私の家の夕暮れ

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エブリスタ―うちに○○がいます 1本目  私の家には夕暮れがいる。 「やぁ、すみませんが暫く間借りさせていただけませんか」  といって転がり込んできたのは昨年の秋。  夜更かしして昼過ぎに歯を磨いていたところをいきなりドアをノックされた。このロフト付きワンルームアパートに越してきてから、部屋のドアをノックしたきたのは押し売りか宗教の勧誘ばかりで、一つ残らず無視してきた。  とはいえ、ドアの隙間から美しく力強い来光を差し込ませる夕暮れまで無視してしまうというのは、富山県民には出来ぬ所業。  それに玄関には実家から贈られてきたマイタケがどっさり積んである。それらを白昼から西日に照らされてはかなわん。  玄関から差し込む陽光で仕事に使うパソコンのバッテリーまで直射日光で傷んでしまう。 「まったく。アポもなく唐突に訪ねて相部屋を依頼するだなんて。少しばかり無礼じゃありませんか」 「おっしゃる通り。しかし、今年は夏が秋だったでしょう?昨年も2月がまるで6月か7月という不思議な顛末だったのでね、私としてもどこかに居候して急場を凌がなければと思いましてですね……」 「ふむ、確かにテレビジョンもそんなことを言っていたなぁ」  何分、夕暮れは柔和というか人当たりが良かったので無下に追い返すのは憚られた。このまま長話するのは社会人として無礼だし、何よりマイタケが傷み続けてしまう。  スニーカーが何足も乱雑に散らかった玄関を見られるのも愉快ではないから「仕方ありませんけど、夏至までには他の賃貸に移ってくださいよ?」と念を押したうえで招き入れた。 「ありがとうございます恩に切ります。もっとも、夕暮れが恩を切るというのはいささかに形而上学的ですが」 「上手いことをいうね」 「いえいえ、それ程でも……」  もっとも共同生活を一切想定していない木造アパートの男一人暮らしを続けて3年だ。招き入れたことが帰って夕暮れにストレスを与えているのではと不安に思う時も多々あった。 「どうだろうか。水道にしろ電気にしろ、不便を感じてはいるのではないかな」 「とんでもない。勝手に上がり込んでおいて不平を感じるわけないじゃありませんか」 「でもねぇ、引き受けた時点で僕の責任だよ。ところで晩御飯はどうするんだい?夕暮れが普段何を食べているか分からないから、適当にシシャモを焼いてみてんだが」 「あら、随分と綺麗に焼き目がついて――」  唐突に始まった共同生活は意外と長く続いた。 「どうだい。もうそろそろ12月が13月になってしまうよ」 「いやぁ、13月に雪でも降れば目途も立つのですがね。いかんせん、まだ鮭の一匹すら遡上したと夕方のニュースが報道しないでしょう?」 「確かに。おととしだったら今頃は全てのチャンネルが鮭の滝登りの映像であふれかえっていたのにね」  取り留めもない世間話を交わしている間、夕暮れはスッと片手間に洗い物を片付けてくれることもあり助かっていた。  夕暮れは随分と気を使う性格で、個人的にいくらか夕日を融通してもくれた。  洗濯を忘れたまま仕事に向かい、帰宅してから日も沈んだ暗い室内で部屋干ししていると、遅れて帰ってきた夕暮れが「それじゃ困りませんか」と気を効かせてくれて、日没後にも拘わらず室内を真っ赤に照らしてシャツからジャケットから靴下の一足一足までキッチリと乾かしてくれた。  心遣いを受ければ返すのが人情というもので、曇天模様で夕日がうまいこと世界に差し込まない日は、ベランダに出て思い切り団扇をで扇いでやったものだ。流石に疲れが重なってしまい、押し入れの四段目から扇風機を引っ張り出して代用する日もあったが。  いつしか夕暮れと外出する日も出てきた。 「いえ、私は白昼から外出するわけにはいきませんよ。昼ご飯を買いに来ているショッピングモール夕焼けに照らし出すわけにもいかないでしょう」 「どうだろうか、コートを着込むとかで日輪を根元から遮断できないかい?」 「難しいでしょうね。何分服がね。夕暮れに寸法合わせて裁縫してくれる仕立て屋もいませんでしょう?」 「そこは、なんとか僕ん方から頼み込むからさ」 「アパレルショップの店員さん困らせたらいけませんよ」  ヨーグルトを平らげると、テレビの電源をつけた。 「私は昔からインドアタイプなもので。こうして したり、酒呑みながらバスケットボールの試合を見てるだけで幸せです」 「つつましいね」 「慎ましくはないですよ。怠け者なだけです」  そうほほ笑む夕暮れと共に、同じ炬燵に入ってナイター見ながら晩酌。そうこうしていれば自然と距離も縮まってゆく。  夏至を超えた頃合いでは布団も一枚で済ます様になった。 「せっかく専用に1セット買っていただいたのに」 「構わないよ。あれは中古だったから」  共に毛布にくるまっていれば、冬も暖房はいらなかった。  さて。枕元に夏蜜柑が転がり出した季節、とうとう僕と夕暮れに息子が生まれた。  綺麗な朝焼けだ。  分娩して朝焼けを産婦が抱えて眼下からノッソリ出てきたとき、夕暮れは嬉しさの余り自宅に奉納していた鰯の頭を、あれ程大切にしていたにも関わらず一つ残らず発電所に売り払ったという。  私もスッカリ安心し、夕暮れと共に朝焼けの寝顔を見守るばかり。 「大切に育てていかないといけませんね」 「全くだ。最も、しがない眼医者の私に朝焼けを立派に育てられるかどうか……」 「心配しないで。眼が無ければ人間は朝焼けが見れないもの」 「上手いことを言うね」 「いえいえ、それ程でも……」
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