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その光景に息が止まった。
黒いズボンの足は、どう見てもツカサのものではない。
驚きすぎて動けなくなり、顔を確かめることなどできず、足が視界に入ったままバクバクと不穏な鼓動が鳴り響く。
「……フフ。部屋に入れてくれたの、初めてだね……」
それは男の声だったが、ボソボソとして聞き取れない。
比菜子は口を押える。
(………………はっ、えっ、誰、なにこれ。どうしたらいいの)
くるまっている布団ごとガタガタと震えた。
いつまでも動かない比菜子より先に、やっと向こうはさらに一歩、ベッドへ近付いてくる。
「ヒッ……」
男が屈んだのがわかった。
見るのが怖くてわざと視線を合わせずにいたが、視界にぼんやりその男の黒髪が写り込む。
(……あ)
その男は比菜子の知っている男だった。
「……え、あの、奥の部屋の人ですよね……?」
おそるおそる顔だけで見上げると、黒ぶちの眼鏡が前髪に埋もれた、服装まで真っ黒なその人がそばで覗き込んでいた。
男は「……そうだよ……」と返事をする。
知っている相手だとしても、この状況は比菜子にとってまったく安心できるものではない。
拒否をしたらなにをされるかわからない恐怖で、比菜子は無意識に知り合いとしての会話を続けた。
「……渡辺さん……じゃなくて、えーと、渡部さん……でしたっけ」
「ひどいなぁ……渡瀬だよ」
「あ、ああ、そうだ渡瀬さん……でしたっけね。3号室の。えっと、ちょっと待ってください、そこで止まっててください。なんで私の部屋に入ってきてるんですか……?」
「奥の部屋はふたつとも僕だよ……3号室と4号室、どっちも契約してるんだ」
「……は、はあ?」
「最近2号室も空いたから、そこも僕が契約するつもりだったのに……」
(……なにを言ってるの……?)
「やっと浅川さんと僕だけのアパートになるはずだったのに、どうしてあんな男を住まわせてるの……?」
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