ナイトシフト

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ナイトシフト

「開胸すれば出血点を特定する道が開けるだろ。1ヶ月レジデントやってんなら分かるだろ」 遊馬は菅井の間の抜けた顔を見てそう言ってのける。 「経験あるの?」 「ない。シニアでも腕のたつ作業だろ」 平瀬が遊馬に聞く。 平瀬は瀬尾の方を見る。 瀬尾は何を言いたいか察したので答える。 「ダメ…シニアは全部居ない。最低でも1、2時間」 「無理だろうな」 遊馬が引き出しから薬剤と機材を出す。 「この人は…腕を失っても多発外傷を起こしても、今生きてる。見殺しにするぐらいなら切り捌いて殺す覚悟もつのが俺ら医者じゃないのか?」 「……」 「経験値や年齢を言い訳にすんな」 「お前そんな大それたオペ出来ると思ってんのか?」 「ほっときゃ死ぬ」 「1人で出来んのか?」 「お前らがいる」 遊馬は菅井に言葉をかける。 眼差しは真剣だ。 菅井もくみ取って状況を飲み込む。 「見殺しより、全力でやった方がいいな」 「…」 遊馬は菅井に頷く。 ようやく菅井がオペに着く。 平瀬はその様子を見て動き出す。 シニアといえど難しいオペだ。 でも遊馬の言う通り、1ヶ月鍛えられた3人がいる。 ならできる。 そう信じて膿盆にあるイソジンのキャップを外す。 「遊馬先生、ガウンとゴム手袋……」 瀬尾が西野に術用ガウンを着せる。 「さんきゅ」 瀬尾が笑顔で頷く。 平瀬がガウンを着ながら遊馬に尋ねる。 「どうする?」 「映らんならアオルタをクランプして出血コントロールする。そっから探ってく。レベルワン準備」 「はい」 遊馬の指示に看護師が動く。 「ドレープかけます」 瀬尾が患者の胸にドレープをかける。 「メス」 遊馬がメスを要求する。 瀬尾から遊馬にディスポが渡る。 キャップを外して地面に捨てる。 横浜がERの外から様子を見ていた。 遊馬は患者の右胸を切開し始める。 大きく開き、術野が確保される。 無影灯に映る血液が溢れてくる。 「アオルタをクランプして出血をコントロール。その後血管傷を結紮(けっさつ)してステントを入れるために胸部血管外科に回す。そんな指針です」 横浜に気づいた遊馬が声をかける。 横浜は自分に言われたその言葉を汲み取る。 手が足りないから手伝って欲しいと。 遊馬は黙々とこなしている。 そのさなか自分は何をやっているという葛藤に苛まれる。 「救命です。急患のオペ室確保と胸部血管外科のドクターお願いします」 菅井が開創固定する。 遊馬は平瀬に指示を出す。 「腹開いてくれ。瀉血しないと臓器がやられる」 「わかった」 未使用のディスポ円刃のキャップを開けてドレーンを入れるサイズに切開する。 「ドレーン」 ペアンですぐに腹膜を破っていく。 破っただけで血液が溢れてくる。 ドレーンが渡されるとすぐに挿入した。 ものすごい勢いで血液が溢れてくる。 「大量の血液が腹部に貯留している」 「サテンスキー」 平瀬の言葉を無視して遊馬と菅井がアプローチする。 「出血1000超えました」 瀬尾の声が響く。 「胸からの出血はほとんどない。腹部だろうな。多発外傷で1度破けた血管が再破裂した。そんなとこだろうな」 「どうだ」 遊馬に菅井が尋ねる。 「よしかかった、血圧は」 アオルタをクランプした。 瀬尾がモニターをチェックする。 しかし、 「変わらない。腹大動脈は?」 「下降大動脈クランプしたから枝分かれした大血管の損傷の可能性高い。平瀬、広げてくれ」 「メス」 平瀬の手にメスが渡る。 「時間ない……正確に処置しないと患者が持たない……まずい」 遊馬の顔に初めて焦りが見える。 いかに深刻な状況かを指し示していた。 「どこだ……」 「エコーじゃ特定できない」 「血圧低いぞ…」 焦る。 ただ血圧が下がり出血していく。 患者の命はどんどん途絶える一方だった。 遊馬が手を止めかけた時、 「止血優先でしょ。圧倒的出血量多い。圧迫しながらかけてくの」 「横浜先生…」 平瀬が安堵の声を出す。 「目を落とせ。集中しろ」 遊馬は平瀬に叱り付ける。 「ごめん」 「腹大動脈はやってない。…あった下腸間膜動脈損傷。ついでにS状結腸動脈も裂けてるね」 すぐに血管傷を特定した。 「遊馬と私で下腸間膜動脈を結紮と縫合する。S状結腸は2人で遮断止血のあと縫合して。瀬尾は1分おきにバイタル言って、それとほか2人で輸血」 「はい」 遊馬が珍しく返事をする。 