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〝めちゃくちゃ出す〟という宣言のわりに彼の手はそれ以上進んではこないが、肩をぐるんと掴まれ無理やり向き合わされる。
いつもより何倍も〝男〟の顔をしたツカサの上半身が、徐々に比菜子へと迫った。
「ツカサくん、ちょちょちょっ、ストップ、ストップ、ストップ……!」
力の入らない手で胸板を押し返してもびくともしない。
(なにこれなにこれ……!?)
「比菜子」
名前を呼ばれたとき、ちょうど後頭部が玄関の内側にあるカーペットに落ち、トンと脳内が振動した。
電気の消えた天井と金髪の束がふわりとしなる彼の顔が目の前にある。それ以外には、なにも見えない。
押し倒されたのだときちんと理解する時間は与えられなかった。
その前に彼の顔が近づいてきて、目と目が絡み合い、鼻と鼻が触れる。
最後に、ゆっくりと唇が重なった。
(……う、そ)
触れるだけのキスはすぐに離れていき、同時に彼は膝で上体を起こす。
自分からしたくせに、比菜子の視界で揺れるツカサの顔は誰かにキスをされたかのように真っ赤に染まっていた。
その顔に煽られ、ギュンと胸が鳴る。
比菜子がなにも言えずにいると、彼はもう一度手を着いて彼女にのしかかる。
「へっ……」
「大切にされてこなかったって言うなら、俺がする。いいだろ」
「あ、あの、お願い、ちょっと待って……」
「俺、比菜子のこと──」
もう一度彼の整った唇が近づいてくる。
この突然すぎる展開に耐えられなくなった比菜子は、ついに大きく息を吸った。
「ちょっと待ってってば────!」
ギュッと目をつむり、前方を両手で突き飛ばす。たしかな手応えと同時に「うわっ!?」というツカサの声がした。次に〝ガン〟という痛そうな音がし、目を開いて恐る恐る確認すると、突き飛ばされたツカサがドアに当たった後頭部を押さえて縮こまっている。
「いってぇ……!」
「わー! ツカサくんごめん! ほんっとごめん!」
咄嗟に手を合わせて謝ったものの、顔を上げたツカサの視線がまだギラギラしているのを目の当たりし、脳内にさらなる警告音が鳴り響く。
「うん! ツカサくん! ありがとう! すっごく励まされた! おかげで今夜はゆっくり眠れそう! もう寝よっか!」
「おい、比菜子。話はまだ──」
「さあさあ部屋に戻って! おやすみー! バイバーイ!」
ツカサの背をぐいぐい押して扉の外へと追いやり、にこやかに手を振って勢いよく戸を閉めた。
扉一枚隔てた向こう側から、「好きだって言ってんだろ! 逃げんなよ!」という借金取りのような怒号が聞こえている。
(……なんだろう、これ)
ドンドンと拳でドアを叩かれる音もまともに耳に入ってこず、真っ暗な室内に呆然と立ち尽くす。
ツカサのあの射るような視線が何度でも甦った。
『比菜子が手ぇ出していいって言うなら、めちゃくちゃ出すぞ』
(……きゃあああ~~~!)
しゃがみ込んで体を抱きしめる。
胸の鼓動がうるさくて眠れないまま、騒がしい夜は更けていった。
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