2

1/1
167人が本棚に入れています
本棚に追加
/8ページ

2

 大型の家電量販店の人の流れも、他のショッピングモールなどと同じで土日と祝日に人が多い。平日はどうかというと、休日よりは人が少ないものの、やはり同じように波はあって、朝はゆったり、日中に極端に増えるタイミングがあり、そして夜、人が帰宅する時間にまた人が増える。  渡貫は、やっと接客に慣れてきたが、この数日で平日に休日と同じように物を売るのは難しく苦戦していた。  手元の時計は、夜九時半を回ったところ。そろそろフロアに蛍の光が流れ始める時間帯だった。  入り口からまっすぐ迷わず自分に向かって歩いてくる男がいた。ラフな襟付きのシャツとスラックス姿、首に吊り下げた社員証を胸元のポケットに入れている。仕事帰りのサラリーマンというよりは、仕事場からそのままちょっと抜け出してきたという出で立ち。昼間ならその姿もわかるが、今は夜で、ちょっと抜けてランチや買い物という時間帯ではなかった。  眉間にしわを寄せた不機嫌顔。 (なに、怖い、もしかして刺される?)  渡貫は、その男が自分の前に立った時、反射的に一歩だけ足を後ろに引いていた。物騒な世の中だし、いつでも逃げられるように。 「い、いらっしゃいませ」  何かお探しでしょうか、とお決まりの言葉をいう隙もなく、男は開口一番こう言った。 「予算三万円で、カメラ適当に見繕ってもらえないか? なんでもいいし。あと領収書」  あ、急いでる、とその言葉だけで渡貫は分かった。それなら、その人が求めている品物で予算内のものを、そして、できれば自分のメーカーのものを選んでレジへ案内すればいい。閉店間際なのだからそれがお互いにとって最善だ。バイトの女の子がさっきからチラチラと自分を見ているのは「お疲れ様です」といって早く帰りたいから。そんなことをは分かっている。  そう、思ったけれど、分かっていたけど、できないのが、渡貫という人間だった。 「えっと、そうですね、そのご予算でしたら、この列に並べているものです。主にどんなものを撮られますか? 風景とか、人物とか」  渡貫がそう返した時、黒のセルフレームメガネの奥の瞳が「うわぁ、こいつめんどくさい」って言った気がした。知ってます、分かってますと心の中で渡貫はそう言った。 「あ、その、すみません。せっかくなので、お客様には出来るだけご満足いただきたいと思いまして」  もし、これで怒って去ってしまうなら、それでもいいと思った。合わないのなら、仕方がないし諦めようくらいの気持ちだった。 (こういうところが、周りに嫌がられるんだよなぁ……)  分かっていても、どうしても変えられない自分の性格。 「……あぁ。残念ながら、写真は撮らない。撮影で使う飾りなんだ」  そう、イラっ、イラっと背後で効果音が鳴っていそうな声が返ってくる。嫌なら無視して、その場を離れればいいし、お客様にはその権利がある。渡貫も無理やり引き止めたりいらないものを無理やり買ってもらおうなんてつもりはなかった。  けれど、そんなイライラした口調に反して男は、渡貫が商品を選ぶために必要な情報はきちんと与えてくれる。 「あとは……そうですね。インテリアだとか。使う想定の方の年齢とか、女性とか男性とかも分かれば……」  使う場面が分かれば何かいい案が出せると思った。 「――全然、嫌な顔しないんだな」 「え、何故ですか?」 「写真を撮るためじゃないカメラが欲しいって、は、何それっていいたくならない?」  心底感心しているのか、男は目を瞬かせ渡貫の顔を見る。 「そうですね、僕は、カメラがインテリアでもファッションでもいいと思うんですよ。何を良いと感じるかは人の自由ですし、スマホで写真が撮れる今あえてこれが、って買ってくれる人がいて、毎回新しいモデルが作られてる。だからこんなふうに個々のこだわりを知れるのは、企画している側としては嬉しいっていうか。もちろん自社の製品に興味持ってもらえたらいいなぁとは思いましたけど」  渡貫が少しだけ本音を添えて、小さく笑うと、男もそれにつられたように笑った。  あ、そんな風に笑うんだと思った。  イライラが標準装備だと思っていたが、楽しいことがあれば、割と屈託なく笑う人の気がした。 「そういう考え方もあるんだな。じゃあ、若い女性が持っているようなの、選んでもらえる? 割と派手めな子なんだ」 「はい」  小型で、カバンに入れて持ち歩ける、女性が持っているような、比較的新しい機種。そういう観点から商品を選ぶのも新鮮でなんだか楽しいと思った。  接客にかかった時間はとても短く、閉店までの十五分にも満たない時間だった。 