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 最初から都会での生活は期間限定だった。だから、終わりはあらかじめ分かっていたことだし、帰りの引っ越し業者の手配も、ここへ越してきた時すでに終わっていた。段ボール数箱しかない単身用の荷物は夕方には運び出していたし、あとは自分が元の家に帰るだけ。  成瀬に対してウザ絡みして、喧嘩別れのようなことをしてしまったが、最後は、ちゃんと謝ってから帰ろうと思った。  けれど、今後も付き合いが続くわけでもないし、このままフェードアウトしても同じこと。  結局、直接会うのは仕事の邪魔になる気がして最後にメッセージだけ送った。  ――少しの間だけど、ご近所で楽しかったです。  出来るだけ湿っぽくならない感じに書いて、成瀬の情報をスマホから消していた。  色々迷って、メッセージを試行錯誤していたら、既に今日の電車が残り少なくなっていることに気づいて、慌てて荷物を持ち外へ出た。  駅について、電車を待っていると、突然スマホがポケットの中で揺れた。  ディスプレイを見ると、知らない番号だった。けれど知らないのに、さっき自分が消した番号だということだけは分かった。  もう会うつもりはなかった。  それなのに、手が勝手に動いて留守電に切り替わる前に出ていた。 (だって、もしかしたら、緊急事態かもしれないし、また、仕事ばっかりで自分のこと構ってなくて、倒れたのかもしれないし)  内心電話に出るための言い訳ばかりしていた。自分の本当の気持ちに気づかないふりをして。 「……もしもし」 「むっちゃん、いまどこ?」  こっちが連絡先を消しているなんて思っていないのか、成瀬は名乗らなかった。あんな別れ方をしたのに、向こうはまだ友達のように話しかけてきた。  ――ごめんなさい、自分勝手で。  心の中で謝っている。成瀬に向けていた言葉や行動の割に中身は軽薄で、自分のことしか考えていない。 「駅、です」 「黙って引っ越そうとするし。ね、会って言いたいことあるから、そこで待ってて」 「成瀬さん、仕事忙しいのに」 「そ、忙しいのにね、どうしても、今日がいいから、急いで時間作ってきた」 「荷物、まだ部屋にあるし、もう一回マンションくるから、その時じゃ駄目ですか?」  分かるような嘘をついた。もう、あの部屋に自分の荷物は何一つない。成瀬は歩きながら話しているのか、電話の向こうの音が時々雑音で途切れる。 「駄目。そこにたどり着くまでに仕事の電話入ったら……まぁ会えないかもしれないけどでも会いたいから」 「じゃあ、きっと無理ですよ」  初めから知っていたけど、やっぱり仕事人間だった。  言っていることは矛盾しているし、ひどい人だと思う。自分だって同じだけど。  そして、それをよんだように言い当てられる。 「でもさ、そこで、むっちゃんが俺を待っててくれるって可能性も低いよ? けど、分かってても行こうと思ってる」  電話の向こうで成瀬が笑ったのがわかる。成瀬がくるまで渡貫がここで待っている理由はない。成瀬だって急な仕事でこれなくなる可能性もある。同じだ。 「ごめんなさい、もう電車くるから」 「いいから言って、どこ?」  拒絶して電話を切ることが出来ない。  もう少ししたら終電が来る。なんで、ぎりぎりにマンションを出たんだろう、最後に成瀬に会って挨拶してからと少しだけ考えたから。  考えて、迷って、結局「やっぱり、もういいや」で、メッセージだけ送って逃げるように部屋を出た。  駅と路線を言うと、成瀬に「田舎のネズミっていうけど、全然じゃん」と言われた。だから「それ都内に通勤出来る人だけだし」と軽口で反論する。  まるで本当の友人みたいな気安さで。  居心地の悪い都会で、楽しい時間が過ごせたのは、成瀬に出会ったからだ。 (……分かっていた)  きっと、成瀬と知り合わなければ、こんなふうに都会から去ることに未練なんて感じなかった。  ――最後に、もう一度、会いたい。  逃げなければ良かった。ちゃんと話をすれば良かったと、この期に及んでメッセージだけで終わらせようとしたことを後悔した。 「――ていうか、今、丁度、家帰るところだったから、改札出る前だったんだよね。よかったよ、会えて」  声がスマホと左耳両方から聞こえる。横を向くと、そこに成瀬が立っていた。 「なん、で」 「仕事帰り」 「……お疲れ様」 「うん」  じゃあ、早く帰って寝た方がいいよ。