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出動
白車はホットラインを受けた聖良救命センターに搬送される。
その10分前。
「初めまして」
「ういーす」
穏やかな表情で柔らかに笑う女性医師、平瀬明莉の挨拶を目を合わせずに適当に返事する男性医師、菅井がいた。
医局に8時に来いと要請されて同じ新人の遊馬と指導医の西野の姿がない。
その事にセンター長の相良は苛立ちを覚えていた。
相良の指示でERに向かう。
歩きながら2人に一言だけ告げた。
「俺たちからお前ら研修医に教えることは無い。ただ目で見て手で覚えて経験を積め。命を奪うな」
「はい」
「…うす」
2人は返事をしてERに入る。
その時ホットラインが鳴った。
到着した救急車の寝台からストレッチャーが出される。
救急隊員の背後に二人の男たちがいた。
遊馬はソルラクトのパックを持ち、西野はアンビューを押している。
「何してんだお前ら」
西野に相良は尋ねる。
「30分前に聖良前の国道で自損事故。胸部に鉄筋が刺さってる。ショックバイタルで緊張性気胸。現場でボールペンによる脱気しました」
「出てきてんな」
西野は質問を無視して患者の様態を伝える。
「お前……聖良の研修医の遊馬だろ?」
菅井が下を見ている遊馬に尋ねる。
「道を開けろ、どけ」
西野によって菅井が押し倒される。
舌打ちをして立ち上がる菅井。
「5分前から出血増えてきている。輸血準備。クロスマッチ」
西野が看護師たちに指示を出す。
「あの、私は」
「お前は……血管外科にコンサル」
平瀬に指示を出す西野。
しかしそれは誰でも出来るような事だった。
「え…」
「早く動け」
「はい!」
「俺緊急オペの前立ち入ります」
遊馬は自分の役割を西野に要求する。
西野はうなづいた。
平瀬は急いで走っていく。
菅井は倒れたまま進んでいくストレッチャーを見ていた。
相良はそんな様子を傍観していた。
「血算 生化、血ガスチェック」
「はい」
「レベルワン」
「よし開けるぞ」
「メス」
遊馬がメスを要求する。
ナースの瀬尾から遊馬にメスが渡る。
素早く開胸する遊馬。
開胸器を取り付ける西野。
「結局お前がやってるな」
遊馬はクーパーで組織を剥離して大動脈を見つける。
「サテンスキー」
「はい」
「………」
遊馬は大動脈を遮断した。
「よし抜くぞ」
遊馬を一瞥する西野。
相良はそんなふたりの様子を見ていた。
ほかの研修医たちはその高度な現場を指を咥えて見ているだけだった。
オペが終わった。
あっという間に治療が終わる。
患者はICUに運ばれて眠っている。
バイタルも安定している。
命に別状はないようだ。
医局で西野が相良に話しかけられる。
「お前…事故現場で西条の指示を無視したらしいな」
「緊張性気胸で一刻を争いました。ですが安全確認取れてない中ですることじゃなかったです」
「無茶すんな。それよりアイツだ」
「……遊馬」
「知ってるのか」
「いえ」
違和感のある即答だった。
「ただあいつは出来ると思います」
「お前がそう言うなら信じよう」
食堂で研修医3人は昼食をとっていた。
遊馬はサラダ、ナムル、味噌汁。
菅井はカレーうどん。
平瀬はナポリタン
「なんでお前は野菜と味噌汁なんだ」
「文句あるか?」
「いや、ないけどな」
バタン!
