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「え」
比菜子は思わず、言葉を失った。
言ったものの照れくさくなり、彼は猫みたいにこちらを見ている。
こんな綺麗な夜空の下でそんなこと言われたからか、素直な言葉がじんわりと胸に響く。
「……大げさだよ」
やっと答えたその声はうれしさで震えていた。
「大げさじゃねえよ。比菜子と一緒にいるようになってから気分いいんだよ。体動かす気にもなるし、体調もいいし」
「そ、そう? 『へるすた』の力は絶大だね」
「比菜子。ありがと」
お礼を言われるのが本当に照れくさくてなんとかかわしたつもりだった比菜子だが、ツカサはそれをさせなかった。
頬が赤くなるほどグッときて、それ以上なにも言えなくなる。
「……どういたしまして」
満足げなツカサと、赤い顔を上げられずにうつむく比菜子は、しばらくして歩みを再開する。
「おい、泣くなよ」
「うるさいっ。泣いてないっ」
滲む涙を拭いながら、ポカポカと彼を叩いて小走りになる。
ふたりの帰路は、やがて笑顔に包まれた。
(……ん?)
ふと、比菜子は足を止め、振り返る。一メートルほどのブロック塀が続く住宅地に入り、そこを睨むように佇むカーブミラーを、ジッと見つめた。
「比菜子? どうした」
ツカサもそこへ目を移すが、カーブミラーには誰もいない夜道しか映っていない。
(今、誰かに見られてたような気がしたんだけど……)
「……ううん。気のせいだったみたい」
踵を返し、アパートの方向へ向き直った。
「行こ」
歩きだした彼女に、ツカサも追いかけるように付いていった。
背後のカーブミラーに再び誰かが映ったことに、ふたりが気づくことはなかった。
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