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「浅川さん……」
社長はお札が入っていたハンカチの脱け殻で、潤む目もとを演技くさく拭った。
「ありがとう。そうか……思い返せば、ツーくんに言うことを聞いてもらいたくてずいぶんと強い態度をとってしまっていた気がするよ……。浅川さんの言う通りだ」
「ツカサくんも社長のお気持ちはわかっていると思いますよ。意地になってるだけに見えますし」
「そうかな」と希望のこもった眼差しを向ける社長に、比菜子は「保証はできませんけど」と苦笑いをする。
出された封筒に手を添え、それを社長の前へと差し戻した。
「ですから、お話し合いの場を持つご協力はしますが、説得は社長ご自身でお願いします。お金も受け取れません」
社長はそれを手に取り、封筒の入り口から覗く札束の側面を見つめながら、「うーん、でも、なにかお礼をしないと……」と悩ましげに首をかしげる。
(戻した! 今、受け取らなかったよな?)
ガラスの外で様子をうかがっているツカサは、封筒が父親の手に戻ったのを見てホッと胸を撫で下ろした。
(くそ、なに話してるのかさっぱりわかんねぇ。なんでこんなところで俺の親父と会ってるんだ)
植木から必死に顔だけを覗かせ、ふたりを食い入るように見つめる。
社長は封筒に指先を入れ、束のうち半分を取り出した。
裸になったお札にギョッとした比菜子は、「社長?」と声をかける。
「ツーくんはスーツを持っていないと思うんだ。これから必要になるだろうから、その分だけ受け取ってくれないかな?」
「え」
社長は取り出したお札はバッグの中にしまい、封筒に残った五十万を再度、比菜子へ差し出した。
「足りないかな?」
「いやいやいや! 多いです!」
(ていうか、いらないって!)
しかし、比菜子はふと考える。
(……でも、たしかに入社するにも就活するにもスーツは必須だよね。さすがにそこまでの貯金はできてないだろうし、かといって私が出してあげるのは恋人としてどうなの?って気がする。……こうなると、ツカサくんのお父さんに出してもらうのが一番自然って感じもしてくるなぁ)
「頼むよ、浅川さん。スーツくらいは僕が出してあげたいんだ。僕からじゃ受け取ってくれないだろうから。ね」
社長に手を合わせてお願いされ、比菜子はムムムと悩み始める。
(私に頼むのはおかしいけど、これを受け取るかどうかはツカサくんが決めることだよね……)
「浅川さん! ね!」
「……わかりました」
比菜子は五十万が入った封筒を受け取ると、「スーツ代として十万円だけお預かりします」と断りを入れ、数えて抜きとる。
それを、常に持ち歩いている自分の汎用封筒に入れ、残りの四十万の入った封筒を社長へ戻した。
「たしかに受け取りました。ツカサくんが受け取らなければ、お戻ししますからね」
「十万で足りるかい?」
「足ります」
「じゃああといくらかもらって。浅川さんも美味しいものを食べてよ」
「いらないです」
こうしてふたりの間のお金は、それぞれの荷物の中に消えていった。
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