菅井の横に瀬尾が座る。
「瀬尾さん」
菅井は瀬尾の昼食を見る。
サンドイッチとオレンジジュース。
「入れてください、私も先生たちとおなじ25なので」
「いいねぇ同期」
「ご馳走様」
「え。はや」
菅井の言葉で一瞥する遊馬は走早に食堂を去った。
「あいつ何もんなんだ?」
「少なくとも菅井先生よりは出来ますね」
「瀬尾さんの嫌味キツくない?」
平瀬は二人の会話を虚ろに聞いていた。
テレレレレーーーーンテレレレレーーーーン
「はい聖良救命センター」
相良がホットラインを取る
「相模北部消防よりドクターヘリ要請です。国道で自損事故。負傷者1名です」
PHSで状況を聞き付けた医師たちがERに集まる。
ヘルメットをつけた西野と師長。
「行きましょう」
西野は姫川に言うと走り出した。
「はい」
姫川も救命バッグを持って走り出した。
そんな様子を見る3人の研修医。
「お前たちも西野のように現場に出て患者を助ける資格を早く持てるといいな」
相良はそう言った。
遊馬だけが出入り口を見ていた。
その様子を見逃さなかった相良。
現場に着いた西野は患者の元に行く。
レスキュー隊長の西条の指示の元、治療が始まる。
「患者はブルーシートだ。頼む西野先生」
「わかりました」
西野はペンライトで瞳孔を確認する。
「瞳孔不同。対光反射あり、3、4」
「血圧150」
「マンニトール落として、それから急速輸液。挿管セット」
「はい」
円滑な治療の様子を見ている西条とレスキュー隊員たち。
「相変わらず早いですね西野先生」
「ここらじゃ有名な救命の医師だからな」
そう言うと壊れた車体の解体に戻る西条。
西野はチューブを喉頭鏡を巧みに利用してすぐ挿入した。
「よし、これで運びましょう」
「はい」
「ストレッチャーお願いします」
救急隊員が白車に乗せる。
治療を終えた西野と姫川はドクターカーに戻る。
「ご苦労だった」
「そちらこそ、では」
労いの言葉をお互いに言い合う西野と西条。
姫川も西条に頭を下げた。
あっという間の出動で2人は帰っていった。
それから1週間。
救命になるホットラインはドクター派遣要請、受入要請など1日3回以上鳴った。
相変わらず遊馬が数をこなして治療に専念し、少しずつ菅井と平瀬が前立ちやサポートできるようになって行った。
そんなある日。
1人の患者が救急搬送されてきた。
「緊張性気胸だ」
瀬尾がドレナージセットの準備に取り掛かる。
師長がバイタルを読み上げて平瀬がバッグバルブマスクの管理をする。
遊馬は患者の病態を言い当て菅井が腕を組んでいる。
どこか余裕そうだった。
相良は出番がないと思いデスクワークをしていた。
西野は遊馬の判断が正しいと見込んで指示を出す。
「胸腔ドレナージするぞ」
遊馬が胸壁を消毒する。
「メスください」
「待て」
菅井が遊馬の手を止める。
師長がバイタルを告げる。
「サチュレーション90切りました」
「何してる早くしろ、患者が死ぬぞ」
西野の言葉で瀬尾が遊馬にメスを渡す。
「俺がやる」
遊馬の手に渡りかけたメスを菅井が取る。
西野はその様子を見て言った。
「できるのか」
「たくさん練習しました」
1呼吸終えて西野は許可を出す。
「やってみろ」
瀬尾は呆れた顔でドレーンの接続コネクタの準備をする。
遊馬は傷のある足の縫合に入る。
菅井はメスで胸壁を切開してペアンで組織を剥離する。
「ドレーン」
菅井の指示で瀬尾からドレーンが渡る。
綺麗に挿入されたドレーンに血液が流れる。
「よし、換気と固定お願いします」
「はい」
瀬尾がドレーンバッグに接続する。
「できた」
胸部の縫合を終えると同時に遊馬の縫合も終えた。
「オペ室確保してある。遊馬と平瀬、行ってきてくれ」
「わかりました」
「はい」
2人は患者の寝台を持ってオペ室へ行った。
取り残された西野と菅井と瀬尾。
菅井は安堵して腕を伸ばす。
すると西野が菅井の方を見て言った。
「お前は遊馬よりできる自信があるか」
菅井は試されていると思った。
キッパリ言った。
「はい」
手を止めた瀬尾がこちらを伺っている。
「お前らが救命に来て1週間経つ。今日俺と現場に1人出そうと思う。それをお前にする」
「え、いいんですか?」
「出動要請があったら救命バッグを持って出動だ」
「わかりました」
西野は出ていく。
瀬尾が作業を止めて出ていく。
虚ろになった菅井はERに残っていた。
「救命のレジデント1週間です。いいんですか?」
瀬尾が西野に尋ねる。
「迷惑です、役に立たない医者が現場でオロオロする姿を見てこっちが気を使わないといけないんです」
「なら好きなようにすればいい」
