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仕事を終えヘルシーネオを出た比菜子は、電車に揺られながら、一日中頭から離れなかった昨日のマッサージ事件を思い出す。
火が着いたような彼の表情が甦り、体の熱が再びわき上がってくる。
(なんかツカサくんって、イケメンのわりにウブすぎない? 普通はもっと女慣れしてると思うんだけど……)
上の空のまま電車を降り、アパートまでの十五分の道のりをフラフラと歩く。
(……ん?)
自分のパンプスの足音とは違う、ヒールの音が聞こえてくる。
こちらの歩みと同じスピードで、その音は一定の間隔を保って背後から鳴っていた。
アパートの前で、ふと足を止め、振り返る。
「あっ……」
声を漏らしたヒールの主は、焦ったように立ち止まった。
白いAラインのワンピースに、白いカーディガン、さらに白いエナメルのパンプスという眩しいその女性は、揃えてカットされたロングの黒髪が艶々と揺れている。
小柄で、大きな瞳のと小さな唇の整った顔立ちはお人形のようであった。
(なにこのピカピカの女の子……)
「あの、なにか?」
この住宅地に似つかわしくないお嬢様に、比菜子は首をかしげる。
後をつけていたことは間違いないらしくお嬢様は動揺していたが、やがて深呼吸をしてから、比菜子と対峙した。
「……このアパートに、ツーくんは住んでいますか?」
〝ツーくん〟という呼び名に、比菜子の胸は〝ドクン〟と音を立てた。
「えっと……ツカサくんのことですよね?」
「そうです。ツーくんが家出をしてしまったので探していました。家の者に調べさせて、やっとここを突き止めたのですが……」
(まずい。ご家族かな?)
お嬢様は比菜子に怪訝な視線を向けた後、それをそのままつぼみ荘へと移す。
「信じられません。ツーくん、まさかこんなところに住んでいたなんて……。離れの小屋よりも小さいです。それに、誰か建て直したり綺麗に補修してくださる方はいないんですか? とっても汚い」
つらつらと自分勝手な感想を述べる有沙に、比菜子はムッと口を尖らせる。
(ここに住んでる私を前にして失礼すぎない? いや、ツカサくんも最初はこうだったから、類はなんちゃらってヤツか……)
「汚いんじゃなくて古いだけです。あの、ツカサくんのお知り合い?」
「はい。オバ様はどなた?」
ピキン、と比菜子の顔面にヒビが入った。
「オ、オ、オバッ……」
覗き込む有沙の表情は、挑発的なものに変わっていく。
(たしかにこの子より年上ってのは一目瞭然かもしれないけど、今の格好は断じて、絶対に、 まだオバサンではない! この子わざとだ!)
「ふ、ふふふ、オバ様ね、一応二十代なんです。ツカサくんとおんなじ」
「あら。そうでしたか。私はツーくんの婚約者の美山有沙と申します」
彼女が頭を下げると、手入れの行き届いた黒髪がサラリと落ちた。
それを目の前にしながら、比菜子の胸に〝ズキン〟と痛みが走る。
(……婚、約者……?)
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