮かんでいた。カラスかもしれない。なにせ遠くだ。それよりかなり上空に、白い上弦の月。青空にセロハンテープの剥がし跡が残ってるみたいだ。  「ドーテーはさ、何回ヤったの?」  彼女は寝転がって目を閉じたまま話しかけてきた。 「へ? や、ヤったって、何を?」 「ヤったことぐらいあんだろ?」 「……それは、そのぉ」 「ぷっ、ははは! バーカ。タイムリープだよ」  思わず顔をしかめてしまう。  そろそろ本気で怒ろうかと口を歪めていると、彼女は寝返って横向きになった。くの字に曲げた片腕を枕にして。  どことなく瞼を重そうにしながら、物憂げな調子に「で、どうなの?」と栗色の瞳を向けてくる。  直視できずに、「三回」と上履きのつま先に答えた。 「なるほどねー」ふふんと鼻を鳴らす。「ひとつ教えといてやる」 「なにを?」 「何回かヤッたぐらいで、自分のモノだなんて勘違いすんなよ」  頭にハテナマークを浮かべながら「タイムリープの話?」と聞くと、すぐさま「どっちも」と返ってきた。 「あたしはさ、千回ぐらい繰り返した辺りで、数えんのやめた」 「せん……」 「セックスじゃねーぞ?」 「わ、わかってるよ」 「そーいや、そっちはどーだったかな……? アイツから始まって、えーと」  なにやら真剣な顔で指折りしながら計算を始めてしまう。 「いや、そっちはいいって!」 「そうか? まあでも、あたしが飛び降りる理由と無関係ってわけでもないんだよ」  ふと伊奈さんについての噂の一つを思い出した。期末テストの問題を事前に手に入れるため、一晩に同時に五人、男性教師と関係を持ったという話。  急に胸がざわつく。  噂が事実だったとして、それを彼女が気に病んでいるとすれば、誰もが不誠実で、許しがたく、救いがない。でもそれはカッコつけてる方の理由で。既に誰かと深い仲になったことがあるっていう事実に狼狽えた面と、単に噂で聞いたその光景に後ろめたい憧れを抱いているっていう面と。とにかくごちゃまぜのざわつきだった。 「現時点で、人数はたぶん五百人いくかいかないかぐらいだな。回数に意味なんてねぇけど、掛ける五十ぐらいって考えれば、……二万五千回か。ひゃー! お盛ん!」  彼女は他人事みたいに、でもどこか自嘲気味に笑う。  話の筋はまだ見えないが、教師とどうこうという話ではなさそうだ。  告げられた母数があまりに大きくて現実感が無さすぎたのだろう。胸をざわつかせていた考えは、拠り所をなくして幽霊みたいに薄ぼけた。 「けどな。この卒業式の時点で、あたしはまだ処女なんだよ」 「んん?」 「やっぱな。お前タイムリープの引き金がここから飛び降りることだと思ってんだろ?」 「違うの?」 「だーから、ちょっとヤッたぐらいでいい気になんなって言ってんの」  呆れたような口調で、顔に掛かった髪を手ぐしで耳に掛ける。 「ってことは、どこで死んでも……?」 「ああ。今日に戻ってくる。何で、どんな死に方をしてもな」 「寿命でも?」 「事故でも病気でも。死刑でも、殺されてもダメ。考えられる死に方はぜーんぶ試したんだけどさ。でもダメ、戻ってくる」 「人生を、千回以上……」  同級生どころか、実はとんでもない大先輩だってことはわかったのだが、肝心の死のうとする理由がまだ見えてこない。 「でも、何でも思う通りになるのに」  まさに陳腐なSF的発想だ。未来の出来事を記憶したまま過去へ。富も名声も思いのままになるだろうと。  すぐに舌打ちが返ってくる。  彼女はまた仰向けになると、いつぞのように「ん~」と大きく伸びをした。そして息を吐いて脱力。  上空の何もない所をぼんやりと見るようにしながら呟いた。 「未来、見てから言えっつーの」  僕が一度ほっぽり投げてしまったものの名前。  不思議だった。伊奈さんなんて、少なくとも僕よりは、人生ぐらい余裕綽々でやっていけそうなのに、どうしてそんな、中身が空っぽだとでも言いたげなんだろうか。 「人生に飽きたとか、そういう話?」  しばらく返事は返ってこない。  その間、僕は誰と話をしてるのかと考えて、ちょっと混乱してしまっていた。同級生なのか、老人なのか、そもそも人間といえる存在なのか。  振り返った三年間には、まるで違う次元で暮らしていたはずの人と、こうしてあたかも親密みたいに接している。その不可思議な状況も混乱に拍車をかけているみたいだ。  実はおかしくなってしまった僕の幻想で、現実に存在なんかしていないかもしれない。  今度は少しばかりSFっぽい考え方かなと鼻を小さくならした。  彼女が口を開く。 「いまこんなんだけどさ、そこそこ長い間、女の子っぽくしてたんだぜ」 「女の子っぽく?」 「〈キャー、ウソー、カワイイー〉とか。〈うふ、私はいいと思うよ〉とか。そーいうの色々」 「それで?」 「飽きたって言うとさ、ちょっと違うんだよ。繰り返した中には、結構気に入った一生もあったし。全部じゃないけどな……。でも、虚しいもんなんだぜ? 良い人生であればあるほど、またゼロからやり直しさせられるのはさ」  いまいち実感として理解できないけれど、そんなもんかもしれないという気はする。 「それでも。何度繰り返すとしたって。未来に可能性が残るってんなら前を向けるんだよ。そもそも負けんの大っきらいだしな」 「可能性……? だって、やり直せるならどんな可能性だって」 「無くなるんだよ。どんどんなくなっていく。次元が収束していくんだ」  頭の中がしっちゃかめっちゃかだ。  目をパシパシとしばたたかせて聞き返す。 「いったい、なんの話をしているの?」  むくりと上半身を起こした。立膝に乗せた頭から僕を見据える。真剣で、可哀想なものを見るような表情。 「校長が二人出てきただろ?」 「う、うん。今日は三人だったけど……」 「どうしてだと思う?」 「どうしてって、……なんでだろう?」  あまり深くは考えていなかった。自分は死ぬものだと高をくくっていたし、色々起こりすぎて考える時間自体それほどなかったのもある。どうして宇宙が存在してるのかとか、そういう考えたってわからない類の現象だろうと、どこかで決めつけていたようにも思う。
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