び わ の 木 だ よ り

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 すると、おじさんの声がまた頭の上からひびいてきました。いちご畑の家の人でした。 「君たち、いつもここで自転車競走をして、楽しそうだねぇ。遊んでいてのどがかわいたら、おじさんの家のいちご、とって食べてもいいよ。今年はもうそろそろ終わりだけど……」  しかられるとばかり思っていたみんなはびっくりしました。 「あれぇー、おじさんは食べないの?」  伸吾(しんご)が不思議に思ってたずねました。 「今年は最初にもうたくさん食べたし、後からいちごジャムも作ったからい いんだ。もう孫も来なくなったし、そんなにはいらないから」 (なんで孫は来なくなったのかなあ)  (たくみ)は思いました。 (意外とやさしいおじさんでよかった)  伸吾はホッとしていました。でも、口には出さず、みんなただ、 「じゃあ、いただきます」 とだけ言って、のどのかわきがおさまるまで、いちごをもいで食べました。みんなの指も口の周りも真っ赤になりました。おじさんは口元をほころばせて、その様子をじっと見ていました。そして問わず語りに話し始めました。    「おじさんが子供のころは、今とちがっていちごが木の(はこ)に入って売られていたんだよ。大学ノートを少し小さくしたくらいの長方形の木箱に。一段にきれいに(なら)べられて入っていたもんよ」 「何でわざわざ木の箱に入れてたの?それって桐の箱の事?」  (たくみ)はお母さんのきれいな(おび)じめが、桐の箱に大事にしまわれているのを見た事があったのでした。 「桐の箱じゃないけど。でも、昔はプラスチックの箱なんか無かったから、りんごでもみかんでも、もみがらといっしょに木の箱に入っていたよ。中でもいちごは高かったから、特別大事に木の箱に入れられてたなあ。おじさん家でも、年に一、二回しか食べられなかった。それから昔のいちごはけっこう()っぱかったから、砂糖(さとう)をふって牛乳(ぎゅうにゅう)をかけてから、スプーンでつぶして食べるのが普通(ふつう)だったよ」  「ぼくは、いちごにコンデンスミルクだったら、かけて食べたことあるよ」 浩二(こうじ)は、コンデンスミルクのクリームみたいな甘い味とつぶしたいちごの果汁(かじゅう)がまじったのが大好きでした。 「今はぜいたくになって、コンデンスミルクだなあ。いちごをつぶす底の平ら  なスプーンもあった。底にいちごの絵がほってあって、ちゃんといちごの種  まで()いてあったんだよ」 「おじさん、そのスプーン、うちにもあるよ。昔おばあちゃんが使っていた……」  海人(かいと)は、大好きなおばあちゃんといっしょに、いちごを食べた時のことを思い出していました。 「でも、今のいちごはうんと甘いから、そのままでもパクパク食べられる。まあ、うちのは、ジャムを作るために植えたいちごだから、それほど(あま)くはないけどな」  おじさんが言うと、 「ううん、おじさん、このいちご甘くてとてもおいしい。パクパク」  海人が最後の方はちょっとふざけて言いました。  おじさんは子供たちと楽しく話しているうちに、いつの間にか自分が子供だったころのことを思い出していました。 (おれが子供だったころは、家が(まず)しくて外食なんかほとんどしたことが無かったなあ。たまに家族でデパートに行くと、食堂で昼飯を食うのが楽しみだった。でも、いざ連れて行ってもらうと、おれはどうしても‟お子様ランチ”しか注文できないんだ。そりゃあ、‟お子様ランチ”はいろいろなものが少しずつ()り合わせてあって、目(うつ)りするほどわくわくした。  家では食べられない、(かた)でぬいたチキンライスの上に、なぜか小旗(こばた)が立っていたりして、子供だましと分かっていても特別な感じがしてうれしかった。家が(まず)しいってことは身にしみて分かっていたから、高いものをたのむのは親に悪い気がしてできなかった。