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ゴルフクラブを持ったおじさんが言いました。
「都会の方じゃ、若いお母さんが小さい子供といっしょに誰もいない公園で遊んでいるのを、警察に通報されたって、ニュースになってましたねぇ」
「本当にいやですねぇ。広い公園でお母さんが子供と二人っきりで遊んでいたって、問題無いでしょうにねぇ」
「みんなが家で自粛しているのにけしからん、というのでだれかが通報したんでしょう」
「自粛警察とかいうらしいですけど、こういうのが同調圧力になるのでしょうねぇ。みんなと同じじゃなきゃダメっていう」
「そういえば、通報されて母親が警官に注意された後、その小っちゃい子はこわがってもう公園で遊ばなくなったそうですよ」
「まあーひどい。きっと一生トラウマが残っちゃいますね」
「そう考えるとここら田舎の子供たちは幸せだ。学校が休みなのに公園で遊んでいるから、と言っておまわりさんを呼ぶ人なんかだれもいないんだから」
学校が急に休みになってから一週間ほどたったころでした。晴れた日に田宮さんが庭に出てみると、ふさの様に咲いていた白いびわの花びらが全部散って、その後に小指の先ぐらいの小さな実がたくさんついていました。田宮さんはまた潤に『びわの木だより』を書きました。
立石 潤君へ
お久しぶりです。ミッチーにうつらない様に休校ですね。
お家でどうやって過ごしていますか。
ようやくびわの小さい実がたくさん生りました。でも、これが全部大きくなるわけではありません。ひとふさに三つぐらい残して、後はつみ取ってしまいます。摘果といいます。残った実に養分がたくさん行って大きな実になります。それからまた肥料をやります。
ご飯の前だけじゃなく、おやつの前にもちゃんとうがいと手洗いを忘れずにね。
田宮 優子より
くもりや小雨の日が多かった浅い春も日増しに暖かくなって、日向ではぬくぬくした日差しが心地よく、でもまだ少し肌寒いくらいの風が吹く日でした。
(歩くにはちょうどいい気候だわ)
田宮さんは食事の片付けを済ますと、家の外に出ました。すると、家の前の通りを子供が乗った自転車が一台、また一台と、通り過ぎて行きました。全部で四台の自転車でした。みんな真剣な顔でだまって自転車をこぎながら、隊列を組んで進んで行きます。
(あっ、この子たち、うちの前を通り過ぎるのを前にも見かけたっけ。休校になってから、よく集まって自転車でどこかへ出かけているみたいだけど……。ランドセルを背負って学校から帰って来る時に比べて、何て大人っぽく見えるんでしょう。潤より一、二さい年上かしら。きっと別のグループなのね)
先頭の子が自転車を止めて片足を地面に着きながら、後ろをふり返りました。田宮さんはその子の姿を見て、潤のことを思い出していました。みんなも自転車を止めると、そろって後ろをふり返りました。このグループも不思議と男の子たちの中に女の子がひとり交っていました。
その時後ろから、少し小がらな男の子が、おしりを上げて自転車をがむしゃらにこいでやって来ました。みんなに追い着くと、隊列の一番最後に付いて止まりました。もう、みんなと同じ真剣なまなざしで、すっかり自転車隊の一員になっています。
先頭の子が、
「よし、そろったな。じゃあ、いつもの様に‟馬の背山”へ行くぞ」
と言って前を向くと、自転車をこぎ始めました。他の子もいっせいに自転車をこいで後に続き、次々と角を曲がって消えていきました。
学校が休みになったといっても、こんな田舎の住宅団地では、子供たちは毎日みんなで集まって出かける予定がちゃんとあるのです。家の中ばかりに閉じこもっているわけにはいきません。
(ああ、子供でもあのくらいの年になると、ひとつの目的に向かって、自分たちだけでしっかり団体行動が取れるのね)
父親の転勤で、小学校時代の友達がいない田宮さんは、とてもうらやましく思いました。
