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終電に乗っていたのだから、話し込んでいたら戻れなくなるのは予想できた。
成瀬に「ホテル泊まるつもりだけど一緒にどう?」と聞かれた時、改めて何も考えずに自分は電車に乗ったんだなということを自覚した。普通に考えて自宅までの足がタクシーしかないような時間に帰るのは、仕事で領収書が切れないなら、よっぽどお金が自由になる人間しか出来ないこと。渡貫は普通のサラリーマンで、高給取りなんかじゃない。もし一人で、この時間に駅についていたら、朝までカラオケとか漫画喫茶で時間を潰したはずだ。
けれど成瀬だって、渡貫についてくれば帰れなくなるのは初めから分かっていたはずだ。それなのに、成瀬はいま渡貫の隣に立っている。
いうまでもなく、今この瞬間に成瀬の電話が鳴って仕事で呼び出されれば、迷わずにとんぼ返りするし、タクシー代が三万くらいかかろうが、多分行っちゃうのだと思う。
成瀬は仕事が一番でいいと思うし、渡貫はそうして欲しいと思っていた。体を大事にして欲しいと思う反面なりふり構っていられないと仕事に行く成瀬がいいと思っている。
要はバランスの問題。
仕事より渡貫の誤解を解くことを優先したのだと言われれば、きっとその瞬間興ざめするだろう。
(僕は、本当に成瀬さんのこと好き、なのか? 結構人でなしなこと考えているし)
成瀬が大事に思ってる仕事と同じくらい、自分のことも考えて欲しいと思うのは渡貫のワガママだ。そんなの無理な話なのに。
渡貫はそんなことをぐるぐると考えていて返事をするのを忘れていた。
「あ、意味わからなかった?」
「意味? とりあえず始発まで時間つぶせたらいいですよね。それくらい付き合いますけど」
「やっぱり伝わってなかった」
そして、成瀬がビルの向こうを指差した瞬間。自分は成瀬のことが、ちゃんと好きなんだと分かった。
ラブホテルって便利だなと思う。
そこに、行きたいって言われれば、相手の気持ちを確かめることが出来るし、自分の気持ちも確かめることが同時にできるから。酒に酔っていたとかじゃないし、お互い素面の状態でそこに行きたいってなったら、考えることができる。
相手とこの先どうしたいのか、どうなりたいのか。
――セックスがしたいか、したくないか。あるいは、出来るか出来ないか。
その質問に、簡単に答えが出る。
「……伝わった」
「それは、よかった」
握られた迷いのない手が嬉しくて、自分の気持ちが成瀬に正しく伝わるように、その手を同じようにぎゅっと握り返していた。
ホテルのベッドに腰掛けて、目の前に立っている成瀬を見上げる。改めて相手が男の人だなと思っている。
同じ性別という現実を分かっているのに変わらない気持ちに、そんなに本気だったんだと驚き、複雑に絡んだ糸をほどいていくように理解していった。
はじめに抱いた気持ちを紐解いてみれば、成瀬の本当に触れたいと思う気持ちは、恋心に似ていた。
マンションのベランダで一人楽しそうにしていた成瀬を見た時から気になっていた。
自分にないものに惹かれる気持ち。
この人は、一体どんな人なんだろう。
明確に、境目があるわけじゃないけれど、初めにあった嫉妬や羨望の心は、いつの間にか恋に変わっている。
バイトの女の子が探偵のように言っていた「好きな人」に見せる顔も、もしかしたら無自覚に最初から成瀬に対して見せていたのかもしれない。そう思うとすごく恥ずかしい。
「あんまり、見られると、緊張するなぁ」
薄暗い部屋の中、成瀬は服を脱ぎ捨てながら照れた顔で言う。
「じゃあ、後ろ向いてる。僕も脱ぐし」
「いや、それじゃ俺が見えない」
勢いよく後ろを向いてシャツに手をかけた渡貫の肩に成瀬が手をかけた瞬間、ベッドのスプリングにバランスを崩し二人してベッドの上に倒れこんだ。上と下で視線が絡む。
「あの……僕の裸とか、見たいんですか?」
「――うん。見たい」
メガネを外し、頬に口付けられる。
興奮で声が掠れて、その切羽詰まっているような状況に後押しされ二人して服を取り払って肌色を晒していく。
