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第4話 婚約者は突然に
お隣さんになって、一か月が過ぎようとしていた。
【チェリッシュでテイクアウト用のソースもらったから、今日持って帰る。比菜子も仕事がんばれよ】
(へへへへ……)
「浅川さん、なんだかご機嫌じゃないですか?」
金本は、隣のデスクに座る先輩である比菜子の顔を覗き込んだ。
スマホ画面を見て目尻が垂らしていた比菜子は、言い当てられてハッと姿勢を正す。
「な、なんでも」
「そうですか? 気になる人とメールしてるか、猫ちゃんの写真でも見てるのかと思いましたけど」
(げ、鋭いっ)
比菜子は金本の言葉にギクリとしたが、同時に「ん?」と疑問符を浮かべる。
(いや、気になる人じゃなくて、猫よ、猫。六つも年下の大学生を、さすがに男として意識しないって)
そう言い聞かせ、ウンウン、と心の中でうなずいた。
金本の薬指を眺め、気を引き締める。
(いくらツカサくんがかわいくても、私にはもう不毛な恋愛をしてる余裕はないんだから。浮かれちゃダメ)
しかし、仕事を終えて帰宅し、ツカサが共用玄関まで「おかえり」と迎えに来るのを目にすると、比菜子は再び顔が緩む。
「ただいま」
この一か月で一皮剥けたのではないかというほど成長したツカサは、スーパーに寄った比菜子のマイバッグに手を伸ばし、「俺が持つ」と受け取る。
(頼もしくなったなぁ、ツカサくん)
トイレ掃除を習得した彼は、嫌々ながらも自分の部屋のトイレを使えるようになった。
比菜子に合わせて規則正しい生活をしているおかげで、バイトにも遅れることなくしっかりとこなしている。
心なしか広くなったように見える彼の背中を、しみじみと見つめた。
「これ、貰ってきたテイクアウトのソースな」
「ありがとう!」
【チェリッシュoriginal】という白いラベルが貼られた銀のパックを四つ、紙袋のまま受け取った。
「和風ソース、ガーリックオイル、海老のクリームにトマトソース……! 美味しそう!
タダで貰っていいの?」
「新しい商品に入れ換えるらしいから、持ってけって言われた。俺は食い飽きてるから比菜子食べろよ」
「えー! やったぁ!」
紙袋からひとつずつ取り出してカラーボックスの中に収納したが、最後に一枚の紙切れが底に残った。
ふたつ折りのそれを拾い上げ、開いてみる。
【店長の戸崎です。この間はご来店くださりありがとうございました。また、お待ちしています】
(……ん? なにこれ。私宛て?)
小さな便箋を眺めて難しい顔をしていると、ツカサは比菜子の横から「なに見てんだ?」と覗き込む。
文面を読んだ彼は、威嚇する猫のように目を細め、
「……はぁ? なんだこれ」
と低い声で唸った。
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