3人が本棚に入れています
本棚に追加
/13ページ
その年は例年に無く大きな台風が直撃して、すさまじい雨風が一晩中吹き荒れました。
びわの木の小枝や葉っぱが引きちぎられて、見る影もないほどぼろぼろになってしまいました。それでも、いつも通り十月に植木屋さんを呼んで剪定をしてもらいました。
見違えるほどこざっぱりしたびわの木を見て、田宮さんは、ふといいことを思いつきました。
(そうだわ、潤君に『びわの木だより』を書いてあげよう。確かに、来年またびわが生ったら上げる、と約束したわ。だけど、一年経っていきなりびわを目の前にぽんと出されるだけじゃ、ありがたみが無いでしょう。びわの実がどうやって大きくなっていくのか、一年間知らせてあげましょう)
そうすれば、後一年間は潤とつながっていられると思ったのです。
立石 潤君
こんにちわ、お久しぶりです。今日、植木屋さんが来て、びわの木をせんてい
してくれました。のびすぎたえだや、こみ合ったえだを切って、花がさいた時にどのえだにもじゅうぶん日が当たるようにしてもらったのです。これから十か月ほどかけて、びわが生っていきますよ。
その後に、潤が大好きだった子ねこのミャ夫が死でしまったことを、続けて書こうかどうか迷いました。田宮さん自身、ミャ夫を失ったことがまだ受け入れられないでいるのに。やはり今それを書くのは無理だと思いました。だから、
楽しみにして待っていてくださいね。
田宮 優子より
とだけ、書きそえました。それから、書いた文章の周りに、びわの葉っぱとオレンジ色のびわの実がふさの様に生っている絵をかいて、色えんぴつで色を付けました。最後に葉書の一番上に、金色のポスターカラーで、『びわの木だより』と、大きな字で書きました。『びわの木だより』を読んで、潤が自分やミャ夫の事を忘れないでいてくれたら、それでいい、と田宮さんは思ったのでした。
ところが、おどろいたことに、一週間ほどたったある日のこと、田宮さんの家のポストに、
田宮ゆう子さんへ 立石じゅんより
と書いたピンク色の封筒が入っていたのです。まさか返事が来るとは思っていなかった田宮さんは、びっくりするやらうれしいやらで、さっそく中の手紙を取り出してみました。
田宮ゆう子さんへ
びわのきせつは、なつのはじめなんですね。びわをもらうのがたのしみで、
まちきれません。
じゅんより
つたない字で書かれた、そのまっすぐな表現が、田宮さんの心を打ちました。
潤君へ
お手紙ありがとう。返事をもらって、とび上がるほどうれしかったです。鉛筆の線で書いた線路の上にはりつけた、マシュマロシールの列車が、今にもガタゴト音を立てて動き出しそうな、楽しいお手紙でした。
この葉書の表の写真は、びわのつぼみです。台風十九号で、びわの葉っぱや小えだがたくさんふきとばされてしまいました。今年は花がさくか心配していましたが、ようやくぶどうのふさのような形をしたつぼみが出てきてホッとしています。これから、肥料をやります。
それから、『びわの木だより』のお返事はもう書かなくていいですよ。びわがどのくらい大きくなったのか、読んで楽しみにしていてくれたら、それでいいのですから。
急に寒くなってきたので、かぜをひかないようにね。
田宮 優子より
びわの木は常緑樹で、一年中緑色の葉を付けています。春になると、こい緑色の古い葉っぱの先に、白っぽい若葉を次々に出していきます。やわらかな若葉は、夏の日をあびてどんどん大きくなり、緑色がこくなっていくのでした。それはまるで、年を重ねた大人たちの次の世代に生まれた幼い命が、見る見る大きくなっていく様子に似ていました。
柿やもみじや桜等の、落葉樹と呼ばれる木々は、秋になると古い葉っぱを赤や黄色に染めて、次々に落としていきます。その後に残る固い冬芽は、次の世代を育むゆりかごでした。それは命の終わりではなく、来年の春に備えて、ゆっくり休もうとしているかの様にも見えましたでした。季節は、もう落葉の時期でした。
ある日、田宮さんは一ぴきになってしまったニャー太郎をだいたまま、新聞を取りに玄関まで出て来ました。何というぐうぜんでしょう。潤たち四人がちょうど学校の帰りに通りかかったところでした。
「あっ、田宮さんだ!」
目ざとい潤が、子ねこをだいた田宮さんを見つけてすぐに近づいてきました。そして、
「かっわいいー」
と言いながら、少し腰をかがめた田宮さんのうでの中にいる、ニャー太郎の頭やあごの周りをなでてやりました。なでながら、
「こっちはニャー太郎だよねぇ」
と、たずねました。
「そうよ、よく分かったわね」
と、答えました。すると、
「ミャ夫は?」
と、ゆうた裕太が、まっすぐに田宮さんの目を見ながらたずねました。田宮さんは口ごもりながら、少しかがめていた腰をまっすぐに伸ばして、思い切った様に答えました。
「ミャ夫をはね、交通事故で死んじゃったの」
「交通事故?ほんとなの?」
裕太は田宮さんのエプロンにしがみつかんばかりの勢いで言いました。
「そこのね、駐車場のすみにたおれていたのよ」
田宮さんは、その時のことを思い出して、少し涙ぐみました。
「うそだあ、ミャ夫ー! ミャ夫はずっといい子だったから、やっぱり天国に行ったの?」
裕太も涙声になって、田宮さんのエプロンを引っ張りながらすがりつきました。
「じゃあ、ぼく、拝んどいて上げる」
聡は急にそう言うと、田宮さんが言った駐車場のすみに行ってしゃがみました。そして、小さな両手を合わせて目をつぶったのです。他の三人も、まるでミャ夫がそこに横たわってでもいるかの様に周りを取り囲んでしゃがむと、目をつぶって両手を合わせました。
彩夏が言いました。
「彩夏ん家、今度お寺にお参りに行くから、その時住職さんに拝んでもらって上げる」
(ああ、みんな純粋にミャ夫が死んだことを、いたんでくれている。何ていい子たちなんだろう。子供たちの心の中には、一片の優しさがあって、それが無邪気さに包まれているのだわ)
田宮さんはぐっと胸がつまって言葉が出ませんでした。でも、四人がいっしょになって死んだミャ夫の事をしのんでくれて、少しは悲しみが和らぐ気がしたのです。
ぐうぜん拾ったのらねこをかわいがって育てるうちに、ぐうぜん飛び込んで来た子供たち。子ねこと子供たちに囲まれて過ごした日々は、田宮さんにとって本当にめったに手に入れる事ができないほどの幸運でした。それが、ミャ夫の思いもかけない死でとつぜん失われてしまったのです。
これから、子供たちとはだんだん遠ざかって関係が薄くなっていくことは、頭では分かっていました。でも、子ねこの死がそれと重なって、つらくて耐えられないほどになっていました。けれども、子供たちの心の中に、無邪気さに包まれた一片の思いやりを感じて、置いてきぼりにされたようなさびしさも、少しはいやされたのです。
最初のコメントを投稿しよう!