成瀬の部屋で強引に口づけられて以来の触れ合いだった。
渡貫は男を好きになるのは初めてで、きっと成瀬も同じ。だから、これが正しいセックスなのか、比べる相手も情報もない。それでも互いの身体を見たいとか、触れ合いたいとか、キスをしたいとか。
そんな気持ちに正直に動いていると、勝手に熱が上がっていくのだから、人間は最初から遺伝子レベルで欲に対する行動が組み込まれているのだと思った。
最初のキスを平手で拒否したのは自分だったので、渡貫は意を決して、成瀬の唇に自身の唇を深く重ねた。
「むっちゃんって、結構、ぐいぐいくるよね。いつもドキドキしてた」
「だって、そうしないと、成瀬さんと関われないと思ったから……」
渡貫の言葉を吸い込むように口づけを返された。切ない思いを溢したつもりはなかったのに、成瀬から返された温かな口づけは、渡貫の心を優しく溶かしていく。
仕事のために借りた部屋で、何にも執着していないような男が、どうしたらプライベートを大事にしようと思うのかそんなことばかり考えていた。
それが、大きなお世話だとしても、ずっと心配していた。
それが恋だなんて気づいていなかった。
どんな関わり方をしても踏み込む度に笑顔を向けられ、どうでもいいひとみたいな扱いに胸がちくちくと痛んでいた。
だから成瀬が、ホテルに行こうと言ってくれて、キスを返してくれたことが心から嬉しい。最初にしたキスが悲しくて苦しかったけど、成瀬が自分と、仕事じゃない部分で関わりたいと思って、意識的に笑ってくれていたことを知って、今となっては全てが悲しい思い出じゃなくなっていた。
「ッ、ぁ……んんっ」
深くなった口づけが、悪戯に唇を噛み歯列を舌でこじ開けてくる。こんなキスを渡貫はしたことがなかった。飲み込めなかった唾液が口端を伝う。ひとしきり舌を絡めて唇が離れると、互いの目が熱に潤んでいた。
まるで欲しくて欲しくてたまらないみたいで、切実さがにじんでくる。
「ぁ、はぁ……く、る、しぃ」
「ごめん、しつこくて」
成瀬はそのまま渡貫の首筋へと唇を滑らせていく、その刺激に皮膚が粟立つ。くすぐったいような、それでいてじれったいような落ち着かない感覚に無意識に身を捩った。
「んっ、しつこいっていうか、やらしい……です」
「それ、上手ってこと?」
経験値の差を感じた。
ヤキモチを悟られるのが嫌で、渡貫は仕方なく頷いた。仕事人間が昔誰かと付き合ってこんなえっちなキスをしていたのだと思うと成瀬の過去にモヤモヤする。
「――の割には、体逃げているけど、触って欲しいとこと違う?」
「じゃなくて、くすぐったい」
「くすぐったいところは性感帯らしいけど、じゃここは?」
成瀬は渡貫の胸に手を滑らせた。小さいながらも存在を主張している胸の粒は、さっきから成瀬の指先に擦れる度に硬度を増していた。その快感の純度を勝手に上げられた粒を捏ねられると、急にくすぐったい以外の感覚が呼び起こされる。
「ぁ、それ、や、いや、です」
「嫌? そんな顔してるのに?」
成瀬はくすくすと笑いながら渡貫の頬に甘い口付けをおくる。
「どんな……の」
自分で自分の顔が見られないのだから聞くしかなかった。きっとみっともない顔。けれど、そんな渡貫の顔を見下ろして成瀬はとても楽しそうだった。
「すごい、やらしい顔」
成瀬に乳首を指先で擽り遊ばれる。
「ッ、んんっ、真似、した、ぁあっ、やだ、やだって、もう、変になるから」
「やっぱり、やらしいで正解だ。そのまま感じててよ」
成瀬は指で捏ねていたのと逆の左の胸に口付ける。じっくりと弄ばれた方と同じ刺激を待ち望んでいるのに、成瀬は硬くなった右の粒の周りに口付けるだけ。自分を追い詰める意地の悪いキスに渡貫はむずかる。早く同じように捏ねて欲しい、いっそつねってくれれば解放されるんじゃないかと思いかけたところで、今の自分の考えに恥ずかしくなる。
(つねって、って僕はマゾか)
「舐めていい?」
焦らされて赤く膨れた実に成瀬が口付けると、静かな部屋のなかできゅと自分の喉が鳴った。
硬くなった乳首を舌でぞろりと舐められると、下腹部にある熱の塊へ直接快感を伝えられている感覚になる。何度も同じように舐めたり吸われたりしていると、頭がおかしくなりそうだった。なんとかして欲しくて渡貫は成瀬にしがみ付く。
