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 あの夜以降も、誠志は夜のコンビニでたびたび育人に出くわした。先週、最後に顔を合わせたときは「いよいよ明日試験です」と声を上ずらせていた。誠志が「今から緊張してどないしはるんです」と呆れつつ励ますと、育人の顔が心持ち和らいだ。  その後は月の半ばで誠志の仕事が落ち着き、深夜残業で育人に遭遇することもなくなった。育人の試験はどうなっただろうと思いを馳せるうちに、怜子の採卵日がやってきた。  四回目ともなると、朝の採精も手慣れたものだった。誠志は怜子から託された採精容器に、自慰のとばしりを収めた。  育人のアドバイス通り、この一週間は極力毎日射精するよう努めていた。精液の状態は、禁欲期間が長くなるほど悪くなる。溜まったものをこまめに射出することで、育人曰く、「イキのいい子」が増えるのだ。溜めた方が濃度も運動率も上がると思っていた誠志は、目からうろこが落ちる思いだった。  しかし、誠志のそんな努力も、検体に「問題」が発生すれば無駄に終わってしまう。朝、オフィスで新着メールをチェックしつつ、誠志は傍らのスマートフォンへ目をやった。  クリニックから電話があったのは、午前九時を少し回ったときだった。今回は、声の主が誰かすぐにわかった。 『大変申し訳ありませんが、また、今すぐお越しいただけませんか?』  育人がいつになく暗い声で言った。誠志は「わかりました」と答えて、エレベーターに向かった。  いつもの受付嬢が、誠志を見るなり「五十嵐ですね」とうなずいた。彼女は内線でなにやら確認してから、誠志に「採精室へどうぞ」と告げた。  廊下の突き当たり、採精室の入り口前に育人が立っていた。育人はつまさきに目を落とし、所在なげに立ち尽くしていた。 「育人くん」  誠志が駆け寄ると、育人はハッと顔を上げて「二葉さん……」と眉根を寄せた。  苦しげな育人を見かねて、誠志が「また、僕のちゃいました?」とあえて軽い調子で聞いた。育人は目を伏せて、「はい」と答えた。 「あの……ご自分で、採精いただけそうでしょうか?」  誠志にプラスチック容器を託して、育人が聞いた。心配そうに見上げてきた育人と目が合って、誠志の鼓動が小さく跳ねた。  視線が交わったのは一瞬で、育人はすぐまた顔を逸らした。単に検体がなくて困っている以外の機微があるのか、端整な横顔からは読み取れなかった。色白のかんばせが、ほのかに赤く染まっているように見えるのは、誠志の希望的観測に過ぎないだろう――。  押し黙る誠志に、今度は育人が助け舟を出した。 「難しければまた……お手伝い、させていただきますが」  育人の大きな瞳が再び誠志を捉えた。きらきらと光を孕んで濡れたような双眸に、誠志の顔が映っていた。下肢がズクンと(うず)き、誠志は居たたまれず目を逸らした。 「……お願いしても、ええですか?」  煩悩に抗えず、そんな答えを返してしまった。誠志は忸怩(じくじ)たる思いを抱いた。 「今回も、検体の血液型はB型でした」  採精室のドアを後ろ手に閉めて、育人が言った。中央のソファに腰を下ろした誠志は、「やっぱり、僕のよりずっと優秀でした?」と尋ねた。育人は「優秀というか……」と言葉につまった。 「精子濃度、奇形率、運動率とも、前回奥様が提出された検体を上回る数値でした」  育人の言葉に、誠志は「ハハッ」と自嘲がちに笑った。 「それ、使(つこ)たらええやないですか。僕のは新鮮なやつでもあかんかったんやし」  誠志が投げやりに言うと、育人がぎょっとして、「なに言ってるんですか!」と珍しく声を荒げた。 「そんなの絶対にダメです! でも、奥様の貴重なたまごを見殺しにすることも、僕は絶対イヤだ――だから今日も、絶対に出していただきます」  育人が唇を引き結び、誠志の手から採精容器を取り上げた。ソファの前にひざまずき、ためらいなく誠志のベルトを外す育人を見下ろしながら、誠志は罪悪感に胸をつまらせた。  淡白な誠志が七日にわたり自慰をつづけられたのは、育人を「オカズ」にしたからだ。採精補助は不妊治療の一環で、性行為とは一線を画するものだったのに、誠志は不埒な妄想を律し切れなかった。  妄想のなかで、誠志は味気ないプラスチック容器ではなく、育人の喉に熱を注ぎ込んだ。鈴口をほじる指先は育人の舌で、袋をつつむ手のひらは育人のたなごころだと、自分勝手な夢想に(ふけ)り射精をくり返した。  