「お時間取らせてしまって申し訳ございませんでした」  渡貫は、レジごしに商品の袋を手渡した。 「全然、閉店間際にこちらこそ、変な注文してごめんね。ところで……」  男は、何か言いかけ、渡貫の顔を観察するように見る。そこで、この視線に既視感を覚えた。どこかで、こんなふうに見られた気がした。それもごく最近。 「あぁ、そうか、そうだ。君、あの時のご近所さんだ」 「え?」 「マンションで目があった時、気まずそうに逃げた人。あー、もしかして知り合いかと思って、ずっと考えてたけど、そっか、ここの店員さんだったのか」  そう言われて、やっと、ふわっと先日の夜のことを思い出した。ベランダで下に居る人たちを見下ろして缶ビールを飲んでいた男。夜の帝王だった。あの時と違いメガネをかけていたので分からなかった。 「たまに買い物来てるし、もしかして俺の顔覚えてた? やっぱ接客する人間ってそういうの一回で覚えてるもんなの?」 「あ、その、えっと、お客様の、顔とか覚えてないですし、僕は、期間限定でメーカーから応援できているだけなので、接客業とか初めてで」 「そう。じゃあ、この前走って逃げたの、俺に睨まれたとか思った? 確かに意識していないとすぐ目つき悪くなるからなぁ」 「いえ、そんなことないです。ぼんやり見てた自分が急に恥ずかしくなっただけで……」 「ベランダにいた俺を? なんでまた」  そんな雑談に、ここがレジだということを忘れそうになる。三台あるレジに立っているのは渡貫だけだ。時間も時間でほとんどの客は出口へと向かって歩いている。 (……気まずい)  責められているわけでもないのに、いたたまれない気分だった。  男のメガネの奥の瞳は、さっきみたいな不機嫌さはなく、どちらかといえば人懐っこさを感じる。二重人格だとは思わないが、どちらが彼の素なのか気になった。 「えっと……こんな繁華街で、生活している人ってどんな人だろうって」 「どんな人、か。うーん、こんな人だな?」  成瀬は自分を指さした。 「その、僕、最近あの隣のマンションで住み始めたんですけど、本当嫌で、この辺うるさいし、空気も良くないし。楽しそうに住んでる人もいるんだなって。あと人が住んでいるような建物とは思ってなくて」 「ふぅん、まぁ確かに、俺は選んであそこに住んでるけど」 「田舎のネズミの心境で……みてました、本当、他意はなくて」  男は渡貫の答えに、人間どこにでも住もうと思えば住めるもんだよと言って笑った。 「そっか、ならベランダでくつろいでた俺は都会のネズミってとこ?」 「というより、夜の帝王が」  言いかけて、渡貫は口をつぐんだ。いくらなんでもお客様にベラベラと本音をぶちまけて喋りすぎだと思った。失礼すぎる。  蛍の光は曲の最後の方に入ってるし、バイトの女の子がずっとこっちを見ていた。早く仕事を終わらせなければと思った。 「すみません、くだらないことを……。慣れない接客でほんとすみませんでした」 「そんなことなかったよ。俺が必要な物ちゃんと選んでくれたし、すごく助かりました」  それが出来たのは、渡貫が仕事をするにあたって「必要な情報を、過不足なく的確に」男がくれたからだ。  多分、彼はとても仕事ができる人なのだと思った。そうでなければ、本社にいた時と同じように男を苛立たせ、何の成果も出せずに終わっていただろう。  けれど、先日の出会いが気になったにしても、どうしてこんなふうに関わることを選んだのか渡貫は不思議だった。 「しかし、あの部屋の謎が気になったか、なかなか見る目あるな。いいよ。気になるなら遊びにくる? 田舎のネズミさん。その夜の帝王のくだり詳しく聞いてみたいし」 「へ? なんで」  裏返った変な声が出てしまう。突然ご近所さんに部屋に招待された。  もしかして、怪しい人だろうか? そんなことを考えた渡貫の思考を先に読んだのか、男はさっき会計をしたポケットの財布から、渡貫に名刺を差し出した。 「はい、これ俺の名刺」 「……Mテレビ……制作部、成瀬、さん」  名刺には、成瀬恭弥とかいていた。Mテレビって、キー局だし。すごい、業界の人だ、本当に都会の人だ。そんなふうに頭の悪い感じのことを冗談でもなく思った。 「店員さんの名札の名前は、なんて読むの? とつらさん?」 「わ、わたぬき、です」 「へー、難読名字だな、かっこいいねぇ、漢字、四月一日の方じゃないけど珍しい名前」  渡貫は、この苗字と名前のバランスの悪さに物心ついた頃から違和感を持っている。  けれどいま名札には苗字しか書いていないので、成瀬にツッコミをいれられることはなかった。 「あの、テレビ局の人って、そんな人をホイホイ家に呼ぶものなんですか? 