そう言った時にホームに電車が入ってくるアナウンスが聞こえてくる。 「電車……きたし、話は次に会った時に、ほら、これ終電だし」  話をしたいと思っているのに、結局、成瀬を前にすると勇気が出なかった。  ホームに滑り込んできた電車に向かって歩き出そうとすると、渡貫は成瀬に腕を掴まれた。 「次は、もう無いのかなって思って、当たってる?」 「そんな……こと」  真っ直ぐに見つめられて、目をそらせてしまう。 「うん、ありそうだから、ね。とりあえず、俺も電車乗るわ」 「えっ、けど終電」 「どっかで折り返せるし。ま、ダメならタクシー使うよ」 「だって、仕事の電話くるかもって」 「じゃあ、電話かかってくるまで。それまで電車で話そう」 「でも」  成瀬はそう言って、渡貫の手を引いて電車に乗った。  突っ立っているわけにもいかず、二人並んで座ったけれど言葉が続かない。自分の部屋でも、成瀬のマンションの部屋では、あんなに喋ったのに。いまは言葉が見つからない。だから、謝っていた。 「ごめん、なさい」 「え、何か謝るようなことした?」 「叩いたから」 「それは、俺が叩かれるようなこと言ったからだろ」 「でも、悪いことをしたら、謝らないといけないと思う」 「なら、俺も、ごめんなさい」  成瀬は、小声で渡貫の耳元で「キスしたこと」と続けた。周りに人が座っていないからと言ってやっぱり公共の場でするような話じゃないと思った。耳まで真っ赤になってる自覚はある。 「言い訳するようで情けないけど、言い方間違えたから、言い直しに来たんだ」 「言い直すって」 「むっちゃんが、言ったことは正しいし、俺がずっと思ってたことだから。出来ないこと諦めたり、捨てていって楽になるのが幸せじゃないって」 「……うん」 「分かってても、俺は、楽な方ばっかり選んでた。自慢に聞こえるかもしれないけど、ADやってた時も結構一人の能力で仕事回してたとこがあって」 「……それ、有能でいいじゃないですか」 「あ、待って誤解しないで、違うから、自慢じゃないから、これ俺の悪いところの話だし」 「でも、実際できるならいいじゃないですか」 「うーん。できるならね。じゃあこれも自慢に聞こえるだろうけど、単純になんでも俺がやった方が早いとか思ってた。人と関わり合いながら仕事を進めるって、自分一人で進めるより、最初は時間がかかるでしょう、俺さ、結構面倒くさがりで」 「……そんな気はしてたけど。成瀬さん、それすごく駄目なやつ」  人間一人で出来る仕事量は限られているし、時間はあらゆる人間に平等で一日二十四時間しかない。頑張ったところで一人だけ時間が増えたりはしない。等しく有限だ。 「うん、分かってるけど、やっぱ一人だと楽なんだよね。あと忙しいと頑張ってる自分に達成感とか感じちゃって、どんどんやめどころが分からなくなる」 「――そう、だね」  渡貫は肯定しながらも、本質的には成瀬の仕事のことを理解出来ていないと思った。 「俺さ前にむっちゃんに言ったと思うんだけど、聞かなかったことで、その場限りに楽をするより、聞かなかったことで被るのちの不利益って」  成瀬があの時言った言葉は、普遍的な仕事においての心構えだったように思う。 「あれって、考えてみたら、俺の場合は、全部自分で決めたい、やりたいって傲慢な気持ちからくるんだよね。だから、直さないといけないって思ってる。でないと、自分の体が限界になるか、取り返しのつかないミスをする未来しかないだろ」  自分が面倒くさい関わり方なんかしなくても、成瀬は自分で自分のことをわかっていて、ちゃんと変えたいと思っていた。  だから、渡貫の関わりかたは、やっぱり大きなお世話だったことがわかった。 「ごめんなさい……僕は結局、成瀬さんの邪魔しかしてなかった」  渡貫がそう言うと成瀬は「邪魔とか思ってないよ」と否定する。 「そんな仕事馬鹿な駄目人間の俺がですよ、初めてむっちゃんと電気屋で話した時、この人すごいなって思った」 「どうしてですか? 僕の方が、成瀬さんのことすごいって思ってたのに」 「すごい? どこが? 疲れてるにしても愛想ないし。俺、あの日、なんかすごい、むっちゃんビビらせてなかった?」 「まぁ怖かった、ですけど」 「でしょう?」  愛想がないというより、単に機嫌が悪いんだなとしか思っていなかった。 「だって、成瀬さんは必要な情報を僕に教えてくれて、仕事しやすいようにしてくれたから。