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卒業式の前日に、3年生が卒業式練習のために学校に来ていた。
年明けからほとんど学校に来ることのない3年生を見かけたのは、久しぶりだった。
体育館は当日の準備で椅子などが並べられているので、この日は居残りどころか通常の練習をすることもできなかった。
ホームルームが終わり、僕はカバンに最低限のノートと教科書を詰めた。
部活もないことだし、今日は帰ってから近所をランニングでもしようかな、そんなことを考えているときだった。
「広瀬」
みんなそれぞれが喋っている放課後の教室で、その声は声の波を掻き分けて僕の耳に届いた。
声の方向を見ると、教室の扉のそばに長い髪の女子生徒が立っていた。真衣先輩だ。
「ちょっと久しぶり」
「久しぶりですね。どうしたんですか?」
「広瀬に、これあげようと思って」
そう言って真衣先輩がカバンから取り出したのは、英語の単語帳だった。
「私は、もう受験も終わったからさ、捨てるのもなんだし広瀬にあげようと思って」
英語の苦手な僕を心配してくれたんだろうか、そんなことを考えていると、
「他の後輩でもいいんだけどさ、野村とか白石とかは同じの持ってるって言ってたしさ、広瀬は全然勉強してないんでしょ?」
と真衣先輩は言った。
単に僕以外の後輩部員は同じ単語帳を持っていただけらしい。だから僕に回ってきたということだけのようだ。いや、みんな持っているということは、勉強していないのは僕だけということか。
「……ありがとうございます」
「英語苦手だって言ってたし、それを全部やりきれば……英語はそれなりになるんじゃない? 私と同じぐらいにはなれるよ」
「真衣先輩と同じくらいなら、どこでも行けちゃいますよ」
「じゃあ、私と同じ大学においでよ。行き先はまだ未定なんでしょ?」
「無理ですよ」
真衣先輩は、東京にある難関大であるY大学に合格した。いまの僕が志望校に書いたら、担任に「ふざけてるのか?」と言われてしまうだろう。偏差値が10以上離れてしまっている。
「地道にやれば、追いつけるよ。じゃ、勉強も頑張って」
そう言うと真衣先輩はカバンを肩に掛けなおし、去っていった。
僕はなんとなくその後ろ姿が見えなくなるまで扉のそばに立っていた。
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