ぜいたくはしちゃいけないと思って。  でも、いっしょにいた兄貴(あにき)は、いつも‟うな重”をたのんでたなあ。おれは子供のころから周りに気ばっかり使ってずいぶん(そん)したかもしれん。その兄貴も今じゃ(よめ)さんの実家でマスオさんになっているから、いろいろ気を使うことが多いだろうなあ。  だけど、おやじったら、兄貴が‟うな重”をたのんでも何にも言わないでニコニコしてたなあ。おやじは戦争中に満州に徴兵(ちょうへい)されて、十分に訓練も受けないままノモンハンへ行かされそうになった。ところがアメーバ赤痢にかかって前線には行かずにすんだと言ってたっけ。何しろおやじの部隊は全滅(ぜんめつ)だったそうだから。あの時、おやじがノモンハンで戦っていたら、いや、そんなへんぴな場所で、アメーバ赤痢で死んでいたら、おれは、今ここに立っていなかっただろう……) いちご畑のおじさんの父親は軍次(ぐんじ)といいました。軍次の青年時代を少しふり返ってみましょう。  1937年に日中戦争が始まったばかりのころ、日本は戦争を早く終わらせようと、大陸に大軍を投入しました。十万単位の兵士を、広大な大陸に湯水のごとく注ぎこんでいったのです。次第に人員が足りなくなり、新兵でも前線に送らなければならなくなりました。  それから、日常生活に必要ないろいろな物が足りなくなっていき、じわじわと庶民(しょみん)を苦しめるようになりました。主食の米さえも配給制になり、人々の生活を直撃(ちょくげき)しました。外米を混ぜたり、いもや菜っ葉を入れ、水を増量(ぞうりょう)してご飯をたきました。やがて都市部では、生鮮(せいせん)食品も手に入らなくなり、国民は()えで苦しむ様になっていきました。  このように泥沼化(どろぬまか)した日中戦争で、兵士も国民も苦しんでいる時に、新たな戦争を引き起こそうとする日本現地軍の指導者がいました。陸軍の北進論、つまりシベリアへ進出しソ連と戦う、という計画がひそかに進められていたのです。  1939年、満州国西部と、ソ連を後ろ(だて)にした外モンゴルとの国境地帯にあるノモンハンで、ソ連軍との衝突(しょうとつ)が発生し、日本は大規模(だいきぼ)な軍事行動に出ました。これがノモンハン事件です。  政府や作戦本部では、日中戦争のさなかにさらに紛争を起こすのに反対する意見もありましたが、現地軍の一部の無責任な行動が、国境紛争の火種となったのです。  ソ連は、日本が北進論の実行をあきらめるよう、最新鋭(さいしんえい)の飛行機や戦車などの圧倒的(あっとうてき)な兵力を投入しました。日本は完ぺきに(やぶ)れて、一個師団壊滅(かいめつ)という状態(じょうたい)になりました。そして、日本軍はやむなく停戦協定を結んだのでした。  ノモンハンでの経験(けいけん)を、軍次は息子たちの前でよく話そうとしていました。けれども、若かった息子たちは、 「ほら、またノモンハンだ。そんな、(むかし)の話するなよ」  と、茶化してばかりいました。いちご畑のおじさんは思いました。 (もっと、おやじの話をきちんと聞いておいたらよかった。おやじは歴史(れきし)の生き証人(しょうにん)だったんだから。満州へ行かされて、現地軍の作戦本部の連中の気まぐれで、戦わされて死んでいった戦友たちの話を、おやじはおれたちに聞かせたかったのかもしれない)  その時、グワーンベリべリベリという大きな爆音(ばくおん)が、ぬけるような青空から急に()ってきました。いちご畑のおじさんの立っている所から上を見上げると、三台のヘリコプターが編隊(へんたい)を組んで海の方角へ飛んでいくところでした。  ヘリコプターの爆音(ばくおん)などめずらしくないのか、子供たちはまだ夢中(むちゅう)でいちごをさがしていました。おじさんは、心の中でつぶやきました。 (好きなものを好きなだけ食べられる平和を、君たちは当たり前と思っちゃいけないよ。