毎日パーティーしたり、パリピみたいな?」  なんだか馬鹿っぽい質問をしていた。 「うーん。どうだろ、人による。忙しい人多いしね」  じゃあ、成瀬の場合は? と思った。こんな時間に買い物に来ることができるくらいなのだから、九時五時で帰れる部署?  ノリが軽いというか、陽キャとか。そういう類の人物と出会ったことも関わったこともないので、渡貫は判断に困った。  よくわからない人。  でも、こっちに友人もいないので、誰か話し相手がいれば、都会の居心地の悪さも改善するだろうかと考えたのも事実だ。  大人になると新しい友人ってどうやって作るんだろうって感じることが度々ある。  今現在、渡貫は地元の小学校や中学高校、そして大学でできた友達と細く長く付き合っていた。それ以外は、休みに趣味でたまに顔を出すカメラ教室の友達くらいで、教室ではお爺さんお婆さんばかり。だから友達づきあいといえば、昔の友人とたまに飲みに行き近況を語り合うくらいのものだった。それも、年齢を重ねるごとに疎遠になっていく人が増える。  飲み屋でその場の客と意気投合とかが性格的にない渡貫は、こんな出会い頭にぶつかったみたいな知り合い方を知らなかった。 (これが、都会?)  ――そんなわけあるか。  関西人でもないのに、一人で過ごす時間が増えるにつれ孤独なノリツッコミが得意になってきた。  もちろん、この特技を披露する予定は今の所ない。 「でもね、自分からこんなふうに誘っておきながら、今から局に戻って泊まりだからまた今度の話で悪いんだけど」  その流れから、成瀬も同じように、業界の人の例に漏れず、とても忙しい人間なのだということがわかる。やっぱり自分とは違う世界の人だった。 「自分の家に荷物取りに来たついでに仕事で必要なものとかこの辺で揃えてたんだ」 「仕事、今からなんですか」 「今からというか夜もお仕事。あんまり、昼夜関係ないんだ」  成瀬は、ただの社交辞令で挨拶くらいのつもりで遊びに来てと声かけたのかもしれない。けれど、渡貫の予想とは違った言葉が続く。 「だから、そこに書いているIDに連絡してよ。たぬきちゃん」 「たぬ、き?」  突然、そう呼ばれて自分のことと気づけず反応が遅れた。仲のいい友人からでさえ、生まれてこのかた「たぬき」というあだ名で呼ばれたことがない。 「ネズミ好きみたいだし、動物つながりとかどうかな。たぬきちゃん、可愛いし」 「いやです。そんな呼ばれ方」  本気で嫌がってみせると、成瀬は残念そうにする。 「そ? 今、すごくいいなって思ったんだけど、思いつきで」  知り合ったばかりでどんだけ軽いんだ? と思う。けど、さっきみたいに眉間に皺を寄せて難しい顔しているよりは、よっぽどいい顔をしてる気がした。  人当たりが良くて、話しやすい。多分、いい人。  渡貫が成瀬に抱いた印象は概ね好意的なものだった。 「じゃ、たぬきちゃんって呼び方が嫌だったら今度会った時に下の名前も教えて」  成瀬は去り際に渡貫に手を振りながらそう言って笑顔で仕事に出かけていった。 (夜の十時なのにまだ仕事、か)  労働基準法的なものは守られているのだろうかと心配になる。ちょっとだけ知り合った仲でも、過労死によりテレビのニュースで再会なんていうのは嫌だなと思う。  テレビ局の制作がどういう仕事をしているのか、渡貫はなにかしらの番組を作っているくらいのことしか想像できないけど、きっと買ったカメラは収録で使うもののはず。自分が選んだ商品が役に立てばいいなと思った。そう思いながらジャケットのポケットにもらった名刺を入れると、急いで売り場に戻る。バイトの女の子はイライラを隠しもせず渡貫に「お疲れ様でした」と帰りの挨拶をして急ぎ足で去っていく。もしかしたら、このあとに予定があるのかもしれない。  渡貫はバイトの女の子の背を見ながら、成瀬の仕事姿を想像していた。さっきみたいに不機嫌な顔? それとも楽しそうに笑顔いっぱい?  友達になりたいと思ったけど、多分この先こちらから連絡することはない。 (だって、この仕事終わったら元の家に帰るんだし)  レジで成瀬と話している時、新しい出会いに年甲斐もなくワクワクしたのは本当。けど同時にどうせ違う世界に住んでいる人と縁が続くはずないと無関心でいようとしている。大学で仲の良かった友達でさえ数年たてば、ほぼ連絡を取らなくなった。ましてや、偶然知り合った人とどうやって仲良くなれる? しょせんは期間限定のご近所さん。  普通に生活していても出会うことがない都会のネズミに遭遇しただけのことと感じていた。
/8ページ

最初のコメントを投稿しよう!