兄の心、妹の心

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  ◆  目を開けると、そこには今しがたまで記憶で見ていた妹の姿があった。  幻覚か夢か、どちらにしても私は疲れているようだ。  彼女が一歩、二歩と近付いてくる足音が聞こえて、それが現実であることを認識した。  この家で彼女の姿であるものは、私が作ったそれのみだ。強制終了させたはずなのにどうしてだろうか、とぼんやりと思う。 「……何か不具合があって終了できなかったか、それとも再起動されたか」  すぐ目の前まで来たそれを見上げても、顔に影が落ちていて表情はよく見えない。 「――――兄さん」  妹の声がする。一緒に過ごし始めた本当に最初の頃によく聞いた声音だ。悲しみと苦しみを飲み込んでまっすぐ私に微笑んだ、あの声音だ。  しゃがみこんで、ルーリカの手が私の胸元に伸びてくる。前髪の間から覗く瞳には、何かを固く決意した強い輝きがあった。  ルーリカだ。  「ルーリカ」では見たことのなかった、ルーリカの眼差しだ。  いや、ルーリカではない。  その「心」は彼女と異なるものだった。  それでも。 「…………ルーリカ?」  私の呟きを聞き、妹の口角が緩く上がる。けれどもその口は否定の言葉を紡いだ。 「いいえ、兄さん。あたしはきっと兄さんの望むルーリカではないわ」  胸元に当てられた指先が、シャツのボタンを外してひやりと身体に触れてくる。 「でもあたしは兄さんの妹で、今ルーリカが願うだろうことをあたしの『心』は知っている」  トントン、と軽く私の胸板が一定のリズムで鳴らされ、そのまま手のひら全体を押し当てられる。  カチリと、留め具の外れる音がした。目を向けると、胸板が開かれていた。  妹の手が、胸の内で何かをなぞる動きをする。  何をしているのか尋ねようとして、声が出せないことに気付いた。  異常は発声機能だけではない。四肢も動かなくなっている。 「兄さんは忘れてしまったか、あるいは知らないことにしてしまったみたいだけど、あたしは覚えている」  手の動きを止めて顔を上げ、翡翠の眼差しが柔らかく細められる。 「兄さんの――――機能停止方法(しなせかた)を」  妹の手が胸元から離れていく。感覚器官からの情報も失われていく。何もかもが分からなくなる前に見た景色で、妹の手の中に私のコアが握られていた気がした。 「優しくて、格好良くて、強くて、ルーリカのことをとても大事にした、ルーリカの大事な、あたしの兄さん。どうか、おやすみなさい」   ◇  XX月XX日未明、シエヴァ邸より出火。  その邸宅は、かつて科学者ルーリカ・シエヴァが暮らしており、死後は彼女が若い頃に作った人型ロボットが管理していた。  出火元からは人型ロボットの残骸が発見され、邸宅を管理していたものであると確認が取れた。人工知能が搭載されていたようであるが、大きく破損しているために修復は困難であるとみられる。また、研究室にも火の手が回っていたため、研究室にあったデータも破損したものがある。  他にシエヴァ氏の研究が残されていないか、後日改めて調査予定である――  スクラップブックにある火災の記事と書込みを見ながら思い出す。  不具合があれば自己修復をも行う、「心」機構搭載の人型ロボット。それが科学者ルーリカ・シエヴァによって作られた兄さんだった。  彼女が15歳のときに、二代目として作られた。初代が壊れてしまったために、二度と失われないようにという強い意志で作られたという。そのため兄さんは機能を停止することができなかった。彼女の死後ですらも。  あたしはそんな兄さんによって作られた、216代目「ルーリカ」。ルーリカと同じ「心」で物事を判断し表現するよう調整された機体だ。  あの日、兄さんが二度と目覚めないようにと、「心」を取り除き、記憶も身体も破壊した。ルーリカにはできなかったことだけれども、兄さんの深い絶望を知ったあたしにはそれができた。  あたしは「心」機構を持つ、兄さんの妹機だから。 「――ルーリカ、何を読んでいるんだい?」  声を掛けられていることに気付いて顔を上げると、翡翠の瞳がこちらを見つめていた。 「古い記事だよ」  はい、と手にしていたスクラップブックを渡すと、「兄さん」は受け取ってさらりと目を通した。 「ああ、明日行く場所だね。ルーリカは前に行ったことがあるんだったか」 「ずっと昔にね」  あたしが去った後、シエヴァ邸は最終的に文化財として保護されることとなった。  ルーリカ・シエヴァの死後にそれなりの時間が経過し、生きていた当時の様式の建築物が非常に貴重なものになっていたことと、一部が燃えたとはいえ兄さんの管理によって保存状態が良好であったことが大きな理由らしい。  あのユノの木も手入れがなされていて健在だと聞いている。 「私は初めてだから楽しみだ」 「そんなに楽しみなの?」  文化財に興味を示すのは初めてのような気がして首を傾げた。そんなあたしを見て「兄さん」はスクラップブックを返しながら優しく微笑んだ。 「だって、ルーリカ・シエヴァが晩年を過ごした場所だろう? ルーリカが名前をあやかったその科学者が、どのような場所でどのように過ごしたのか、興味があるよ」 「そっか」  向けられる温かさにあたしは気恥ずかしくなって、奪うようにしてスクラップブックを受け取った。  兄さんが妹を大事にしてルーリカが照れる。あたしたちの「心」はそう作られている。  けれど、同じ「心」であるとしても経験が異なれば記憶と感情の蓄積も異なる。あたしがルーリカとは異なることと同様に、兄さんとは異なる「兄さん」であるのだ。  冊子の下に隠した口元に笑みが溢れる。  なんだか、とても素敵なことのように思えたから。
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