「んんっ、ぁ、も、ダメ、無理」
「ダメ? すっごい気持ちいいって顔してるけど」
「ぁ、きもち、いい……? 成瀬さんも?」
「うん、俺も、我慢できなくなってきた」
成瀬は、自分にしがみ付いている渡貫の手を引いて抱き起すと向かい合わせに座らせた。そうすると互いの下半身が丸見えだ。熱の塊を目の当たりにして、成瀬も同じように興奮していたのが分かった。
「むっちゃんの、触ってもいい?」
何の躊躇もなく成瀬に自分の欲の象徴を握られて、無防備なそこを他人に握られる初めての刺激に腰が引ける。けれど、触って欲しいし、触りたいと思う。
「ぁ、ぅ、んん、僕も、さわりたい」
渡貫も自然と成瀬の固い熱に触れて、同じように刺激を送っていた。熱いその人肌の熱の塊を二人で育てていく行為に溺れていた。
成瀬が時折漏らす気持ち良さそうな吐息に煽られている。ずっと自分を映している真剣な瞳に夢中だった。
自分の手淫で、やらしい顔で。気持ちよくなっている成瀬を見ている。もっと良くなって、気持ちよくなって欲しいと思うのに、成瀬に自分の熱棒を苛められ、弱い部分を擦られるとたまらくなって手が止まってしまう。ただ喘いで目の前の成瀬にすがるだけになっていく。
「ぁ、あああ! ぁ、駄目、で、るから」
「いいよ、一緒にいこうか」
最後には、二人の熱を束ねて一緒に極めていた。自分たちの腹部が互いの精液で汚れている。拭かないとと思いしがみ付いていた成瀬の胸元から顔をあげると、じっと見下ろされていた。
何かを決意するような、それでいてまだ迷っている。そんな目。
「やったことないから、上手くできないかもしれないけど、この先、続けていい?」
その言葉の意味を理解するのに時間はかからなかった。再びベッドの上に縫いとめられると、成瀬は精液を纏った汚れた指で、渡貫の後孔に確かめるように触れた。
「ッ……ぁ」
ホテルにあるコンドームの封を切ると、成瀬はそれを指に被せ再び渡貫の後ろに触れてくる。
「入る、かな。痛かったら、言っていいから、無理させたくない」
「ぅ、ん」
ツプリと指を差し込まれ、そっかセックスをしていたんだと改めて自分たちがしている行為を認識した。お互いの熱を解放しても、まだ全然足りなくて。もっと深いところに触れて繋がりたくなる欲求。
渡貫は成瀬に対してそれをしたいと思ったことに少しの違和感もなかった。
ごく当たり前のことのように思えて、先に進みたいと願った。
けれど、未知の刺激にこわばるばかりで、力を抜こうと思うのに、身体も心もちゃんとセックスがしたいと思っているのに上手くできない。いっぱいいっぱいで、口を開けば余計なことばかり言いそうだった。
言いそうじゃなくて、多分言う。
自分の性格は自分が一番よく分かっている。けど、やめておけばいいのに、言ってしまうのがやっぱり渡貫だった。
「ぁ……成瀬、さん」
「ん? 痛い」
「痛くない、けど」
「けど?」
「電話……大丈夫? 仕事」
「どしたの、急に」
尻穴を二本の指で広げられながら、どうしてそんなことを話してしまったのか、手を止めた成瀬に、慎重に観察されるように見つめられると、いたたまれなくなる。けれど、何か喋っていないと、自我が保てなくなりそうだった。
セックスが我を忘れて楽しむものなのは分かっている。
さっきだって、二人で夢中に擦りあって気持ちよくなっていた。
けれど、今度はそれが怖かった。このまま続けたら、本当になりふりかまっていられなくなりそうで、成瀬の指で繋がっているそこに、超えて欲しくない部分があって触れられたくなかった。
だから、必死で隠そうとした。
「電話きたら、成瀬さん、こんなことしてても、帰らないといけないから」
「まさか、こんないいとこで帰らないよ、それに今電話来ても始発のが早いって」
「うん……そう……だね」
話しながらも、成瀬から送られる刺激に目が回りそうだった。心臓が痛い、声が震える。触れて欲しいのに、触れて欲しくない。頭の中は、絵の具を塗りたくったようにぐちゃぐちゃだった。
