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兄の心、妹の心
あたし、おにいちゃんがほしい!
やさしくて、かっこよくて、つよくて、それからあたしのことをとってもだいじにしてくれるの!
え、ダメ? どうしても?
おとうとかいもうと……でも、やっぱりおにいちゃんがいいな……
うん、じゃあ、いつかぜったいおにいちゃんをつくるよ!
◇
「ああ、違う違う違う! ルーリカはそんなこと言わないのに!」
「……兄さん?」
頭を抱える私を、妹を模した存在が戸惑った表情で見上げてくる。
揺らぐ翡翠の瞳も、困惑したときに少しすぼまる薄い唇も、軽やかな蜂蜜色の髪も、短く手入れされた爪も、話すときの声音も、妹と同じだ。触れる手の柔らかさも、温かさも。
それなのに、「心」だけが彼女じゃない。
「【強制終了】」
私の発した命令を聞いて、それはくたりと崩れ落ちた。
「……姿形はこれほど同じにできるのに、どうして」
機能を停止したそれは、見れば見るほど私の大切な妹だった。
床に伏せさせたくなくて、そっと抱き上げて近くの長椅子に横たえた。
――妹ではないそれに「兄さん」と呼ばれるのを拒否したのは私だというのに、「心」が表に出なければ妹のように扱ってしまうのか。
長椅子の上のそれから目をそらし、私は身体を引きずるようにして部屋を後にした。
本物の彼女に会いたかった。
◆
庭にあるユノの木は、見上げるほどの大きさがある。
樹木葬として植えたときには苗木だった。火葬の後は骨箱に入れられるのが当時の一般的な方式だったが、生前の彼女の希望により樹木葬を行った。
記憶の中の彼女が笑みを含みながら戯けた調子で言う。
『ちょっと手間がかかる方がいいでしょ。兄さんは暇すぎるとメソメソして過ごしそうだし』
芽が出てから実を付けるまでに18年かかると言われるユノも、実を付ける前より後の方がずっと長くなってしまった。
私が生まれてから彼女が死ぬまでより、彼女が死んでからの方がずっと長くなってしまった。
ユノの木の根本に腰を下ろし、目を閉じて記憶を開く。
『優しくて、格好良くて、強くて、大事な兄さん。…………ありがとう』
歳を重ねて少し低くなった声で、死の間際の彼女は言った。感謝を湛えた瞳の奥底で憂いを帯びた色がほのかに揺らめいたのは、おそらく私を遺して逝くことに対してのものだろう。
私は彼女の節くれ立った手を両手で包み、こちらこそ、と口を動かした。
ルーリカに先立たれたとしても、ルーリカとの思い出がこの胸にある限り、永遠に近い時間すらきっと私は生きられると思ったから。
確かにそう、思っていたはずだった。
ルーリカが存在しなくなったことに真に絶望したのは、ユノの実が付くようになって数年が経った頃のこと。
今まではっきりと思い出せていたはずの彼女といる記憶が、おぼろげになっていることに気付いたのだ。
大切な妹との記憶が、時間経過により不明瞭になっていくことに耐えられなかった。
だから私は、彼女の未発表の技術である「心」機構が搭載された「ルーリカ」を作ることにした。
遺伝子から彼女の身体的特徴を写し、私の記憶から彼女の言動を写し、「心」を持たせれば、それは彼女に相違ない存在になると信じて。
外界からの情報に基づいて生じる感情パラメータの値が、その状況と共に記憶される。すなわち事象に対して感情記憶が関連付けられる。この感情記憶の強度と時間経過によって記憶されている事柄の優先順位を設定し、優先順位の低い事柄を圧縮して管理する。
この感情パラメータによる、表現、再学習、記憶の管理等の仕組みを、彼女は「心」と呼んだ。彼女が認識する、人間の心の有り様だった。
目覚めた「ルーリカ」は、いつだって同じことを言った。
『まったく、兄さんったら仕方ないんだから』
呆れながらも笑う彼女の声を聞いて、私はひどく安心した。
けれど、しばらく一緒に過ごすうちに、それがルーリカではない決定的な言動が生じてしまうのだ。
その度に私は「ルーリカ」を作り直した。彼女の外界の認識の仕方をより正確にするために、瞳孔の大きさから歩き方の癖に至るまで調整した。彼女が生きていた頃にはまだなかった新技術も取り入れて、彼女そのものを作ろうとした。
それでも、「ルーリカ」はルーリカにならない。
「ルーリカ」の「心」はルーリカの心にならない。
今回に至っては、私が思い出せなくなっている記憶すらも学習させたのに、それでも。
「……何が違うんだ。何が足りないんだ」
私が正しく生きている限りルーリカはおぼろげになっていく。
だからといって、それをやめることはできない。生き続けることこそが、兄である私に対してルーリカが願ったことなのだから。
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