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"馬の背 山”の平らな細長い広っぱで、サッカーボールを空き缶代わりにして、‟缶けり”をしている子供たちがいました。鬼役の子が、地面の上にサッカーボールを置いて、その上に片足をのせて立っていました。鬼がボールをふんづけている間は、他の子はボールをける事ができないルールです。
でも、鬼もボールのそばに居るだけでは、いつまでも鬼をかわってもらうことはできません。そこで、鬼は草っぱらの両側の土手や、広っぱのふちに生えている竹やぶの中なんかに、ひそんでいる子供たちを見つけなければなりません。見つけたら、名前を呼び、その子より早くボールの所にもどって来て、ボールをふんづけます。そうやって、全員をつかまえたら鬼をかわってもらえるのです。
見つかってしまった子供たちは、ボールのそばに居ないといけません。ただ、まだかくれている子が、鬼のすきをねらって飛び出してボールをけると、つかまった子供たちも全員逃げる事ができるのです。
こうして鬼は、全員見つけるまで神経をとがらせていないといけないし、かくれている子供たちは、ボールをけってやろうと、身をひそめながらチャンスをうかがっているのです。
田宮さんのいる所からは、鬼役の子と、こちら側の土手の上に生えている低木の影に、体をかがめている子供たちも見えました。その子たちはそろそろと土手をよじ登って、広っぱに出ようとしています。
鬼は、意を決した様に、こちら側の土手のふちまで走って来ると、土手をよじ登っている子供たちの名前を次々に呼んで、また広っぱのボールの所まで走ってもどって行きました。名前を呼ばれた子供たちは、もうかくれるのはやめて土手からはい上がり、広っぱの上をボールの方へとしぶしぶ歩いて行きます。
その時、田宮さんから見えない反対側の土手から、ひとりの男の子が飛び出すと、ボールに向かって走って来ました。そして鬼がもどって来てボールをふみつける前に、ボールをけって、また今来た土手の方へ走って行きました。
もちろん、こちら側の土手からはい上がって来た子供たちも、たちまちくもの子を散らす様に土手の下へ逃げて行きました。鬼は、転がって行ったボールを追いかけて拾うと、くやしそうに元の場所に置いて、もう一度ボールをふみつけました。
全く、‟缶けり”は、だれが考え出したか、気力も体力も集中力も、そしてかけ引きもいる遊びでした。でも、子供たちは缶けりが大好きでした。田宮さんも子供のころ、宿題をやっていると、もうだれかが缶けりを始めたらしく、
‟カーン、カラ、カンコンカンコーン”
という空き缶が転がる音が聞こえてきて、早く自分もいっしょに遊びたい、とうずうずしたものでした。
赤つめ草の花がカヤの穂といっしょに風になびいている中に、ふみしだかれて自然にできた一本の細い道がありました。道は‟ゆりが丘団地”の方まで続いていました。
田宮さんがまたその道をたどって歩き始めると、一本の大きな椎の木が枝葉を広げて、原っぱに丸い影を落としている場所がありました。影の部分は丸く下草がはげていて、土がほとんどむき出しになっていました。そこに、田宮さんが家を出る時に、前を通り過ぎて行った五人の小学生たちが、車座になって地面に腰をおろしていました。
(さっきの子どもたちだわ。みんなで自転車に乗って‟馬の背山”にやって来て、何をしているのかしら)
立ち止まって見ていると、五人のうち一人は立っていて、車座になっているみんなの後ろをぐるぐると回っています。多分、この子が鬼なのでしょう。何度か回っているうちに、座っているうちのひとりが、手で自分の後ろに鬼が落としていったバンダナをさぐり当てました。そしてバンダナをつかんでいきなり立ち上がると、ぐるぐる回っている鬼を追いかけ始めました。鬼は必死で走ると、一周回って、たった今立ち上がった子の座っていた場所にすべりこみました。今度はバンダナを落とされた子が、鬼の番でした。
(なつかしい。‟ハンカチ落とし”をして遊んでいるのね。今はハンカチの代わりにバンダナを使うんだ。さっきの子たちは空き缶の代わりにサッカーボールで‟缶けり”をやってたし)
半世紀近くも前に子供たちがやっていた遊びが、今もこうして伝えられているのを見て、田宮さんは何だかホッとした様な温かい気持ちになったのです。その日、‟馬の背山”に集まった子供たちは、どの子もみな幸せそうに見えました。
それから田宮さんはまた、草っ原がふみ固められてできた細い道をたどって行きました。そして、広っぱのふちに何本も並んで立っている山桜の大木の前を通りすぎると、‟ゆりが丘団地”に続くゆるやかな坂をゆるゆると下って行きました。
ふみ固められた細い土の道から、団地の中のアスファルトでほそうされている道に出ました。家に向かってしばらく歩いていると、向こうから大きな巾着袋を肩にかついだ小学生がやって来ました。田宮さんはその子の顔を見てハッと気が付きました。