「ところで、むっちゃん、俺が色々呼び方変えてるのに、ずっと、成瀬さんだよね、下の名前覚えてる?」
「ッ、ぁ……覚えて、ます、けど」
「じゃ、言って? ほら」
「き、……恭弥、さん」
初めて口にした成瀬の下の名前は、やっぱりしっくりこなくて、誰だそれって感じがした。
「おぉ、ちゃんと覚えてた。偉い偉い」
「ば、バカにしてますか、てか、僕の名前だって、成瀬さん、ちゃんと呼んでない」
「ん? そういえば、そうか。むっちゃん、あ、あと」
成瀬は、一息を置いて続けた。
「たぬきちゃん」
成瀬にあだ名で呼ばれた時だった。その呼ばれ方に気が抜けて、ずっと後孔を混ぜていた指が、拒んでいた腹の中側にある固い部分に触れた。ずっと頑なだった自分の内側が一個の生き物みたいに反応を返す。
「あれ、むっちゃんは、たぬきちゃん呼び好きだった? 今、穴のなかきゅってなったけど」
「ちが、そこ、嫌、です」
成瀬は、さっき触れた一点を確認するように指で探ってくる。拒みたいのに勝手に身体が成瀬を受け入れようと準備を始めたようで、心だけが置いてけぼりだった。
「まぁ、こういう時の嫌は、大体、いいっていうけど、気持ち悪い?」
「ぁ、違う、怖い……だけ」
そこに触れられる度に、強制的な射精感が起こる。多分気持ちいいんだと分かっているのに、気持ちいいの先が怖かった。どうすれば、伝わるのかわからなくて言葉を探す。
「怖い、か。うーん多分、もう少ししたら気持ちいいんだと思うけど、ここまでにしよっか?」
そうやって自分の身体から離れている成瀬を一生懸命引き止めた。
「や、や……です」
「まって、むっちゃん、そんな煽らないで、とめられなくなるよ」
「や、止めなくて、いいから。怖くても、いい」
自分も繋がりたいと思っている。なんだか駄々っ子みたいなことを言っていた。
「無理してすることでもないよ、そんな顔しないで」
「怖い、けど、いいから、やめたく、ない、です」
「それって、怖いくらい気持ちいいってこと?」
「恭弥さん、に、むちゃくちゃにして欲しいから」
どうやって誘えばいいのかわからない。怖いけどこの先に二人で進みたいのだと、そう伝えたかった。けれど、結局口にしたのは、ただヤりたいだけみたいな欲にまみれた低俗な言葉。
「……うん、分かった。すごい、むちゃくちゃにするよ」
けれど結果的に成瀬を先へ進ませるのに有効だった。
成瀬は渡貫の後孔から指を引き抜いた。ぽっかりと存在感を失った穴が寂しい。けれどすぐに、欲しかった繋がりがゆっくりと、さらに質量を増して帰ってくる。
「ッ、や、ぁあー……」
「むっちゃんの中、気持ちいい、あったかくて、すき」
「ぁ、んんん――、ぁ……きもちぃ、おく、きもちいい」
隙間なく埋まった存在感が、腹の中側にある気持ちいいところをぐいぐい押し上げる。そうされると頭の中がふわふわになって、ずっと気持ちいいのが続いていた。ずっと快感のなかに漂っていたいと思うのに、それだけじゃ我慢できなくなる瞬間がくる。
だから、やっぱりむちゃくちゃにして欲しいっていう自分で言った言葉は正しかったと渡貫は思った。
「じゃあ、なか、むちゃくちゃにするけど、いい?」
成瀬は渡貫が言った「むちゃくちゃにして欲しい」というリクエストを律儀にもう一度確認してきた。絶対にわざとだ。
「ッ、もう、黙って、成瀬、さん、てか、忘れて」
「いーや、忘れない。この先さっきの言葉だけで何回でも抜けそう」
「ぁ、ぁ、ぃ、今すぐ忘れて」
「忘れられないなぁ。むっちゃん、好き、大好きだよ」
口付けて、舐めて、隙間なく埋まっていく感覚。
息を切らせて、上り詰めて、そこで終わりだと思った行為は、簡単には終わらなくて、熱はすぐには引かなかったし、射精した後も尾を引く快楽の余韻を楽しむようにずっと抱き合っていた。
抱き合っているとまた勝手に熱が上がってくる。なんだか、この欲に終わりなんてあるのだろうかとバカみたいなことを考えていた。それくらいこの気持ちの中で永遠につながっていたいなんて思っていた。
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