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シンクへ追い詰められながらではとても落ち着いて話などできない。
比菜子はそう思いつつも、かしこまっては逆に切り出しにくいと気づいた。
(どうやって話したらいいかな……社長のことと、入社のことと、スーツ代のこと……。いきなりお父さんがうちの社長だったなんて聞いたらビックリするだろうし、意地になって入社どころじゃなくなっちゃうかも。ここはまず、ヘルシーネオの良さをアピールしてから……)
ツカサの腕を押し戻し、両手を握る。
彼はそれを切なげに受け入れた。
「あのね、ツカサくん。今まで使ってた私の会社の商品、『へるすた』とか、『へるすウォッチ』とか、あとこの間行ったジムとか。どう思った?」
「……どうって?」
ツカサの眉間のシワは、深さを増していく。比菜子はそれに気づかず話を進める。
「けっこういい商品だよね。ツカサくんバッチリ使いこなしてるから会社からも注目されてるんだよ」
「……で?」
「で……その。これから就職とかも考えていくわけじゃない? 自分が気に入った商品を扱う会社を選ぶのって、ごく自然なことだと思うんだよね。だから……もしうちの商品に興味持ってくれたなら、入社も考えてみたらどうかなぁって」
比菜子はミッションのひとつを話し終え、息をつく。
ツカサの反応を気にするが、彼は黙り込んだまましばらく動かなくなった。
「……俺に入社してほしいのか」
「えっと……ツカサくんしだいなんだけど。どうかなって」
不穏な空気をかすかに感じ取り、比菜子の声はうわずった。
ツカサは重ねられた彼女の手から逃れると、目を合わせずにつぶやく。
「────ない」
「え?」
「絶対に入らない」
彼の視線が怒りに満ちたものだと、比菜子はやっと気づいた。
「……ツ……ツカサ、くん?」
彼の肩に触れようと手を伸ばしたが、それは音を立てて弾かれる。
「触んな」という彼の視線に貫かれ、比菜子の体はビクリと揺れた。
「あ……ごめん…… 就職のことまで口出しされたら嫌だったかな……? ただその、ツカサくんのこと好きだから、私は一緒に働けたら素敵だなーって思って……」
頭が真っ白になりかけながらもどうにか彼をなだめる言葉を探すが、話せば話すほど溝は深まっていく。
ツカサは彼女に背を向けてドアへと向かい、
「嘘つけ。今までずっと、俺のことからかってたんだろ」
と吐き捨てる。
「……え」
「俺は大っ嫌いだ。じゃあな」
バタンと乱暴にドアは閉められ、やがて共用玄関からも彼が去っていった音がした。
比菜子は動くこともできないまま、シンクで呆然と立ち尽くしていることしかできなかった。
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