この住宅団地の上を、軍用ヘリが飛んで行こうとも、日本はまだ平和だ。この子たちの頭の上に、爆弾(ばくだん)がふり注ぐ事が無いように。そしてこの子たちがこれから先も、兵隊になって人を殺す事が無いように)  いちご畑のおじさんは、自分の考えた言葉にうるうるときてしまいました。急にだまりこんでしまったおじさんに気付いて見上げると、心なしかおじさんの目はうるんでいるようでした。 (変なおじさん。何で泣いてるんだ?) おじさんは子供たちの心の中のその声が聞こえたかのように、 「年を取ると涙腺(るいせん)がゆるくなってな」 と、ぼそっとつぶやきました。それから、まっすぐ子供たちの方を見ると、 「戦争はしたらいかんよ、絶対に」 と、言葉をかみしめるように言いました。  未知のウイルス‟ミッチー”が大都市で広がっているという報道(ほうどう)が続き、田宮さんも何となく外に出ることをひかえていました。庭のびわの木には、いつの間にか大きくなった緑色のびわが、まるでムキムキの筋肉(きんにく)を見せびらかすように実っていました。田宮さんはまた‟びわの木だより”を書きました。 立石潤君へ  こんにちわ。学校はずっとお休みですか? お家で何をして()ごしていますか? ‟ミッチー”のせいであまり散歩にも行かず、前は時たま道で潤君に会えたのに、今はずっと会えずにいるので、少しさびしいです。  びわの木に緑色のびわが生ってきました。もう、大きさはほとんど(じゅく)したびわと同じくらいです。ただ熟したびわより何となく筋肉ムキムキの感じです。これがもっと丸みを()びてオレンジ色になったら、(とど)ける事ができるでしょう。楽しみに待っていてください。では、また。                         田宮 (ゆう)22b4e1c3-f7b3-40ca-b8b8-acb6350bcdfd  ‟びわの木だより”を潤の家のポストに入れてから、田宮さんは潤に会えずにうじうじしている自分がいやになって、また散歩に出るようになりました。ある日、潤の家の前を通りかかると、自転車にまたがって門から出てくる潤にばったり出くわしました。友だちの伸吾が、いつもの様にむかえに来たのです。自転車をこいですぃーっとすれちがう時、田宮さんは潤に気が付いて、 「あ、潤君、おーっす」 と声をかけました。潤は田宮さんに向かって、 「うっす」 とだけ返すと、そのまま自転車をこいで行きました。せっかく道で出会っても、潤は一言あいさつするだけで、立ち止まりもしない。でも、確かに共通の話題も無いから立ち話もできません。いっしょに自転車でどっかへ遊びに行くなんて、なおできないのでした。田宮さんは、自分でも不思議なくらい、それがさびしく感じられました。  かと言って、潤に会うチャンスだった、びわの木だよりといっしょに本を届けた時の様に、会って話ができるとなると、田宮さんは自分から好きな相手を遠ざけてしまうのでした。  すぐ後ろで自転車に乗っていた伸吾が、二人が親しげにあいさつするのを見て潤に声をかけました。 「潤の友だち?」 潤は自転車に乗りながら首を横にふりました。伸吾がもう一度聞きます。 「じゃあ、潤のおばあちゃん?」 潤は、 「ううん, ただの田宮優子さん」 そう言いながら潤の乗った自転車は、家のすぐ南側の十字路まで来ていました。  そこでどっちへ行こうかと、いったん(かた)足を地面に着いて自転車を止めると、まるで道の(おく)をのぞきこむような仕草で右の方を見ました。そして何かめずらしいものでも見つけたように、 「あれっ、何だあれは?」  とさけぶと、右の方向に向きを変えて、人差し指で道の先の方を指さしました。 「え、どれどれ?」  伸吾も急いで自転車をこいで行って交差点をのぞきこみました。二人がのぞきこんだ道の先に、ケーブルテレビの工事用トラックが止まっていました。  