「まあ、聡君じゃないの。今からひとりで、どこへ行くの?」
「習い事。ミニバスに乗って習い事に行くの」
聡は田宮さんに気付くと、にこにこ笑いながら答えました。
「何の習い事なの?」
「ピアノー」
大きな楽譜を入れたトートバックを、小さい体で地面に引きずらない様に肩にかついで歩いていたのです。その姿は、まるで‟因幡の白兎”に出てくる‟大国主命”が、大きな巾着袋を肩にかけている様に見えたのです。
その時、向こうの角を曲がって若い女の人が現れると、こちらへ近づいてきました。
「おかあさん、ニャー太郎ん家のおばさん」
「あら、初めまして。田宮と申します」
田宮さんが軽くえしゃくすると、
「いつも聡がねこちゃんと遊ばせてもらっていたそうで、ありがとうございます」
お母さんも頭を深く下げてあいさつしました。
「ぼく、ずっとお母さんに車で送ってもらってたけど、もう三年生になったから、自分一人でバスで行く練習してるの」
「ピアノは何年ぐらいやってるの?」
「分かんない。うーん、一年五か月ぐらいじゃないかなあ」
「あら、あんたはまだそのくらいしかやってないと思ってたの?」
と、お母さんが横から口をはさみました。
「小さい時からピアノをやっているなんて、いいですね」
田宮さんがそう言うと、
「なかかなちゃんと練習しなくて。好きな曲ばっかり弾いているんですよ。もう四年もやってるのに……」
「へえ、聡君、将来が楽しみだわね。おばさんにもいつか聞かせてね。好きな曲ってどんな曲?」
「ぼくねえ、おじいちゃんの持っているクラシックのCD、勝手に聞いているの。その中に好きな曲が多いよ。おじいちゃんはレコードもたくさん持っているんだけど、それは勝手にさわっちゃいけないの。おじいちゃんが居る時にいっしょに聞いてるよ、チャイコフスキーとか」
小さい子供の口から、大作曲家の名前がさらりと出てきて、田宮さんは口をぽかんと開けてその場に立ちつくしてしまいました。
「あっ、バスが来ました。失礼します」
「バイバーイ」
あの二人も、今が人生で一番幸せな瞬間なんだろうなあ、と田宮さんは思いました。
白っぽい地味なびわの花びらが散って、小指の先ぐらいの実がたくさん顔を出してきました。田宮さんは、あわてて摘果をしてやると、また潤に手紙を書きました。
立石 潤君へ
きのう、びわの小さな実を四、五個に一個を残してつみ取りました。びわはたねが大きくて、あまり実が小さいと食べる所が少ししかなくなるので、心を鬼にしてつみ取りました。
ミッチーの感染防止のために休校が続いているので、お家で読める様に、本をプレゼントします。気に入ってもらえるかどうか分かりませんが、休校で家にいる間、少しでも潤君の役に立てたら、とてもうれしいです。
しっかり、うがい手洗い忘れないでね。では、また。
田宮 優子より
‟では、また”、とは書いたものの、今度は何時また潤に会えるか分かりませんでした。潤に会えなくなって心にぽっかり穴が開いた様でした。それに、今度の『びわの木だより』は、前に出したのとほとんど同じ内容になっていました。前のは摘果する前に、今度のは摘果した後に書いたのでしたが。 これでは潤は余り喜ばないでしょう。
そこで思い切って、潤が好きなねこの漫画と、二年生の算数のドリルを『びわの木だより』といっしょに潤の家のポストに入れたのでした。潤に直接手渡せば、潤に会う事だってできたのです。会いたいくせに会うのは何となく気恥ずかしく思えました。
ポストに『びわの木だより』といっしょに本が入っているのを見つけて、潤が驚いているのを想像するだけで十分でした。
(潤が少しでも喜んでくれたらそれでいい)
そう自分に言い聞かせながら、それでもなぜか、これ以上潤と親しくなれないもどかしさが頭をもたげてくるのでした。
田宮さん自身は、子ねこをかわいがる潤の様子や、物おじしない態度、そしてくりくりした人なつっこい目、いつでも人を笑わせようとする陽気さや無邪気さに強くひかれていました。
けれども、よく考えてみれば潤は田宮さんにではなく二匹の黒い子ねこに興味を持っただけだったのです。田宮さんには最初から何の関心もありませんでした。
田宮さんがかわいがっていた子ねこに、たまさか潤が気付いたのがきっかけで知り合えたのです。それだけで、思いがけない幸運にちがいありませんでした。 田宮さんにとって、潤は、あーっという間に指の間からこぼれ落ちてしまった、幸せな子供時代そのものでした。でも、それには気付かずにいました。そして、
(やっぱり、どうしたって、大人は子供の友達には、なれやしないんだわ)
そう思って、田宮さんは大きなため息をつきました。
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