「電メス」 「はい」 組織を焼く。 みるみる血液が止まっていく。 「ここまでごめんね迷惑かけて」 「いえ」 菅井が答える。 「トラウマ云々じゃない。患者に私の過去なんて関係ない……今目の前の命を救命医なら救う。救いたい。それが私の意思」 素早く血管を縛っていく。 「すごい」 「こう見えても西野の同期。あいつといりゃ負けたくない欲高まるでしょ」 遊馬が患部に目を落とす。 話しながらにして出血が止まっていた。 血圧も上がっていく。 その手さばきを見抜いて返事をした。 圧倒的自分との力量差に感嘆していたからだ。 「74です」 瀬尾が血圧を告げる。 「ショックバイタル離脱。腹腔ドレーン留置して閉じるよ」 ドレーンが渡り、閉腹まで完了した。 「おい」 ERの扉が開いて西野と相良が入ってくる。 しかしオペは済んでいた。 横浜の方を見る2人。 「横浜…」 「電話の通り、なんとかやった。ありがと」 「そうか」 「いくよ」 「はい」 西野を後にして3人の研修医とオペ室に運ぶ横浜。 西野は後ろ姿を見ていた。 相良が西野の肩を叩く。 「さすがのお前も出番なしか」 「ええ、救命医ですから」 西野は微笑んだ。 ERの扉がしまった。 菅井と瀬尾と平瀬は3人で飲みに出かけていた。 ジェネラリストたちに任せた彼らは安息を堪能していた。 遊馬は病院に残り病理学の辞典を見ている。 「おつかれ」 「おつかれさまです」 横浜は遊馬のその様子を凝視して尋ねる。 「医学書オタクなの?」 遊馬は手を止めて答える。 「暇さえあれば英単語を読んでる人間だったので」 「そっか…」 遊馬は再び読み始める。 二人の間に沈黙が走る。 沈黙を破ったのは遊馬だった。 遊馬はふいに病辞を閉じて横浜の前に立つ。 横浜はパソコンで術後報告書を書いていた。 遊馬は口を開く。 「あそこで来てくれなければ…野本さんは亡くなっていました」 横浜は手をとめない。 「臆病な先生を見下していました。けど、今日のあなたを見て憧れました」 それだけ言って頭を下げて遊馬はスタッフステーションから出ていった。 横浜はパソコンを見ているが手は止まっている。 虚ろになる眼。 自分は尊敬されている。 その立場である。 そうで在らなければならない。 本来救命医としてやってきた彼女にとって考えさせられる一言であった。 「予後は」 「お前らのおかげだそうだ」 ICUで経過観察をする西野の元に遊馬は行く。 「お前は酒盛り行かんくていいのか」 「時間の無駄です」 「……」 「その時間があればひとつでも多くの臨床を学びたい」 遊馬はそう言う。 西野は彼の目を見てじっと黙っている。 「シニアは…お前ら研修医の面倒を見る。俺らは患者を見なきゃ行けない。2つ同時は物理的に不可能だ。お前は面倒みられるステージから脱却する。遊馬……救命医になれ」 「……」 遊馬はそう言われて黙っていた。 「朝だな」 ERは次の日を迎えていた。 野本はバイタルが安定し、ようやく病態が落ち着いた。 菅井は瀬尾にちょっかいをかけていた。 「なぁ流雨」 「ん?」 「遊馬と俺たちは何が違うのかなぁ」 菅井はそんなことを呟いた。 瀬尾は少し考えて答える。 「遊馬は救命医。あんたら2人は医者、かな?」 瀬尾は2人にそう言った。 遊馬はパソコンをいじっている。 医局で昼食を摂る西野も聞いていた。 的を射た瀬尾の発言に感嘆する。 「どういうことだ?」 菅井は理解出来ずに頭を抱える。 すると、 カタカタカタ 「地震だ!」 菅井はそう叫び医局にいた5人は屈む。 ………。 しかし軽い地震であったらしい。 すぐに収まる。 「ICU行ってくる」 遊馬はすぐ立ち上がり走り出す。 「おいどーした」 西野が遊馬に尋ねる。 「軽微な地震であっても患者には重篤な状況を引き起こす可能性は考えられます。1人ずつ診てきます」 遊馬はそう言うと医局を出ていった。 瀬尾は菅井と平瀬に言う。 「あーいうとこ。救命医は何かあれば患者のためにすぐ動く。あらゆる最悪を予測して判断して行動する」 瀬尾は2人の方をじっと見つめて言い放つ。 「彼だけ。一人で救命医名乗れるの」 瀬尾も医局を出ていく。 西野がついで2人の前を通る。 「瀬尾は的を射ている」 2人は悔し紛れにICUに向かう。
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