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駅の改札口を抜けると電車がちょうどやってきた。
電車に乗ると、暖かい風が凍えた身体を温めてくれる。
「あー、癒される」
コートの袖にほとんど隠れていた両手を擦り合わせながら真衣先輩が言った。真衣先輩のいつもは白い頬が少し赤みを帯びているのがわかった。
「それ、癖ですよね」
そう言うと「ん?」と真衣先輩が怪訝そうな顔で僕をみた。
「真衣先輩っていつも手をこうくっつけて擦り合わせてるなって」
僕も手を擦り合わせて真似をすると真衣先輩は苦笑した。
「ああ、小っちゃい頃からの癖なんだよね。私、冷え性でさ。すぐ手が冷たくなるんだ」
さっき手首を掴まれたとき、先輩の手が冷たかったことを思い出した。なんだかまだ掴まれた感覚が手首に残っているような気がする。
「冬の体育館で練習してたら手が凍りついちゃわない?」
「まぁ動いてる間は気にならないですね」
「私、寒いのは無理だ。体育館、寒い」
「マネージャーっていつも体育館の隅で寒そうですよね」
去年の冬、いつも暖かそうなベンチコートを着ていた姿を僕は思い出した。
「まぁ、今となってはあれもあれで楽しかったんだけどね。いっつも広瀬は最後まで残ってたしさ。内心、早く終われよって思ってた」
「マジっすか」
真衣先輩は笑い、僕は大げさにため息をついてみせた。
中学時代からの習慣みたいなもので、僕は練習の最後にシュート練をしないとすっきりしない。真衣先輩は、そんな僕が練習をやめるまでずっと体育館の隅っこにいてくれた。
先輩がマネージャーだったのは、たった半年前のことなのに、それはもう遠い昔のことのようだった。
「こうやって部活終わりの広瀬と帰れるのも、あと少しだね」
笑顔のまま真衣先輩は言った。
その言葉に何か言おうとしたけれど、僕はうまい言葉が思いつかなかった。
そんな会話をしているうちに、電車のスピードがゆっくりと落ちていき、真衣先輩が降りる駅へと到着した。
電車を降りた真衣先輩に「それじゃ」と言おうとしたとき、真衣先輩は僕を指差した。
「バスケ頑張るのも大事だけどさ、ちゃんと大事なことをやっておかないと後悔するよ」
そう言うと、真衣先輩は僕を指差した右手でマフラーを引き上げ、口元を隠した。
「じゃ」
真衣先輩が右手を小さく挙げると、電車のドアは乾いた音を立て、ゆっくりと閉まった。ドアのガラス越しに見える真衣先輩は水面の向こうにいるようだった。僕が手を伸ばしてもガラスの向こうには届かず、ただひんやりとしたガラスに手が触れるだけだった。
電車はゆっくりと動き出し、真衣先輩は消えていった。
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