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全国一斉休校とは言え、潤は家の中に閉じこもっているばかりではありませんでした。真っ青な空にこいのぼりが泳ぎ始めるころになると、晴れの日も増えて、毎日外に出て自転車を乗り回していました。
算数のドリルを一ページ仕上げると、お母さんが見ていないすきに急いで玄関を飛び出し、門の所に止めてある自転車にまたがります。小っちゃいころからもうずっと乗っているので、ハンドルの手の平に当たる部分はすり減って真っ黒になっていました。サドルの後ろ側はすり切れて、中のクリーム色のクッション材が顔を出していました。
門から外へこぎ出すと、ちょうど伸吾が南の方から自転車でむかえにやって来る所でした。
「おっす」
「よおっす」
「あいつら、今日、いるかなあ」
「いちご畑の方へいってみようぜ」
潤はそう言うと、二人で南の方へ自転車をこいで行きました。家の前の道路を右に曲がり、あっという間に最初の十字路にやって来ました。その十字路の北側にある家では、駐車場をたがやしてうねを作り、いちごの苗を一面に植えていたのです。その交差点が、潤たちのたまり場になっていました。
潤と伸吾がいちご畑の前に着くと、男の子が三人、地べたにしゃがんで、道路の上にチョークで落書きをしていました。潤が言いました。
「何書いてんの?」
「新幹線」
三人のうちの一人、巧が答えました。
「新幹線?」
伸吾はおうむ返しにたずねました。そして、潤と伸吾はさっそく自転車からおりると、興味津々で三人の輪に頭を突っ込んでいきました。
もう一人の男の子、浩二は、
「この鼻の丸いやつが、初めて走った新幹線の0系。昭和の東京オリンピックの年だよ。世界で初めての高速鉄道。世界で初めてだよ、二百キロ超えは。団子っ鼻に流線型のボディが、めっちゃかっこいいんだ」
と言うと、車両の前の部分を赤いチョークでぬり始めました。
「この形って飛行機のまねなんだ、スピードを出すために。この中には、何が入っているか知ってる?」
浩二はぬりながらまだしゃべっています。
「何が入ってる?」
伸吾は気圧されて、またおうむ返しです。
「非常用連結器」
浩二はまだ赤いチョークを塗るのに余念ありません。
一方、巧の描いている新幹線は、鼻先がしゅっと長くのびた車両でした。
「これ、何系?」
と潤が聞くと、待ってましたとばかり巧が答えました。
「500系。先頭のとんがった部分が十五メートルも有るんだ。あだ名はカワセミ。最高速度三百キロ。その代わりトンネルに入る時にすごい音が出るから、こんなに先をのばしたんだよ。それで、運転台の後ろにはドアが付けられなくなっちゃったんだ」
そう言うと、ドアが一枚しかない車両の窓の下に、青い線を入れていきました。
「何で車体を白くぬらないんだ?」
「うん、500系はグレーの車体なんだよ。だから、この道路の色といっしょ。それでぬらなくてもいいんだ」
「へぇー、グレーの新幹線か。じゃあ、これで終わり?」
潤は何だか物足りなそうです。
「あっ、いけない。大事なものを忘れてた」
そう言うと、巧は運転席のわきに、
JR 500
WEST JAPAN
と、青で書き入れました。
「こっちは何系さ?」
今度は伸吾が海人にたずねています。
「700系だよ。先っちょがカモノハシのくちばしみたいで、超かっこいいの」
海人も夢中で自分の好きな形の車両を描いています。
「かものはし?」
また、伸吾がおうむ返しです。海人が続けます。
「カモノハシって、哺乳類なのに卵を産むの。動物みたいにしっぽがあって毛が生えているのに、くちばしや水かきがあるのさ」
「へえーっ、そんなめずらしい生き物、どこにいるの?」
「ぼくん家にいるさ」
「海人ん家で飼ってるの? じゃあ、日本にいるってこと?」
「日本にはいないさ。オーストラリアにしか」
「じゃ、君ん家にいるのは何なの?」
「ぼくん家のは、ぬいぐるみ」
「ぬいぐるみ? なあーんだ」
「でも、ただのぬいぐるみじゃないのさ。家族旅行でオーストラリアに行った時、おばあちゃんに買ってもらったの。本物そっくりのやつ」
「えーっ、いいなあ」
潤が横から口をはさみました。
「ね、海人、家どこだっけ?」
伸吾がたずねました。
「山公の向こう側」
「向こう側?」
「あっち側か。あんまり行ったこと無いんだよねえ」
潤もちょっと心配そうに言いました。
「大丈夫さ、ぼくん家、家族全員の名前が表札に書いてあるから。ぼくの名前も」
「今度、海人ん家に行ったら、カモノハシのぬいぐるみ、見せてくれる?」
「うん、いいさ」
「ぬいぐるみって、柔らかいの?」