ちょうど、トラックからブームを電線の高さまでのばして、ブームの先のパケットに乗った人が、金具(かなぐ)の付いた導線(どうせん)を電線に取り付ける作業をしているところでした。 「おもしろそう。行ってみよう」 潤はそう言うと、伸吾といっしょにトラックに向かってまっしぐらにこぎ出しました。  すると、十字路に立っていた安全反射ベストを付けた交通整理員のお兄さんが、手にした誘導(ゆうどう)用ライトをくるくると回しながら、ヘルメットに付いたマイクに向かって、 「ただ今、自転車二台通ります」 と、まじめな顔をして言いました。久しぶりに会ったのに、何だか置いてきぼりを食った様でがっかりしていた田宮さんでしたが、その声を聞いて思わず笑ってしまいました。子供が二人、小さな自転車で通るだけなのに、いちいちちゃんと報告して……。  潤と伸吾が自転車をこいで工事用トラックの所まで行くと、トラックからブームをのばして、いちご畑のおじさんの家にケーブルを引きこんでいる所でした。トラックの周りには、赤と白のしま模様(もよう)の三角コーンが、コーンバーで頭をつながれて並んでいました。そして道路には、            注       意         電   話   工   事   中    大 変 ご 迷 惑 お か け し て お り ま す と、書かれた工事用立て看板(かんばん)が置かれていました。  門のそばのバケットがよく見える所で、おじさんが立って、バケットに乗ったケーブルテレビの作業員を見上げていました。 (しまった。いちご畑のおじさん家で工事してたんだ。見つからないようにそっと行こう)  トラックの止まっている場所を通りこして、そのまま進もうとすると、後ろから伸吾が声をかけました。 「おい、潤、バケット車、見ないの?」 「しーっ」  と、潤が言っても、もう間に合いませんでした。伸吾のその声で、いちご畑のおじさんが潤に気が付いてしまったのです。 「おや、君はこの間、自転車に乗って()げた子じゃないか?」  潤は仕方なく、もうすっかり観念(かんねん)して自転車から()りると、頭を下げて言いました。 「ごめんなさい、おじさん。僕はおじさんにだまっていちごを食べてしまいました」  いちご畑のおじさんは、おかしそうに笑って言いました。  「さぞ、()っぱいイチゴだったろう」 「えっ、でも、甘くておいしかったけど……」 「それはね、君が自転車競走で二度も一等(しょう)を取るまで、必死で自転車をこいで、のどがかわいていたからだと思うよ。うちのいちごは最初に取れたやつはまあまあ(あま)いけど、二回目からはだんだん実が小さくなって固くて酸っぱくなっていく。だから、うちでは大(つぶ)のいちごだけ牛乳と砂糖をかけて食べる。後の小さくて酸っぱいのは、いちごジャムにするととってもおいしいんだよ。そうだ、君は正直だから、こないだ作ったいちごジャムを少しだけやろう」  おじさんは家の中から小さなびんに入ったジャムを持って来ました。潤は手に持ったびんを太陽に()かして見ました。びんの中に入ったジャムは、太陽の光を思い切り()びて、ルビー色にかがやいていました。その中に数え切れないほどたくさんの小さな種が、星くずの様にちりばめられていました。  「おじさん、ありがとう。ぼく明日の朝、パンにぬって食べるよ」 潤は、小さなびんに入ったきれいなジャムをもらって、とてもうれしかったので、おじさんを喜ばせたくてそう言ったのでした。実は潤の家の朝ご飯はパンではなくてご飯でした。相手を喜ばせようとする、子供らしいかわいいうそでした。  (でもおじさん、うそじゃないよ。今度お母さんと‟ゆり団”の下のパンヤベーカリーにおやつを買いに行ったら、菓子パンじゃなくて食パンを買ってもらうんだ。そしたら、その食パンにジャムをぬって食べるよ、絶対)  潤は、心の中でそうつぶやきました。
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