怜子の採卵日が近づくにつれて、誠志は後ろ暗い期待を抱くようになった。怜子がまた、夫以外の精液を提出すれば、前回と同じ「施術」を受けられるかもしれない――。そんな望み自体、もはや不貞と呼べるものだった。あの朝、妻がいかなる経緯で第三者の精液を入手したのか気にすべきなのに、誠志の頭は育人に導かれた絶頂の記憶でいっぱいだった。 「失礼します……」  育人が取り出した誠志のものは、既に芯を持ちはじめていた。育人の動きがふと止まり、誠志は自分のさもしい期待を見抜かれたかと肝を冷やした。だが、それも杞憂に終わった。  育人は亀頭にチュッとくちづけて、「これならいけそうですね」と安堵した。敏感なところに育人の吐息が掛かり、誠志は思わず「うっ」と小さくうめいた。そのままペニスをのみ込まれて、誠志の下肢が張りつめた。 「っ……い、いくと、く……っ」  裏筋を舌でくすぐられながら、誠志が喉をふるわせた。いつもの妄想の癖で、つい名前を呼んでしまった。すると育人は一旦口を離して、「いけません」とささやいた。 「僕のこと、奥様だと思ってください」  竿の根元を片手で支え、カリ首に唇を添わせて、育人が誠志を見上げた。育人の端正な顔立ちと、劣情に猛った己のものが呈する卑猥なコントラストに、誠志はさらなる興奮を禁じ得なかった。 「わ、わかりました……」  誠志が形ばかりの合意を口にすると、育人は再び誠志のペニスを頬張った。育人の指が根元から離れ、代わりに柔らかな唇がするすると下りてきた。誠志のボクサーブリーフの窓に鼻先を突っ込み、下生えに鼻先を埋めて、育人は誠志の亀頭を喉の奥でしごいた。イラマチオを受けるのは初めてで、誠志は未知の快感にみるみる溺れた。 「あ、あっ……っく……うっ!」  下唇を噛み締めても喘ぎ声を抑え切れず、誠志は両手で自分の口元を覆った。  育人が誠志の太ももをスラックス越しに撫でて、股間へ手をすべらせた。せり上がってきた精液でパンパンの陰嚢を優しくマッサージされて、誠志の腰がビクンと跳ねた。  先ほどの約束に反し、誠志の頭に怜子の姿はなかった。育人の愛撫に全神経を集中していると、ともすれば彼の名を呼んでしまいそうだった。誠志は口を覆う手の指を噛み、頭のなかで連呼する名を声に出さぬよう努めた。  怒涛の快感にあわや流されかけた誠志だったが、絶頂の手前で育人が唇を離し、「そろそろ出そうですか?」と確認した。 「あ……はっ、はいっ」  誠志は我に返り、促されるまま前かがみになった。限界まで張り詰めたペニスを、育人があやすようにしごいた。トン、トンと軽いリズムを刻む手に導かれ、誠志はプラスチックのなかで果てた。 「よかった、いっぱい出て……」  尿道のわずかな残滓までしごき出し、育人が満足げにつぶやいた。  誠志が上がった息を整えていると、育人は採精容器のふたを閉めて傍らに置き、誠志のズボンを直した。彼の甲斐甲斐しい居ずまいを見下ろした瞬間、誠志は目を疑った。  育人の股間が緩やかに屹立し、スクラブの裾を押し上げていた。誠志のものを咥えることで、性的快感を得たのだ。ひと目でわかる証拠を目の当たりにして、誠志は矢も楯もたまらず育人の肩を掴んだ。 「えっ、ふたばさ……っン」  衝動に駆られるまま、誠志が育人の唇にくちづけた。同じ唇で陰部にふれられたときよりも、いっそう柔らかな感触がつたわった。  驚きのあまり固まっていた育人に舌先を押し込み、歯列を割って、なかで縮こまっていた舌を絡め取った。直前まで誠志のペニスをしゃぶっていた舌はほのかに青臭く、混じり合う唾液に溶ける微かな苦みが、誠志の下肢へ電流さながらの性感をもたらした。  夢中で育人の舌を吸い、苦みがすっかり消えた頃、誠志の胸元を押し返してくる手があった。誠志はようやく我に返り、慌てて身を引いた。  焦点の合わない間近で、きれいな顔が恍惚と誠志を見上げていた。しかし育人はすぐにハッとして、そそくさと立ち上がった。 「し……失礼しました。採卵に間に合ってよかったです。検体は、責任をもって処理させていただきますので……」  そう口早に言うと、育人は誠志に背を向けたまま部屋を出た。とろけるキスの余韻がいつまでも唇に残って、誠志は深いため息をついた。
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