「しっぽや体は毛がふさふさしているけど、くちばしには何か芯が入っていて固いの」
「へえーっ、触りたい!」
二人はそろってそう言いました。潤は何だかとっても浮き浮きした気分になって、
「じゃ、おれたち、線路描いてやる」
と言うと、伸吾と二人、チョークをにぎりしめました。まず、長い長い線を引くと、枕木に見立てた短い縦の線を、何本も描き加えていきました。
「あれーっ、海人、何で新幹線、黄色にぬっちゃうんだよ?」
伸吾は線路を描きながら、海人がカモノハシを黄色くぬっているのに気付いて、声を上げました。
「これは点検車両、ドクターイエローさ。暗くても点検車って分かる様に黄色なの」
と、海人が答えると、さっきからずっと0系に黙々と色をぬっていた浩二が、
「十日に一度位しか走ってないから、こいつを見ると幸せになれるんだって」
と、付け加えます。すかさず巧が、
「ぼくのお父さん、一度だけ名古屋駅で見たことがあるって。写真が家にあるよ」
と、少し得意げに言いました。
「えーっ、いいなあ。今度その写真見せてよ」
右手をチョークの粉で真っ黄色にした海人が、ぬりながら巧に話しかけました。
潤と伸吾の描いた線路の上を、団子っ鼻の0系は、1963年の東京オリンピックの歓声の中へ、みんなを運んで行ってくれそうでした。そして、カワセミとカモノハシは、今日を走り抜け、まだ線路も無い未来へと、子供たちをいざなってくれている様でした。
しばらくすると、海人が言いました。
「おい、みんなで自転車競走しようよ。ここから潤の家の角まで、だれが一番で行けるかさ」
それを聞くと、みんなはチョークを投げ出して自転車に乗り、あっという間に走り出しました。潤が先頭を切って必死にペダルを踏んでいます。海人が二番手で、負けじとばかり歯を食いしばって潤にせまります。三番手は丸い鼻の新幹線を描いていた浩二です。海人といい勝負で、抜きつ抜かれつしています。
そして少しおくれて巧と伸吾が自転車をこいでいました。二人はこぎながら大きな声でさけんでいます。
「じゅーん、がんばれー。じゅーーん」
なぜか自転車をこぐより、大きな声で潤を応援するのに夢中です。
「やったあーっ。潤が一番」
角地に立っている潤の家までつくと、後ろから応援していた巧と伸吾が、まだ自転車をこぎながらさけびました。二番の海人はとてもくやしそうです。
「潤、もう一回やろうぜ」
みんなは、また、いちご畑のある角までもどると、ヨーイドン、でスタートしました。潤がいきなり飛び出して行きます。海人もすぐ後ろでスピードを上げ、浩二も死に物ぐるいで追いかけます。その後から、伸吾と巧が自転車をこぎながら、
「じゅーん、がんばれぇー。じゅーん」
と声をからしてさけんでいます。三番手の浩二がラストスパートをかけて海人を追いこしましたが、やっぱり一番は潤でした。
「うーん、暑いなあ」
潤は海人にそう言うと、みんなでまた、いちご畑のある角までもどって来ました。そして自転車からおりると、道路にこしを下ろしました。すると、巧が急にすっとんきょうな声を上げました。
「あれーっ、いちごだ。いちごが生ってるよ」
「えーっ、どれ?」
「あっ、ほんとだ。真っ赤に生ってる」
「何でさっきまで気が付かなかったんだろう?」
みんなが口々にしゃべっていると、潤が、
「のどがかわいたから、ひとつ食べちゃおうか?」
と、本当に食べたそうに言いました。
「でも、人ん家のいちご、勝手に取っちゃだめだよ」
用心深い伸吾が言いました。ところが、
「ひとつだけだったら、いいよ」
と、浩二が急に言いました。そして縁にぎざぎざのある大きな緑の葉っぱのかげにかくれていた、真っ赤ないちごの茎を引っぱり出しました。それからヘタの上でいちごを上手にちぎって取ると、そのままぱくりと口に入れました。
「あーむ、うまい」
浩二がそう言うと、みんなもとうとうがまんできなくなって、いちごの葉っぱの下に手を入れてひと粒ずついちごをつみ取りました。甘くて少しすっぱくて、ちょっと歯ごたえのあるいちごでしたが、みんなのかわいたのどを十分うるおしてくれました。
その時、みんなの頭の上から、
「君たち!」
と、声がしました。
「あっ、しまった。見つかった」
「しかられるぞ」
潤は、目にも止まらぬ早業で自転車に飛び乗ると、さっと角を曲がってびゅんびゅん走って行ってしまいました。みんなもあわてて自分の自転車にまたがろうとしましたが、潤の逃げ足の速さにあっけに取られて、金しばりにあったみたいに動けなくなってしまいました。
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