出来る男だって、僕は成瀬さんに対して劣等感みたいなもの感じてたし。あと憧れとか感じてたかも、うん」 「うわ……なんか、恥ずかしいな、自分が見せたくない部分にそう感じてたのか。けど、それ、むっちゃんが、そうさせてくれたんだよ」 「僕が、ですか?」 「普通さ、俺みたいな面倒な客が来たら、適当にあしらうだろ? 俺だって疲れてたし、忙しいし、必要なことだけ伝えて、さっさと局に戻ろうとか効率ばっか考えてたし」 「それは伝わってましたけど、僕は、お客さんにとって必要なものちゃんと提供したいって思ったから、面倒くさいと思われているだろうなって分かってたのに、つい……」  臨機応変な対応ができていないのは自分の駄目なところだと思っている。 「でもそれって、面倒なことから逃げないで仕事するってことだろ? あー、いい仕事をするってこういうことなんだなって、俺は分かったし、むっちゃんの仕事みて自分も変わりたいなって、思った」  成瀬がそんなことを考えていたなんて想像もしていなかった。 「僕は自分の仕事しただけで」  そんな深いことを考えてやっていた訳じゃない。性分なだけだった。そういう自分の性格を面倒だと思われていることも知っているだけに褒められても素直に喜べない。 「俺みたいに、好きなら限界まで全部自分でやりたいってなる人間からしたら、むっちゃんの仕事に対する姿勢は見習いたいって思ったし、馬鹿だから、目から鱗だったの、すげなぁって」 「あの、変わりたいって……僕と無理して関わることですか」 「うーん。無理してた訳じゃないけど、上手く仕事回して時間作って、プライベートな付き合いしたり、あの部屋だって、いつか自分で手入れて使おうと思って借りたのに、ずっとそのままだろ。むっちゃんが言うようにちゃんと生活しないとって思ってた」  成瀬はふっと笑う。 「て、思ってたんだけど、現実はそんなにすぐに変わらないし、忙しいと色々麻痺していくんだよね、やっぱもういいやってずるずる楽な方ばかりを選んでしまう。で、自己嫌悪して、落ち込むし、むっちゃんに八つ当たりしちゃった」  成瀬は、ずっと葛藤していたんだと分かった。変わりたいと思っている自分と、すぐには変われない自分。渡貫は無理をさせていた気がした。 「八つ当たりだったとしても、それは、僕がずっと成瀬さんに迷惑かけてたからだと思う。普通に考えて過剰なご近所付き合いだし、うざかったでしょう。怒られて当然だ」 「だから、そうじゃなくて、俺、あの日、むっちゃんに対して怒りたくないって言っただろ」 「僕は、ずっと怒って欲しかった、です」 「え、何、むっちゃんってマゾなの。怒って欲しいって」 「ちょ、引かないでください、違うから! 仕事している時、成瀬さんずっと機嫌悪そうにしてて、そっちが本当の成瀬さんなのに、僕にだけ変にわざとらしくニコニコ笑ってるから」 「わ、わざとらしいって……いや、まぁ自分のデフォルトの顔と声が仕事仲間を怖がらせてるのは分かってるけど。目つき悪いだけで、怒ってる訳じゃ……」 「なんか友達になったのにずっとお客さんっていうか、全然相手にされてないみたいで」 「えー、それむしろ逆、むっちゃんにだけ、仕事以外の顔したかったし、笑いたかったの! 俺の努力は全然伝わってなかったのか……」 「努力、とかしてたんですか」 「してたよ。だってさ、いつも怖い顔してる人間と、楽しそうに笑ってる人間がいて普通どっちの人を好きになる?」  その答えは、あまりにも単純だった。 「俺は、ずっと好きな人に好きになってもらうための、努力をしてたんだけど」  じっと、まっすぐに見つめられて、心臓が深く波打った。 「す……好き……だったんですか」 「もちろん。でなければ、貴重なプライベート全部、むっちゃんに使わない」  ばつの悪い顔をして、不器用に笑う成瀬を見て戸惑う自分を隠せない。 「僕は、成瀬さんが怒りたいのに、すごく、すごく無理してるんだと思ってました」 「むっちゃんの前では、ずっと、笑ってたかったよ! だって、ホント楽しかったから」 「――僕も、楽しかったですよ」  自分も成瀬とご近所さんになれて、慣れない暮らしが楽しくなった。  なんの期待もしていなかった、灰色だった都会暮らしに鮮やかな色がついた。 「嬉しいなぁ」  成瀬はそう言って隣に座っている渡貫の手を目的地に着くまで、ぎゅっと握っていた。
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