団地の南へ向かってだらだら坂を下り、今度はコンビニの角を曲がって、別の団地に向かう急な坂を、足を踏みしめながら上っていきます。上るにつれ、坂は少しずつゆるやかになり、坂の上まで来るとアパートが二棟立ちはだかっていました。アパートをぐるっと回ると、がけの下にたどり着くのでした。がけの斜面の土をけずって四角い石を埋めこんだ階段が道から続いていて、五十段ばかりの階段をとんとんと登りつめると、そこは一面の草っぱらになっていました。
クローバーが地面をおおいつくし、赤つめ草の小さな花が、ピンク色のぽんぽんの様に咲き乱れていました。ヨモギやカヤの葉が、にぎやかに風とたわむれています。麦秋のころは、カヤの株からそろって出たたくさんの穂に地味な色の花が咲いて、思い切り花粉をまき散らすのでした。
田宮さんは、イネ科の植物のハルガヤやカモガヤで目がかゆくなったり、鼻水が止まらなくなったりするのでしたが、それでも、一年中ひまを見つけてはこの場所に足を運ぶのでした。
ヨモギの葉の間の坂道をすべらない様に注意して、草っぱらの端から登って行くと、馬の背の様に平らな細長い広っぱに出るのでした。そこを真っ直ぐに進むと、まただらだらと下がって‟ゆりが丘団地”へもどって行きます。起伏に富んだ地形でした。広っぱの真正面に富士山が、その左側には、別の住宅団地の家並みを見下ろした向こうに、海が見えるのでした。
海の色は一日として同じ事はありませんでした。群青色、あい色、紺色。ほとんど真っ黒に近い灰色の事も有りました。本当にめずらしく、晴れた空の様に明るい水色に見える事も有りました。
夏はヨットやウインドサーフィンの帆が、その海の色にも染まらず白く浮かんで見えるのでした。そして冬の晴れた日、富士山が家並みの後ろの青い山々の向こうに、ほんの気まぐれにその白い姿を現すのでした。
‟ゆりが丘団地”の住人は、山をけずって作られたこの場所を‟馬の背山”と呼んでいました。元気にあふれた朝は、太極拳をやる人が集まっていました。疲れた時は、草むらに立って遠くをただボーッと眺める人がいました。悲しい時もうれしい時も、眺めのよい‟馬の背山”に足が向くのでした。
田宮さんは立ち止まると、家々の向こうにきらきらと輝いている青い海をしばらくながめていました。そして思い出していました。潤たちが初めて子ねこと遊びに来たころ、ここで田宮さんは潤を見かけた事があったのです。その時、潤は草むらに、母親らしい女の人を真ん中にはさんで、お姉ちゃんと三人で海を見ながら立っていました。田宮さんが通りすがりに潤に気がついて、声をかけようとしたちょうどその時、潤が女の人を見上げながら、
「おかあさん」
と、呼びました。その声はあっという間に風にさらわれて、田宮さんの耳には届きませんでしたが、くちびるの動きでそう言ったのが分かったのです。
潤は小さな右手を口元に当てて、身をかがめた女の人の耳元で何かを話していました。そばにいるお姉ちゃんにも聞かれたくない、内緒の話だったのでしょうか。それとも風の強い‟馬の背山”で、自分の声が風にかき消されない様にしていたのでしょうか。二人が、その時、間違い無く人生で一番幸せな瞬間に居るのだろうと思った田宮さんは、どうしても声をかける事ができませんでした。ただ二人のじゃまをしてはいけないと思っただけでは無く、うらやましさとひがみ心がせめぎ合う胸の内を気取られたく無かったのでした。
海を見ながら、潤はお母さんにいったい何を話していたのでしょうか。絵心が有れば、海と空の間で原っぱの風の中に寄りそっている親子の様子を書き残しておけたでしょう。田宮さんは自分の目にしっかりとその光景を焼き付けようと、じっと見つめていました。ふと、立ち止まって余りじろじろと見ていてはあやしく思われるかもしれない、と気が付いて歩き始めました。
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