最後の夜 其の三

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「…きよ…ふみ…。」 八千代が力なく呟いたその言葉は悠一郎には届かなかったが、口を開いたことに気が付いた悠一郎は八千代の顔に耳を近付けた。 次の瞬間、道路に空いた穴を前輪が通ったため、大きく車が揺れ、衝撃で車から落ちそうになった八千代を、悠一郎が足を掴んで何とか持ちこたえた。心咲の席の窓からは宙吊りになった八千代の顔が見え、心咲と海老原が悲鳴を上げた。 八千代の様子をチラリと見た琢馬は驚いて車をゆっくり停め、すぐに運転席から降りてタイヤに足を掛けてルーフに上った。 「伯耆先生!」 「木藤岡刑事、早く!!」 琢馬は状況がわからぬまま、悠一郎に加勢し、八千代の足を掴んだ。人間の足とは思えない乾燥した魚の鱗のような感触と、冷蔵肉に触れたような冷たさに驚きながらも、悠一郎と息を合わせて八千代をルーフに引き上げた。 「はぁ、はぁ、…一体何が!?」 「…八千代はもう限界です。急がなければ…。」 二人は八千代を抱えてルーフから降りると、心咲を後ろの荷物置き場に移動させて、八千代を後部座席に横たわらせた。 「え?え?」 心咲と海老原は状況が分からず戸惑いを隠せなかったが、時間がないため、琢馬は急いで運転席に戻り車を発進させた。 「心咲と海老原には後で説明する!…伯耆先生、あと数百メートルですから!」 「わかりました。千里に連絡を入れます!」 もう目的地の病院は眼前に迫っており、虫の息であるが、八千代も何とか持ちそうだと、悠一郎も少し安心した表情を浮かべた。悠一郎はそのままトランシーバーを手にし、千里に現状を確認しようとした。 「こちら伯耆。千里、そっちは今何処だ?」 「あー、あー、こちら久遠寺。もう病院は目の前よ。駐車場の入口でいいのよね?」 「あぁ、頼…っ!?う、嘘だろ!?」 「ブレーキが効かない!!みんな、伏せろー!!」 ドンッ!!! 病院の十数メートル手前の十字路で、琢馬が運転する車と茂村が運転する車が出会い頭に衝突し、力負けした茂村たちの車が転がりながら大きく飛ばされ、大木に衝突し逆さまの状態で停止した。 琢馬たちも衝撃でそれぞれ気を失う中、病院の駐車場で事故を目撃していた夏目と厳覚が慌てて現場に駆け寄り、夏目は琢馬たちの車に、厳覚は茂村たちの車に救助に向かった。 「キドっち!だ、大丈夫!?キドっち!!」 夏目は運転席に座ったまま気を失っている琢馬に必死に声掛けしたが、目を覚まさなかった。夏目は、他の人間の様子を伺うと、後部座席に横たわる真っ黒な皮膚と白髪の八千代を見つけ、悲鳴を上げた。八千代は目を見開いたまま生気を失っていた。 夏目は、八千代に警戒しながら、八千代の横で気を失っている悠一郎に声掛けをしていると、座席の後ろから突然心咲がのそっと顔を出し、夏目はまた悲鳴を上げて尻もちをついた。 「ちょ、心咲っち!勘弁してよ!さっきからあたし驚きっぱな…ん?心咲っち?」 夏目は心咲の様子がおかしいことに気が付いた。 「…きよ…ふみ…。」 心咲は夏目をギロリと見ると、皮膚を紫色に変色させ、瞳の白目が黒く染まると、夏目に殺気を向けた。 「…嘘でしょ…八千代なの!?」 「ギャーーーーン!!」 心咲は奇声を上げると後部座席を飛び越え、地面に尻もちをついたままの夏目に襲い掛かった。 「きゃああああっ!!」
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