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 真衣先輩は、バスケ部のマネージャーだった。  6月に3年が引退するタイミングで、真衣先輩も引退してしまった。それから体育館で先輩を見ることはなくなったが、受験勉強で学校に遅くまで残っている先輩とこうやって一緒に帰ることが多い。  駅へと続く細いアスファルトの道、暗く静寂に包まれたそこには誰も歩いておらず、僕と真衣先輩しか存在していない世界のようだった。 「冬ってさ、ボールが痛いよね」  真衣先輩がシュートを打つような仕草で言った。 「そうですね、でも、冬は仕方ないです。慣れてますから」  僕は自分の右手を見た。寒い季節は、指がひび割れる。慣れていると言いながらも痛いには違いないのだけど。 「まーた、ひびだらけじゃん。血も出てるし。ちゃんとケアしなよ」  と真衣先輩が僕の右手首を掴んだ。  僕の手首を掴んだ真衣先輩の右手は冷たかった。  氷なんじゃないかと思うほどに。  そう思ったことが見抜かれてしまったわけではないと思うが、真衣先輩はパッと僕の右手を離した。  そして何やらカバンの中を漁り始めた。 「ハンドクリーム貸してあげるから塗りなよ」  と、白いチューブ状のハンドクリームを差し出してくれた。 「え」 「使いなって。ケアしないと治らないよ」 「いつものことですよ」  指がひび割れるのは冬の風物詩みたいなものだ。バスケを始めた小学生時代から僕にずっとつきまとっている。 「いつもだからって放っておくのはダメでしょ。指先の感覚だって大事なんでしょ」  それは確かだ。指先の感覚は大事だ。  僕は「はい」と頷き、右の掌を差し出した。  真衣先輩は僕の掌にハンドクリームを載せた。先輩の手は触れなかったはずなのに、ひんやりとした空気が僕の掌に降りたような気がした。 「ありがとうございます」 「よろしい」  そう言ったときの真衣先輩の微笑みは、なんだか夜に映えるような気がした。
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