「せめて遊馬先生にしてください。遊馬先生は腕は西野先生と雲泥の差ですが判断力と冷静さが他の新人に比べて桁違いにあります」
西野はそこで足を止める。
瀬尾の方をふりかえって言った。
「現実見せつけるんだ」
そう一言だけ言った。
西野と平瀬がERに戻ってくる。
まだそこに残っていた菅井は2人の姿を確認してニヤける。
戻ってきた瀬尾もその様子を見ている。
「俺今日出動だってさ」
平瀬は驚いて口を開ける。
「え、さっきのドレナージが認められたってこと?」
「多分な」
遊馬はホワイトボードの患者情報を消している。
「頑張ってね」
「おう」
遊馬は出ていく。
ERの扉にいた瀬尾と一瞬目が合うがすぐ医局に入っていった。
時計を見ると5時を回っていた。
「今日出動おろかホットラインすら鳴らねーじゃん」
「私帰る」
「…おつかれ」
遊馬がカルテを書きながら平瀬に言った。
「俺も帰ろ」
「菅井先生今日あるんじゃないの?」
「だって来ねーじゃん。だいたい定時だし」
「そっか、お先にね」
遊馬は一言も言わずに黙々と作業している。
「お前は帰らないのか?」
菅井が遊馬に尋ねる。
1度たりとも上を向かずに答えた。
「やることが残ってる」
「そうか、お先にな」
「ああ」
菅井は医局を出ていく。
相良は歩いてくる菅井を確認する。
その格好は私服だった。
「定時なんで帰りまーす」
コロッと言った。
「…今日まだシフトあるぞ」
「でも5時ですよね…任せます」
相良は通り過ぎていく菅井を一瞥して再び資料に目を落とす。
菅井は帰っていった。
30分後。
「お前医者のくせにこんなとこいていーのかよ」
「うるせぇ、晴人に呼ばれたら行くしかねーだろ」
「はっさすが遼」
木野晴人は菅井の友人だ。
菅井は今日出動当番だが定時で帰ってしまった。
5時という時間で帰った菅井は友人にショッピングモールの買い物に呼ばれてER上がりでそのまま向かった。
2人はエスカレーターを下る。
木野の目的の店が1回にある。
菅井が後ろを見ると多くの人が乗っていた。
夕方は人が殺到する。
前を見ても多くの人がいた。
「え」
木野がふと声を上げる。
菅井が後ろを見ると人が雪崩倒れてくる。
そのままあまたの叫び声と共にその姿は埋もれた。
テレレレレーーーーンテレレレレレーーーン
「はい、聖良救命センター」
西野はホットラインを取る。
「横浜市消防局よりドクターヘリ要請です。市内ショッピングモールにて将棋倒し発生。負傷者30人に登ると見られています。詳しい状況は追って知らせます」
相良の方を見る西野。
相良は頷いた。
「向かいます」
ホットラインを置く西野。
ERを見回すとドクターとナースの数を確認する。
「菅井は」
「5時で帰った」
「……そうですか」
「俺行きます」
遊馬が乗りでる。
「事故現場に行くには経験が浅い」
西野はキッパリ答えた。
「経験ゼロならいつまで経ってもプラスにはなりません。それに菅井に指名したなら俺の方が適任でしょう。文句言うつもりでした」
遊馬も負けじと反論する。
その目を見て西野は頷く。
「車の事故とは比べ物にならない」
「そんな物分かってます」
西野は遊馬の目を見て言った。
「行くぞ」
「はい」
「気をつけてこい」
西野と瀬尾と遊馬が走り出す。
ERに残る相良は3人の姿を見て見送った。
「遊馬…げん」
「こちら聖良ドクターヘリ。患者情報と現場の安全確認について教えてください」
西野が現場の状況を聞けという命令を下す前から遊馬は動いた。
「よし」
西野のそんな言葉が聞こえる。
瀬尾は感心して遊馬の方を見ていた。
「患者情報です。市内ショッピングセンター、イオンモール臨海において将棋倒し事故。エスカレーターに人が殺到し、押された人々が一気に崩れました。30人を巻き込み負傷者不明」
「了解」
「タグ」
西野が情報を聞いて瀬尾に指示を出す。
タグを使うのは患者の受傷起点を明確に示すためだ。
「瀬尾さん、挿管セットと輸液多めにお願いします」
「はい」
遊馬の指示で瀬尾が動く。
「現場はお前に任せる。指示はお前がしろ」
遊馬はその言葉に頷くことなくじっと外を眺める。
間もなくして現場に着いたヘリは現場近い駐車場に止められる。
パイロットの五百旗頭が3人が飛び出せるように扉を開く。
開かれたと同時に3人は飛び出す。
レスキューの誘導でショッピングセンターに入っていく3人。
ブルーシートに倒れた人々が沢山いた。
そこに1人の医者がトリアージを終えて治療をしていた。
「赤2人で見ましょう」
遊馬は西野に指示を出す。
「了解だ」
患者目掛けて走り出した。
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